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獣の恋

鳴く鳥

作者: 夜乃桜
掲載日:2026/02/17

太陽が眩しく輝く晴れた日。

初老の僧が、森に向かって歩いていく。畑仕事をしていた若い娘が、僧に声をかけた。


「あら、お坊様。また森へ?」


声をかけられた僧は、肯定の笑みを娘に向ける。そして、足を止めることなく、森へと向かって行った。


「森になにしに行っているのかしら」


呟いた娘の言葉に、畑を耕していた娘の祖父が畑を耕す手を止めずに答えた。


「嫁さんの元に行っているのだろうよ」


娘は祖父の言葉に眼を丸くする。娘の祖父は自分の発言にしまったと顔をするが遅い。


「なになに、どういうこと!?」


人一倍好奇心が強い娘の眼が輝く。そんな娘に祖父はため息を吐く。


「あいつがまだ僧になる前。あいつには、嫁さんがいた」


それは、四十年も前のこと。

かつて僧は村一番の働き者で、村一番の腕のいい狩人だった。そんな僧の元に二十歳にも満たない美しい娘が訪ねた。

僧や村の者たちが、娘にどこから来たのか、村に何か用かなどと尋ねたが、娘は質問に答えなかった。正確には、娘は答えることができなかった。言葉を話すことができなかったのだ。

村の者たちは言葉を話せない娘を憐れんだ。村の者の中には、素性のわからない娘を不審に思い、警戒する者もいた。

しかし、僧は、そんな村の者たちの心情を無視して、自分の家に迎い入れた。僧は娘と共に暮らし始めた。

やがて、言葉を話せずとも、働き者の娘に村の者たちは警戒を解いていった。

村の男たちは、美しい娘を自分の嫁にと望んだ。しかし、娘は村の男たちの求婚に、応じなかった。

半年が経って、娘はある男の求婚に応じた。見事に娘を射止めたのが、僧だった。

娘と僧は、夫婦になった。僧と娘は周りの者が羨む仲の良い夫婦だった。


「……あいつらは二人で幸せに暮らすと思っていた……だか、そうならなかった」


それは、娘と僧が夫婦になって、しばらくしてのことだった。


「突然、あいつの嫁さんがいなくなった」


祖父は静かな声で語る。

僧を迎えに森に出掛けた僧の嫁が見当たらない。血相を変えて、嫁を探す僧。

村人たちは協力して嫁を探したが、見つからなかった。村人たちは、僧の嫁は森で死んでしまったのだと結論した。

嫁を失った僧の様子はひどかった。このまま嫁の後を追うのではないかと、村人たちが心配するほどだった。

だが、そうはならなかった。


「それから、あいつは毎日、森に出掛けるようになった」


僧は、午前は畑を耕し、午後は弓を片手に、森に出かけるようになった。働く僧に、村人たちは立ち直ったのだと安心した。しかし、祖父は違った。

嫁が亡くなる前は、月に二、三回の割合で狩りをしていた僧が、毎日必ず森に出かける。そんな僧の行動を不審に思った祖父は僧の後をつけた。

そこで、祖父は知った。


・・・頼む!もう一度、俺の前に姿を見せてくれ!・・・


声を張り上げて、僧はいなくなった嫁を呼んでいた。

僧は森で狩りをしているのではなく、亡くなった自分の嫁をまだ探しているのだと知った。僧の行動に自分一人では解決できないと思った祖父は、村の者たちに話した。

祖父から話を聞いた村の者たちは、森に行く僧を引き止めようとした。しかし、僧は村の者の手を払い除けた。村の者たちは、取り憑かれたかのように森に通う僧に、どうしたらいいかと悩んだ。

