途中書き
中間的ですが後書きっぽいものを書かせていただきます。
今回の「刑事法の無知な批判者に告ぐ」を読んでくれて本当にうれしいです。そもそもこのエッセイを書くきっかけは、「刑法三十九条~そして行く先へ」を書いている最中にどうしても報われる姿を書きたかったからです。しかし誰かを肩入れすればどこかの登場人物がどうしても報われなくなってしまうため、現代日本における刑法の仕組みを素人ながら解説しようと思ったわけです。
気づいたらたった一日で100人越えのpvだったので思わず叫んでしまいました……ここまでこの作品を評価していただき本当に作家冥利に尽きます。「愚痴」の回では刑法ではなく日本国憲法に対して解説させていただきました。これはどうしても語りたかったのでねじ込んでしまいました。タイトル詐欺のような形になってしまい申し訳ございません……
さて、何故自分が刑法について語りたくなったのかというと、youtube上のコメント欄にあったものに疑問を感じこのシリーズを書くに至っています。例えば再審請求中に「再審なんてするな」、「被害者が可哀そう」、「税金の食いつぶし」のような声があり、自分は大きな疑問を抱えました。
もちろん、被害に遭った方には酷なことかもしれません。しかし、再審を求めること自体許されないことなのでしょうか。犯罪被害者に再審に協力してほしいと言ったやばい人(道徳的には許されずとも権利とは別)はいます。自分が犯罪被害者というわけではないのでどうしてもその感情は慮り切れないですが、さっきの言動は許されるべきものではないでしょう。だとしても、権利を放棄させようと迫るネット社会に自分は恐怖を感じます。
犯罪者は権利を奪った側なのだから、権利なんて与えなくてもいいはずだという人もいるかもしれません。しかし、本当に無罪だったとしたらどうでしょうか。免田事件でも同じ悲劇がありました。無罪が裁判で確定しても犯罪者の烙印を押され続け普通の人生すら歩めずに生きた人もいます。権利はなければ、いざ自分がそうなったとき誰も助けはしてくれません。
裁判が終わっていないのに最初からネットで炎上させ社会で生きづらくさせるのは一体どういうつもりなのだろうかと思います。
所謂オールドメディアが不起訴の人を取り上げないことを解説しているyoutubeで最後まで報道しないオールドメディアに責任があると言った人がいます。違うだろと。法律的に有罪になるのは裁判の判決が確定したときだけで、それ以外ではすべて無罪なんです。最初から捕まった時点で晒上げる文化にどうしても自分は「嫌だ」と叫びたいです。これが痴漢冤罪なのに社会的に生きることを許さない雰囲気になっているし、容疑者・被告人や家族に対する誹謗中傷に繋がっているように感じます。
犯罪は許してはいけませんし、その環境を戒めるために叩くのはまだ良いと思います。でも重要なのはそこからです。犯罪者を「理解する」ことです。別に許さなくてもいい。ただ理解しなかったら、また同じことが起きるだけです。同じ悲劇を生みださないために一人一人がどのような社会を作るか考えるのが大切なはずです。
犯罪者に対する処罰は一つ一つに意味があるはずです。意味がなければ再犯者はただ増えるだけ。ただ苦しい刑にしても反動ではっちゃける可能性すらあります。どの程度が大切か。本当に必要なのか。常に考えてこそ、本当の「犯罪被害者の為」になるはずです。
どうか考え続けてほしい。それは日本国民としての義務であり権利ですから。
長文失礼いたしました、憲法や刑法について本当に微々たる量しか語れていません。なぜ犯罪者の顔が逮捕前はモザイクがかかっているのかなど疑問を持っていても調べようとしないのが現実(僕もです)です。これは自分自身の戒めで、自分に対する無知の知の自覚をするためでもあります。本当に怒ったとき、すぐにネットに書こうとするのではなく何が正義で悪で必要悪なのかを頭に思い浮かべてほしいです。
無知な批判者よ。考え続けなさい。正しさなんてこの世にはないのだから。
皆さんの評価待ってます!何か異論や疑問、反論があれば答えきれる限り対応するつもりです。どうかこれからもi/oをよろしくお願いします。(もしかしたら差し込み投稿するかもしれません。やっていたら温かく見守っていただくと嬉しいです……)




