第九十七話 「おっそいなぁー」
「……カァアアアアアアアアッ!!!」
咆哮は空気を揺らし、昂ぶった影は右手を振り下ろす。
瞬間、その腕が振るった先の壁へ斜めに大きな亀裂が入り、仮面の中年とマリィは身を縮み込ませる。
「ば、馬鹿な!! 聖域と同じこの部屋を……バケモノ!!」
「ハァアアア……ガァアッ!!」
「ひぃいいい!?」
「きゃあっ!!」
影は髪を振り乱しながら手当たり次第に爪を振るう。
その度に部屋の壁や天井へ疵を作り、置かれた棚や照明と言った家具は粉々に砕け散ると雨のように降る。
芸術品のように模られた一室は一瞬の内に無残な物へ変わった。
「に、逃げるぞマリィ! 掴まれ!」
「は、はい主様!」
彼はマリィを抱き寄せると床のタイルの一部を破壊し、その下にあった何かを手にする。
「ル、道下の綱渡り!」
仮面の中年がそう唱えると同時に2人を中心に床のタイルの隙間から光が漏れる。
それに反応した影はすかさず腕を振り下ろすが……二人の姿は消え、目標を失った腕は空を切る。
「チッ……逃げ……タか」
不揃いの歯を食い縛りながらそう影は零す。
そして今一度腕に力を籠め、腕を振り上げると天井に模られた紋様目掛けてその一撃を放った。
「おい、ユウ! ユウしっかりしろ! オイ!」
「あ……う……」
「くそ、思ったより飲んでやがる……しかも服にまで」
ルシードは破壊した一室より悠を抱え外に出、それによりリンクが復活したトシキは彼の元へAlpを辿り転移した。
そこにはケディフェリスによって意識が混濁した悠の姿があり、トシキは狼狽えの声を上げる。
ルシードも影の姿より元の姿に戻っていたが過剰に魔力を消費したらしく、ふらつきながら悠の容体を見る。
そしておもむろに手を伸ばして詠唱を始め―――
「森やかな地に流れる恵みよ、その美しさをここに」
彼の言葉と共に大量の水が溢れ、悠の体を洗い流す。
「気休めかもしれんが、これで多少は……マシ、だろう……」
彼は青褪めた顔を上げながらそう呟くと妖精姿のトシキへ視線を向ける。
体に塗り込まれたケディフェリスを洗い流し、悠の容態を多少なり和らげようとしたのだ。
そして同時にここから先はこれ以上ルシードに手立てがないと言う事を悟ったトシキは唇を噛む。
どうすりゃ良い……? と。
界客なら、コイツの肉体が耐えられない程の力をぶつけて自己再生を促せばもしや?
肉体が崩壊して再生すればケディの影響出る前の状態に戻せるのでは、
と言った考えが浮かぶ。
『―――ダメだトシ坊。影響を受けた形に再生されっから意味がねェ』
しかしそれはキサラギの一言であっさり否定される。
「はぁ!? 何でだよ! 体が消えりゃケディも……」
『界客にゃ薬が効く。
体を損傷させるような事が起きなければ自己再生が働かず、その状態を一定で保つ事に原因があんだよ』
この一件で悠を攫う為に使用されたポピアの花。
花は強い睡眠作用を持ち、彼を簡単に眠らせたがこの花は扱いを変えれば薬となる。
これによりAlp体である界客にもそう言った物が効くと言うのはわかったが……
だからと言ってキサラギの説明が腑に落ちないトシキは反発の声を上げる。
「そりゃわかるがそれでケディを使われた状態に戻んだよ!? 一定の状態を保つってーなら―――」
『ケディは云わば麻薬だ。
しかもケディは肉体を破壊する事も無く、身体が毒と認識する事もねェ。
逆に快楽を覚えさせる物で、身体は拒絶どころか求める。オメーもわかってんだろトシキ……』
彼女の言葉に彼は押し黙る。
早い話が身体がケディフェリスと言う物を必要だと判断し、その状態を維持しようとしてしまう。
更には悠の意識もケディフェリスの影響に溺れかけている事もあり、元に戻す事が困難な状況となっているのだ。
その事を理解し、彼は何も答えられなくなる。
そして彼はそれでも……もしかしたらと悠の意識へ手を伸ばしどうにかしようとするが、腕を振りほどくように拒絶されてしまう。
それはトシキの考えが淡い期待でしかないと言う事を物語るには充分だった。
そんな中、『ウチと替われ』と彼女の声が響く。
