Ⅱ+
そんな数日後、私は朝食のマーガリンをたっぷり塗ったトーストを齧りながら阿尾意中の女の子が死んだ事を知った。
何気なくつけたテレビの四角い枠の中で少し強張った顔をしているあの女の子がいた。証明写真だろうか。訝しんでいる間に「昨夜未明△×大学に通う加藤鳴子さんが川原で殺害されているのが見つかりました。死体はナイフで切り刻まれており……」などとアナウンサーが喋り出した。
「なにそれ……」
困惑の抜けないまま大学へと向かうが、足が重い。名前は知らなかったが、写真はどう見てもあの日阿尾と不躾に眺めていたあの女の子だ。自分の大学から殺されたなどと普通じゃない死に方をした人が出たなんて事にショックを受ける前に思うのは阿尾の事だった。なんの関係もない私がこんなにショックを受けたのだ。阿尾は今一体どうしているのだろうか。もし阿尾に会ったらどんな顔をしてどんな言葉を掛ければいいのだろうか。わからない。私の足は更に重くなる。
果たして、大学は閉まっていた。いや、実際には閉まってなどいなかったが、校門の前にはマスコミが大量に発生してほぼ封鎖状態だった。定員オーバーといった状態だ。
たかってる。
少しでも視聴者の興味を引くような話題を探して――誰かの話を聞きたいようで、誰かいないか目を光らせていた。
帰ろう。
考えるまでもない結論だった。阿尾にすら何を言えばいいのかわからないのにマスコミなんかに与える言葉などある筈もなかった。
そうして踵を返した先に阿尾が居た。
「っ……」
言葉が出ない。
あの日から何度か邂逅→短い会話を繰り返し、すっかり気の置けない仲となった阿尾と私だったが、今回ばかりは気さくに話し掛けるなんて事は出来なかった。しかも最近はもっぱら会話の始まりはあの子の事で、更に大抵私からその話題を振るといった形だった。今回ばかりはそうはいかない。
「鈴空じゃん。おはー」
「え、あ。おはよう」
阿尾は、普通だった。
いつも通りの、阿尾だった。
「あれ?なんか校門にハエがたかってるよ?どしたのあれ」
もしかして、知らないのだろうか。なんていうのは私の勘違いだった。
「あぁ、あれか。鳴子ちゃんか。マスコミさんもなかなか行動が速いねぇ」
「知って、るの?」
「へ?何を?」
「その……加藤さんがこ……」
ごくりと唾を飲み込む。言葉にしようとするとなんだか急に現実味を増して、言えなかった。身近に、居るのだろうか……人殺しが――人を殺せてしまう人間が。
「鳴子ちゃんが殺されたって?知ってる知ってる。朝のニュースでおっきく取り上げてたし。見ない方が難しいよ。どっこもその話題ばっかしなんだもん」
私は何も言わない。
「さすがに学校がこんな状態だなんてのは知らなかったけどね」
「大丈夫、なの?」
「大丈夫じゃないよ、まったく全然。けっきょく今回も逃げられちゃったし」
「逃げられた?」
また会話が噛み合ってない。
「そ。鳴子ちゃんにも最終的には逃げられちゃった。途中までは良い感じだったのに。何が駄目だったのかな――いつもこうなんだ」
「あ、振られちゃったんだ」
「振られたってっことになるのかな?うん、たぶん。逃げられちゃってるしね」
「大丈夫?」
「ま、いつものことだしね」
阿尾はもしかして知らないのかと思ったら、そういうわけでもなかった。
「もしかしてこれは学校ない感じ?」
「そうでもないと思うけど、入るのにも一苦労っぽいから私は帰ろうと思う」
「賢いね」
自転車を反転させながら「じゃ、帰ろうと思うけど、うち来る?」聞かれた。
「え?」
「や、なんか気分悪そうだし、うち来て……うーん、トランプでもすりゃ気分良くなるかなぁと思って」
「トランプなんて持ってるの?」
一度も見たことないけど。
「ない」
ないのかよ。
思わず苦笑してしまった。
「気遣いは素直に嬉しいけど、遠慮しとくよ」
自分の家の方が近いし。
「そっか。そりゃそうか。残念」
ちっとも残念じゃなさそうな阿尾である。
「じゃあ俺も自分のうちに帰るよ。他に行きたいとこも特にないし」
「うん。じゃあね」
「ん。また」
阿尾が見えなくなるまで見送ってから自分のアパートへ歩き出す。が、途中から早足になり、最後には走り出していた。
おかしい、おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしいおかしい!
バタン!と大きな音を立てて勢いよくドアを閉める。こんなのって、絶対、おかしい。
なんで私は、好きな人が死んでもいつも通り過ぎる阿尾に恐怖を覚えるどころか――阿尾が落ち込んでない事に安堵しているんだろう。