その換気、大陸を動かす
目の前には、伝説の邪竜の死体。
横には、返り血にまみれてピースサインをする二番弟子・ミュウ。
そして、俺の愛する『麺処・断罪』は、竜の墜落によって半壊。
漂うのは、強烈な血の臭いと、砂埃。
「……臭ぇ」
俺は鼻をつまんだ。
これでは、繊細なガラン麺の香りが台無しだ。
飲食店にとって、異臭は天敵である。
早急に換気をしなければならない。
だが、この店には換気扇なんて上等なものはないし、そもそも壁も半分吹き飛んでいる。
「風通しを良くしてぇな……」
俺がボソリと呟いた、その時だ。
「承知いたしました、先生」
冷ややかな、しかし熱っぽい声が響いた。
いつの間にか、店の瓦礫の上に一人の少女が立っていた。
銀色の長髪を几帳面に切り揃え、片目にはモノクル(魔導レンズ)を装着した知的な美女。
白衣のようなローブを纏い、手にはタブレット型の魔導端末を持っている。
俺の三番弟子、『魔導技師』改め『叡智の支配者』――テトラだ。
「テトラか。久しぶりだな」
「はい。先生が『世界の理』に不満をお持ちだと聞き、馳せ参じました」
「(ただの換気の話なんだが……)」
テトラは、かつて俺が「道具の手入れ」や「火加減の調整」を叩き込んだ弟子だ。
だが、彼女の探究心は少し……いや、かなりズレていた。
俺が『鍋の温度を一定に保て』と教えれば、『大気中の熱エネルギーを支配すればいいのですね』と解釈し、気象操作システムを開発するような奴なのだ。
「先生は仰いましたね。『風通しを良くしたい』と」
テトラが眼鏡をクイッと押し上げる。
「ええ、同感です。この辺境は地形的に大気が澱みやすい。邪竜の死臭ごときが滞留するのは、この星の『自転速度』と『偏西風』の設計ミスです」
「……は?」
「ご安心ください。先生の厨房に最適な『微風』を届けるため、邪魔な障害物を排除いたします」
テトラが端末を操作する。
ピピピッ、と電子音が鳴り響く。
「衛星軌道兵器『天の槌』、接続。座標固定。ターゲット、南方大陸山脈」
「おい、待て」
「障害となっている山脈を消滅させ、海からの風を直送させます。ついでに、大陸プレートを少しズラして、気圧配置を最適化しますね」
「待てと言っている」
俺の制止は、彼女には「GOサイン」として届いたらしい。
「実行」
ズンッ。
空から、光の柱が降り注いだ。
俺の店の、遥か南。
視界の限界にある、巨大な山脈。
隣国との国境になっている天然の要塞が、光に呑まれた。
音はない。
あまりのエネルギー量に、音すらも消滅したのだ。
数秒後。
ドォォォォォォォォン!!!!
遅れて届いた衝撃波が、世界を揺らした。
山脈が、消えていた。
地図から数千メートルの山が消え、更地になったのだ。
直後、物理法則に従って、凄まじい暴風が吹き荒れた。
山脈という壁を失った海風が、スーパータイフーンとなって俺の店に襲いかかる。
「わあ! すごいですテトラ! 山がなくなりました!」
ミュウが戦斧を地面に突き刺し、風に耐えながら歓声を上げる。
「バカ野郎!! 風が強すぎるだろ!!」
俺は叫んだ。
これは換気ではない。災害だ。
時速数百キロの暴風が、俺のボロ小屋を、寸胴鍋を、そして俺自身を吹き飛ばそうと迫る。
「(スープがこぼれる……!!)」
俺は反射的に動いた。
寸胴鍋の前に立ち塞がり、手にした「湯切りザル」を構える。
迫り来る暴風。
瓦礫、砂、そして竜の死体までもが風に乗って飛んでくる。
俺は、ザルを振った。
スキル発動――【絶対滑性】。
俺は自分自身と、店の周囲の空間の「摩擦」をゼロにした。
ヒュオオオオオオ……!