手立てを失い呆然とする彼は言葉のままに従うしかなかった。
「……おいルシード。お前まだ動けっか?」
「ああ。しかし魔力は無いに等しい……出来る事は限られているぞ」
「多少なり動けンなら問題ねェ。残念なお報せだがユー坊はこんままじゃ戻れねェ。
既に中毒入っちまってる」
「国の医療機関の魔術でケディフェリスを抜く事も出来るが……界客では」
「そこはハナっから期待してねェ。……イチかバチかだが、賭けに出る」
その言葉にトシキを含むゴロウ、ウメコは仄暗い場で顔を上げる。
トシキを始め、現状の悠を元に戻す方法が一切浮かばないのだ。
そんな中、黒艶の魔女と同じ顔をした彼女はキサラギの言葉を前に静かに目を細める。
それは何かを見定めるかのように。
「トシ坊、例の件は暫くお預けだ。……器を使う」
キサラギの言葉にトシキとゴロウは彼女がせんとしている事を気が付く。
器とはトシキが悠に隠れて作っていたAlpを内包し、肉体を持てるように作っていた物。
しかし力を受け止める器が出来た段階である物が足りず、躓いていた。
足りない物……それは肉体情報(DNA)。
「さァ始めんぞ。時間も残されてねェ。失敗すりゃウチらもまとめて消えちまうかんな……」
何があっても常に笑っている彼女に今、その笑みは無い。
そう呟いたキサラギの言葉に皆の固唾を飲む音が鳴る。
そして彼女はいつも以上の大声で皆に指示を出す。
それは悠とのリンクより浸食してくる不快を伴う思い出したくもない感触と感覚を振り払うように。
『墜落した竜への追撃にはまず翼と足を狙って空に戻させるな!
魔術部隊は煙幕を優先。会話の際は魔導会話のみで行い、一切の発声を禁じる。
各部隊は魔導会話にて常に距離を確認し、各部隊と連携せよ!』
『『『『はっ!』』』』
竜との戦いが繰り広げられる山脈の中腹。
そこは魔術部隊による煙幕が一帯を白く覆いつくし、それは霧が張ったように一面を白色の世界へと変えていた。
煙幕に使われている物は『忘却の白塵』と呼ばれる下級魔法。
それを100名の魔術師が一斉に扱い、周囲約2kmを白色の世界に変えていた。
下級魔法である為、必要魔力も少量で広範囲まで発動が可能。
そして魔法魔術を無効化している竜たちへ視界を奪い、過信していた竜たちは予想外の事に混乱を覚える。
「なぁるほどねー……灰を使ってるけど、直接受けた物を無効化する物だからこれじゃ役に立たないね」
白ローブの彼女は感心したようにそう呟き、
大竜の上に寝そべって高みの見物と言った様子で眺める。
「ギャガアアアアアアアッ!!」
『第三部隊、竜の墜落確認! これより追撃に入る!』
『了解! 位置が近い騎士は追撃の援護に回り、終わり次第速やかに部隊へ戻れ!』
『『『『了解!!』』』』
大地の上へ土煙を巻き上げながらまた一体の竜が轟音と共に落ちる。
竜たちは突如視界を奪われた事に混乱が広がり、組んでいた陣形は次々に崩れていく。
作られた白煙幕のせいで竜たちには人間の姿が確認出来ない。
更に騎士らは戦いの際、一切声を上げず、それに対し今までにない恐怖を竜たちは覚えてしまう。
「ギャ、ギャルァアア!? ギャルガアアァアアアッ!!」
本来、生き物と言う存在は生きて行く中で鳴き声を発する。それは威嚇、悲鳴と様々。
そしてそれは人間も例外では無い。
感情的になればなる程にその激しさは増し、恐怖、激昂、悲哀と全てにおいて声は伴う。
しかしこの場に居る騎士たちはそれを噛み殺し、見えぬ中で攻撃を行い竜を確実に仕留めに来るのだ。
魔法による突然の発光で虚を突き、蔦を使った道具で飛行を妨害してくる。
手段その物は子供染みた物でくだらない。
しかし見えず、わからずの中で降りかかるそれらは戦闘経験の浅い若竜の冷静さを奪うには充分すぎた。
更には時折響く仲間の叫び声、悲鳴。
それらが合わさり、これ以上無い恐怖を覚える。
力が無く、矮小で、非力な存在が、着実に、自分たちの命を狩る餌だったはずの人間たちに……
『魔術部隊、次の射光魔法用意!』
