Ⅰ+
考えた事はないだろうか。
人を自分の住んでいる空間へ入れるということを。
『自分の部屋』とはつまり自分そのものと定義されていてもおかしくはない。『自分の部屋』がごちゃごちゃ散らかっている人は心の中も整理されていなくてごちゃごちゃだろうし、『自分の部屋』の見た目綺麗でも実際押入れ開いたら整理なんて言葉と無縁なカオスが広がっていたらその人はきっと表面だけの人間なんだろう。
そんな感じに、身近な環境というのはその人間の分身といってもいいくらいの何かを映す。
そして私は彼の部屋に足を踏み入れた。
「……部屋の中に獣道がある」
「素直に汚いねって言っていいと思うよ。ちなみに俺はいつもそう思ってる」
「思ってるのに整理しようとは思わないんだ」
「いや、思うよ?ただ、この方が探し物しやすいんだ」
「部屋が汚い人って皆そういうよね」
何故彼の部屋に私がいるのかというと、答えは単純。彼の借りているアパートの方がスーパーに近かったからだ。
私の家に向かう為にオムライスの材料を買った後スーパーを出た瞬間に「あ、ちなみにあれ俺の住んでるとこ」と目と鼻の先にあるアパートを指差されたのだ。私の住んでいる所は残念ながらここからまだまだかかる所にあるし、家に帰るまでの寒い思いを少しでも回避できるのならしたかった。
「ねぇ、なんで冷蔵庫の中に腐った野菜しかないの?おかしくない?変な汁で泉みたいになってるんだけど、頭大丈夫?」
「冷蔵庫……前開いたのいつだったかな」
「信じらんない」
冷蔵庫を早々に閉めて(鼻が痛い)自分が今日買ってきた物を眺める。
もやし、ハム、人参、ケチャップ、エリンギ、冷凍食品数点。
ため息をつきながら私は包丁を手にとって料理を始めた。
「意外と美味しい」
「意外って何よ。失礼ね」
「だって、卵焼きが作れない人のオムライスだよ?」
たしかに、その前提では疑って当り前である。私だったら疑う。
「でも、これ、チキンライスじゃないよ」
「鶏肉とかめんどくさい」
「でも」
「ウルサイダマレシズカニクエ」
そのあとは黙々と食べて―――完食。
「意外と美味しかったデス」
「同じ会話繰り返す気?」
皿洗いをして(僕が後でやっておくよなんて言われたけど私は信じない。何故なら沢山のいつ使ったかわからない皿やらコップやらが置いてあったから)床の色々をどけて座り込む。
「そういえば、けっきょく質問に答えてもらってないんだけど」
「質問って?」
「そこでなにしてるの?って言ったじゃない、公園で」
「あぁ―――そういえばそんなこと訊かれたね。なんで答えなかったんだっけ俺」
「それについて考えてるとまた答えてもらえなくなるのが目に見えてるから、考えないでね」
「えー、」
睨む。たじろぐ。
「分かったよ」
しょんぼりと肩を落とされた。
「そんなに落ち込むようなこと?」
「なんとなくノリで落ち込んでみただけ」
軽い調子でななめ上を「んー」って呟きつつ眺めてから、私の顔を覗き込みにやりと笑った。
「なによ」
「実は、思い出してたんだ」
私の話を無視した形で話し始めたから少し面食らったけど、そのまま会話を続ける。
「何を?」
「今日した殺人について」
「は?」サツジン?さつじんって、人を殺すって書くあれですか?」
「そうそう、人を殺すって書いた殺人。今日は可愛らしい女の子でした」
「何歳?」
「えー、ちゃんと聞いてないけど、制服着てたから、中学生か高校生だと思うよ」
気にするとこじゃないよっていうツッコミを期待してたんだけど?
「セーラー服だったよ。こんな寒いのにコートも着ずにマフラーだけで、鼻のあたまを真っ赤にしてた」
かわいいよね、といってクスリと阿尾は笑う。
「だから今日はその子にしたんだ。白地に小さいリボンをあしらったマフラーで、それが真っ赤に染まっちゃって」
そこまで楽しそうに話していたのに急に肩を落として、声のトーンまで下がった。
「それがほんとに綺麗に染まったんだ。でも、やっぱ、冬だからかな……みるみる黒く汚い色になってっちゃって。―――途中までは渋みを増してきてよかったんだけど」
最終的に汚い色になっちゃってさ、と思い出したのか本気で落ち込みだして「あーあ」なんてため息をついてる。私の存在忘れてないか、こいつ?
いや、忘れられても別にいいけど。いや良くないけど。忘れられるよりもっと気になる事があるってだけで。
「え、ほんとにやったの?」
「やったよー。俺がこんなとこで嘘吐くわけないじゃん」
軽い……軽すぎる!信じにくい!だいたいこんなとこってどんなとこだ!
携帯を開いて今日が四月一日でないことを確かめる。
「今日、四月一日じゃないよ?」
「何言ってんの。日付に頓着がない俺でもさすがに今日が四月一日じゃないことくらい知ってるって」
「だよね」
外はこんなに寒いのだ。四月が来ただなんて間違っても思いはしないだろう。
「あ、もしかしてエイプリルフールの嘘かと思った?大丈夫だよ!俺、エイプリルフールにはでっかい嘘付くからわかっちゃうもん」
でかい嘘ついてばれちゃうってまさに今の状況だろ。と内心ツッコミながら彼が殺したという女の子に思いを馳せた。
白いマフラーをして、寒い帰路を少しだけいつもより速く歩く。話し掛けてきたかっこいい年上の男の人。寒さも忘れて足を止める。男の人に話しかけられるというあまりない経験に浮かれて、そして……。
「おーい」
ひらひらと目の前で手を振られて派ハッとする。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「うん。ぼーっとしてたね」
にこにこと笑ってる。
現実味があるような、ないような。最近この街で起きた殺人事件の犯人も捕まってないし、その事実がまた現実感を助長している。本当は嘘上手なんじゃなかろうかこの男。いや、殺人なんて言ってる時点で嘘はバレちゃってるんだけど。
「じゃあそろそろ帰るね。暗くなった危ないし」
「そうだねー。人殺しがうようよいるしねー」
「うようよなんて言葉使う程いたら、昼間でも出歩かないよ私は」
ドアを閉める直前阿尾が言った「鈴空が人殺しに出会っちゃったりしたら、俺が守ってあげるよー」という言葉に歩き出しながら笑いながら、返事をする。
「人殺しは君だったんじゃないのか」