その時、事情を知った、村に立ち寄った旅の巫女が、僧と話をすると言い出した。

旅の巫女が僧に何を話したのかはわからない。だけど、旅の巫女との話を終えた僧の顔は、憑き物が落ちたかのように、何かの決意を秘めていた。


「そして、あいつは出家した」


僧になっても、森に通うことはやめなかったが、森に通う頻度は少なくなった。


「………森で亡くなった嫁さんのためなのかもしれないな。今頃、御経をあげているのかもしれないな」


話は終わりだと、娘の祖父は畑仕事を再開した。



森の奥深く。僧は御経を唱えていた。

それは、亡くなったモノのためではない。愛しいモノに逢うための合図。

美しい鳥の鳴き声が森に響く。僧は眼を開け、顔をあげる。目を向けた先には、一匹の鳥が木に止まっていた。

僧は鳥に向かって微笑む。鳥は美しい声で鳴く。

その鳥は言葉を話すことができない僧の嫁。かつて、僧が森で助けた鳥だった。

自分の嫁が鳥であったこと、自分の前からいなくなってしまったこと、突然、起きた出来事に僧は驚愕した。

それでも、僧は自分の嫁であった鳥に逢いたいと願った。


・・・もう一度、愛しいモノに逢いたいと願うなら、それ以外の己を捨てなさい。そうすれば、あなたが逢いたいと願うモノに逢うことが許される・・・


闇雲に嫁であった鳥を探す僧に、旅の巫女が告げた言葉。

僧は旅の巫女の言葉を信じた。嫁を諦めきれない想い以外のモノを捨てるためにと、出家した。もう一度、逢えるのならば、他のモノを捨てることに迷いはなかった。

僧の前から姿を消した鳥は、美しい声で僧に鳴く。

あの時に、自分の正体を僧に知られてしまった鳥は、約束に従い、僧の元を去った。森に帰った鳥は、自分の夫であった僧を想い、悲しみに明け暮れた。


・・・もう一度、愛しいモノに逢いたいと願うなら、この森を守る獣になりなさい。そうすれば、あなたが逢いたいと願うモノに逢うことが許される・・・


旅の巫女が、鳥に告げた。だから、鳥は〈片角の鹿〉の跡を継ぐ〈森の守り獣〉となった。

〈森の守り獣〉となった鳥は、森の獣でさえも遠慮する〈森の神〉の領域内に住むことを許された。そこで、鳥はかつての〈森の守り獣〉だった〈片角の鹿〉と盲目の娘に出会った。

〈森の守り獣〉からただの鹿に成り下がった〈片角の鹿〉は、〈森の神〉の領域内で盲目の娘と一緒に暮らしていた。〈片角の鹿〉と盲目の娘は、〈森の神〉から領域内で暮らすことを許されていた。

〈片角の鹿〉と盲目の娘は、互いに寄り添いながら、生きていた。愛しい存在と共にいられる彼らが、鳥は羨ましかった。

しかし、〈片角の鹿〉と盲目の娘が共にいられた時間は、わずかな三年だけだった。

盲目の娘は病におかされて亡くなった。盲目の娘を失った〈片角の鹿〉は、盲目の娘の後を追うかのように亡くなった。


「(後悔はない。私は愛し愛されて幸せだった)」


最後の時まで、盲目の娘と共に生きた〈片角の鹿〉は、眠るかのように息をひきとった。

鳥と僧は共に生きることができない。しかし、互いに存在を求め合うのなら、逢うことは許される。

それが、鳥と僧の決まりごと。

言葉を交わすこともない。肌を重ねることもない。一人と一匹の鳥は互いに触れ合うことはできない。それでも、一人と一匹の鳥は互いに求め合う。そこにいるのは、ただの男と女。

鳥の鳴き声が森に響く。

あの時、僧が正体に気がつかなかったら、正体を言わなければ、鳥と共に夫婦でいられたのではないか。あの時、鳥が僧を迎えに行かずに家で待っていれば、僧と共に夫婦でいられたのでないか。

一匹と一人がどんなに後悔をしても、過ぎた時は戻らない。かつての夫婦であった時のように、共に生きることはできない。

それでも、互いに生きられるのなら、逢うことが許されるのならば、それだけでいい。

女は鳴く。男は笑う。


(愛している)


想いだけを伝え合う。




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