一寸先もまともに見えない乳白色の底で上を見上げながらリスリムは魔導会話にて指示を出す。
魔術部隊の全員は杖を強く握り、短く詠唱を終えると手を空に掲げる。
「陽光の欠片!!」
術者たちの手を離れ天高く打ち上がる多くの光の玉。
それは煙幕を抜け、竜たちの脇を抜け……白色の海より上へ飛ぶと弾けて白光の花を咲かせる。
竜たちは白色の世界の中で背を襲うように注ぐ光へ恐怖し、何体かの竜は驚きの声を上げた。
そして脅えた声を漏らしながら方向感覚を失い、地へ落ちる。
墜落した竜は慌てて翼をバタつかせ飛び上がろうとするが、何かが邪魔をしそれを許されず四肢に何かが絡み付く。
視線を向ければ自分の手足、翼に絡まるいくつもの蔦のような物。
それを振りほどこうと暴れている内に剣を手にした騎士たちが足や翼を切り裂き……
首を貫く。
「ギャルアアアアアアアアアアッ!!!」
白色の中、時折響くのは竜の悲痛な断末魔のみ。
その様子を大竜に乗った彼女は目を細め、ただ傍観する。
混乱する竜たちに指示を出す訳でも無く、
かと言ってこの戦況を変える為の試案をしている様子も無い。
先程まであれほどやる気だったが、リスリムによる白煙戦法を前にすると途端やる気をなくした。
彼女としては一方的に蹂躙する事により愉しもうとしていたところを面倒な戦法を取られ、
それに対して思案する事がとても面倒でならなかったようだ。
だが彼女を乗せる大竜は何か策があるのだろうと信じた様子で彼女に何か問う事もせず、不動に乳白の上を飛ぶ。
大竜にとってこの場で仲間がいくら死のうと関係が無い。
自分の果たすべき目的は別に託し、優先すべき事は敵に思惑を悟られないように戦う事。
とは言っても大竜としてもこのまま一方的にやられている状況は面白くないと言うのが本音で、
護竜の証を持つ彼女に期待を寄せていた。
―――そして背に乗る彼女が僅かに動き、大竜は何かの言葉が貰えるかと身構え、
「……クーちゃんおっそいなぁー」
淡い期待を抱いていた大竜に届いたのは欠伸混じりのそんな一言だけであった……。
『現在撃破数20、交戦中4! 残り25程と思われます!』
『―――その中に少女を乗せた大竜……老竜は?』
『は! 現在、撃墜及び交戦中に老竜級は確認出来ておりません!』
魔導会話と呼ばれる術符を使用してリスリムは会話を終えると溜息を漏らす。
「あわよくば仕留めておきたかったがそうもいかんか」
彼は作り出された白色世界の中で小さくそう漏らす。
先程の被害や戦況から考えれば明らかにこちらが優勢。
彼が参戦する前に比べると負傷者は格段に減り、魔法魔術が効かずに空を飛ぶ相手を落すと言う快挙を成し遂げている。
……しかしリスリムは芳しくない戦況を見るように眉をひそめ、次の手を思案する。
『にしても流石は活眼の異名を持たれるお方だ。死者も出さず、不測の事態にここまで対応なされるとは……』
『昔、濃霧の中で戦った事を思い出し、再現したに過ぎない。
戦況が望む物でなければ作れば良い。僕は当たり前の事をしただけだ。まだ戦闘中だ、集中しろ』
そう彼が言い切ると皆黙ってしまう。
戦いに於いて兵をいくら減らそうとも敵大将が残っていれば戦いは終わりでは無い。
そしてリスリムはここに来るまで様々な違和感を思い返しては整理する。
彼の中で未だに何かが引っ掛かり、それがつっかえたままなのだ。
出来ればそう想定したくなかった考えに彼は眉を顰めながら手をかける。
そこから出てくる単語は……
共謀者、囮、増援、手加減。
「―――ああこれはいけませんね? ダメですね? 些か遊びすぎじゃないでしょうか?」
聞き慣れない声がリスリムの耳に届くと同時に白色の世界が一瞬で、終わる。
開けた先には半数までに減った竜と……少女と同じ白いローブを纏った長身。
「ばか……な。下級と言えど、100人がかりのものを一瞬で」
「騎士ならば、男ならば、戦いならば……正々堂々でしょう? そうでしょう?」
予測したくなかった一つはリスリムへそう言葉を向けるとこれからの事を悦ぶかのように、
歪に笑うと腕を広げた。




