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吾輩は偉大と思われている 番外編

掲載日:2026/10/31

 朝の森は静かでよい。


 鳥は鳴く。風は葉を撫でる。誰も答えを求めてこない。


 毎日こうならよいのだが、そうもいかぬ。


「世界樹さま」


 村の男が、根元で深く頭を下げた。


「今年はどうにも実りが少のうございます」


「少ない、とは」


「畑も森の恵みも、去年ほどでは」


「去年はどうであった」


「豊作でございました。皆、腹いっぱい食えました」


「ならば今年は蓄える年だ」


 男が顔を上げる。


「蓄える、でございますか」


「実る年があれば、痩せる年もある。木も土も獣も、ずっと同じようには働かぬ」


「ですが、このままでは冬が」


「だからこそ、取り尽くすな」


 吾輩は枝をひとつ鳴らした。


「今年を無理にむしれば、来年はもっと痩せる。待つこともまた生きる術だ」


「ははあ……さすが世界樹さま」


 男は何度も頷いた。


 よろしい。今日は知っている話だ。


 だが、男は帰らなかった。


「あの」


「まだあるのか」


「世界樹さまほどのお力があれば、永遠の豊作も叶えられるのでは」


 森が少し静かになった気がした。


「永遠の豊作を願うか」


「は、はい。そうなれば村は栄えます」


「ならば問おう」


 男の肩がぴくりと揺れた。


「おぬしは何を差し出す」


「え」


「願うだけか。頼るだけか」


「そ、それは……」


「仮に永遠の豊作をくれてやったとしよう」


 吾輩は低く言った。


「滅びるのは森ではない。人間ぞ」


 男の顔が青ざめる。


「な、なぜでございます」


「わからぬか」


 葉先がわずかに鳴る。


「育み、我慢し、時を待つ。それがいちばん苦手だからだ」


「……」


「花は咲き続ければ枯れる。実はなり続ければ枝を折る。巡りを失った豊かさは、豊かさではない」


 男は口を開き、閉じた。


「それを踏まえて考え直すがよい」


 しばらく待ってから、吾輩は続けた。


「もし考えが変わらなければ、また来るがよい」


「……また、ですか」


「なぜそうなりたいか、聞いてやる」


 男は深く頭を下げた。


「申し訳、ございませんでした」


「謝る前に考えよ」


「は、はい」


 男は今度こそ帰っていった。来た時より、ずっと重い足で。


 少しして、別の足音がした。硬い。うるさい。鎧である。


「賢木よ」


「騒がしいのが来たな」


 旅人は一礼した。


「この先を抜けたところで戦が起きている。どちらに付くべきか、助言を願いたい」


 知らぬ。


 森の外のことなど、吾輩の根は一本も届かぬ。


「ふむ」


 間を置く。


 間は大事だ。知らぬ時ほど。


「森と共に生きる吾輩には、人の戦そのものはどうでもよい」


「どうでも」


「最後まで聞け」


 旅人は口をつぐんだ。


「だが一つ言おう。この世に不必要なことなど何もない」


「ほう」


「どちらに付くかを先に決めるな。おぬしが何を持ち帰りたいのかを見よ」


「持ち帰りたいもの」


「名か。命か。悔いの少ない夜か。答えはそれで変わろう」


 旅人は腕を組んで黙った。


「胸に刻もう」


「そうか。落とすでないぞ」


 旅人が去ろうとした、その時だった。


「うわあっ」 「へんなのがいるーっ」


 子どもの叫びに続いて、村の者たちが駆けてくる。


「世界樹さま、森の奥から妙な獣が」 「見たこともありませぬ」 「不吉なものでは」


 旅人まで剣の柄に手をかけた。


「討つべきか」


 茂みの向こうから、のそりと現れた。


 鹿に似ている。だが角は枝のように広く、背には苔が薄く張りついている。


 知らぬ。


 これも知らぬ。


 そんな目で見るでない。吾輩は知っていることしか知らない。


「世界樹さま、あれは何でございましょう」


「騒ぐでない」


 低く言うと、場が止まった。

 こういう時、声は低いに限る。


「牙を剥いておるか」


「い、いえ」


「襲いかかっておるか」


「それも、まだ」


「腹を空かせておる顔だ」


 村人たちが顔を見合わせる。


「腹、でございますか」


「去年は豊かであった。今年は少ない。森の奥も同じであろう」


 旅人が眉をひそめた。


「では放っておけと」


「追えば荒れる。傷つければ、なお荒れる」


「しかし村に入れば」


「先に満たせ」


「満たす」


「食えるものを少し奥へ置け。道をあけよ。腹が満ちれば帰るものは多い」


 村人の一人が恐る恐る言う。


「芋なら余りがあります」


「果物の落ちたのもあるぞ」


「ならば早く持ってこい」


 旅人が剣から手を離した。


「剣ではなく餌、か」


「腹の減ったものに、まず見せるべきは刃ではない」


 皆が動き出した。


 芋と果物が森の縁に置かれる。


 獣はしばらくこちらを見ていたが、やがてのそのそと歩き、静かに食べ、それから森の奥へ帰っていった。


 誰も追わなかった。


「さすが世界樹さま」 「争わずに治めるとは」 「深いですなあ」


 旅人まで頷いている。


「戦も同じかもしれぬな」 「満たされぬから争う」


 そういう話になったのか。


 まあよい。勝手に良い解釈をして帰るのは、むしろ助かる。


「世界樹さまは、やはりすべてを見通しておられる」


「見えるものもあれば、見えぬものもある」


 少しだけ本当のことを混ぜる。


「だからこそ、見えるものを見誤るでない」


「ありがたや」 「ありがたや」


 やめてくれ。揃うと少し気恥ずかしい。


 やがて人々は帰っていった。


 森に静けさが戻る。


 吾輩はゆっくり枝を鳴らした。ため息の代わりである。


「今日もどうにか乗り切った」


 実りの相談はまだよい。知っておるからな。


 だが、永遠の豊作に戦の助言、不審な獣まで持ち込まれると、さすがに根が浮く思いがする。


 それでも悪くはない。


 皆が勝手に深く受け取り、勝手に救われて帰る。そのたびに、吾輩まで少しだけ偉くなった気がする。


「こうやって大人になるのだよ」


 しみじみ言ってから、吾輩は少し考えた。


「大人になるということは、トラブル解決能力が高くなるということだな」


 うむ。実に深い。さすが吾輩である。


「数万年生きてる吾輩が思ってるのだ。間違いではないだろう」


 その時、風が吹いた。


 葉がざわりと鳴る。


 吾輩は満足げに枝を揺らした。


「うむ。やはりそうか」


 たぶん今のは、森も頷いたのだ。


「……吾輩は昨日より、少しだけ立派に見えるだろうか」

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