暴風が、俺の体に触れた瞬間、ツルリと滑った。
風は俺を押すことができない。
俺という存在に「引っかかる」ことができず、ただ滑らかに、俺の身体のラインに沿って背後へと受け流される。
店も同様だ。
俺が展開した「摩擦ゼロ領域」によって、暴風は店を避けるように分岐し、後ろへと抜けていく。
「……ふぅ」
俺はザルを下ろした。
店の周りは更地になっていたが、店とスープだけは無傷だった。
そして、臭いも消えていた。
邪竜の死体ごと、暴風が彼方へ運び去ってくれたからだ。
「素晴らしい……!!」
テトラが頬を紅潮させ、震えていた。
「大陸規模の気象変動すらも、先生は『柳に風』と受け流すのですか! 『災害』という概念すら、先生の肌の上では滑って止まらない……!」
「(死ぬかと思った……)」
「やはり先生は、『世界の理』の外側にいらっしゃる。私の計算など、先生の『湯切り』の前では児戯に等しいのですね!」
テトラは感極まって、跪いた。
「申し訳ありません。私の『空調設定』が甘うございました。次は、太陽の活動を抑制して、気温をあと二度下げてみせます!」
「やめろ。二度とやるな」
俺は疲労困憊で、椅子(瓦礫)に座り込んだ。
スープは守った。
臭いも消えた。
だが、店の前には、かつて山脈だった場所から吹き込んできた「海水」が水たまりを作っていた。
「……塩っぽいな」
俺は呟いた。
潮風のせいだ。
だが、弟子たちはその言葉を聞き逃さなかった。
「……『塩』……!」
ミュウとテトラが顔を見合わせる。
そこへ、空から一番弟子・エリザが帰還した。
純白のドレスを真紅の血で染め上げ、満面の笑みで。
「ただいま戻りました先生! 教皇庁は『浄化』完了です! あら? 地形が変わっていますね?」
「エリザ、聞いてくれ。先生が『塩』をご所望だ」
「まあ!」
エリザの目が輝く。
「塩……つまり『浄め(きよめ)』ですね! 教皇庁だけでは足りず、海そのものを浄化しろと! 海洋国家の艦隊を沈め、海を血(塩)で染め上げろという神託ですね!」
「違う(断言)」
俺は否定しようとした。
だが、三人の弟子たちは既に作戦会議に入っていた。
ミュウ「海かぁ。じゃあ次は『リヴァイアサン』を狩ればいいんですね! 刺し身にしましょう!」
テトラ「海流を操作して、敵国の港を干上がらせます。塩の専売特許を奪えば、経済的に支配できます」
エリザ「異教徒の島々を沈めて、海水を聖水に変えてきますね♡」
「……お前ら、とりあえず座れ。ガラン麺を食わせてやる」
俺は諦めた。
こいつらを止めるには、胃袋を掴んで黙らせるしかない。
俺は最高の湯切りで、伸びていない麺を三杯、用意した。
「いただきますッ!!」
弟子たちが麺をすする。
ズルズルッ!
その瞬間、三人の動きが止まった。
「……硬い」
ミュウが呟く。
「……重い」
テトラが呟く。
「……深いです」
エリザが涙を流す。
「この無骨な歯ごたえ……まるで先生の『無慈悲な愛』そのもの! 噛めば噛むほど、罪の味がします!」
「(ただのガランの実の味だ……)」
「美味しいです先生! この味を世界に広めるためにも、やはり世界征服が必要ですね!」
「結論が飛躍してるんだよ!」
こうして。
俺の店には、三人の最強(最凶)の弟子たちが住み着くことになった。
俺はただ、平和に麺を打ちたいだけなのだが。
彼女たちが「食材調達」や「環境整備」に出かけるたびに、地図から国が消え、地形が変わり、俺の指名手配ランクが上がっていく。
「店主! 特盛一丁!」
不意に、客の声がした。
見れば、瓦礫の山となった店の前に、ボロボロの鎧を着た男が立っている。
第一話で俺にパンツ一丁にされた、騎士団長アイゼンだ。
「……貴様、まだいたのか」
「ふん。勘違いするな。貴様を捕らえるために、まずは貴様の作った『毒物(麺)』を調査してやるだけだ」
アイゼンは震える手でカウンターに銅貨を置いた。
どうやら、部下にも見捨てられ、空腹で動けなくなっていたらしい。
「……へい、お待ち」
俺は苦笑して、ガラン麺を出した。
敵だろうが味方だろうが、腹を空かせた奴に飯を出す。
それが、引退した俺の、唯一の「正義」だった。




