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その一太刀、概念すらも滑らせる

地響きと共に、店の前に巨大な邪竜が墜落した。


俺は麺切り包丁を持ったまま、店の外に出た。


そこには、瀕死の邪竜が横たわっていた。


全身傷だらけだが、まだ生きている。金色の瞳が、憎悪と恐怖を湛えて俺を睨んだ。


「持ってきましたよ先生! 伝説の邪竜です!」


ミュウが竜の頭の上でピースサインをしている。血まみれだ。


「こいつの鱗はダイヤモンドより硬く、その骨は神話級の金属に匹敵します! これなら先生の『噛みごたえ』を満足させられるはず!」


「……デカすぎて邪魔だ」


「はい! ですので、先生の手で『調理トドメ』をお願いします! こいつ、私の攻撃じゃ皮一枚しか斬れなくて……まだ活きが良いんです!」


邪竜が、ギロリと俺を見た。


俺の手にある、小さな麺切り包丁を見る。


そして、鼻で笑った。


『グルルル……人間風情が。そのナマクラで、我の鱗を傷つけられると――』


邪竜が大きく息を吸い込む。


ブレスだ。


こいつは、俺ごと店を焼き払うつもりだ。


「……チッ」


俺は舌打ちをした。


この距離でブレスを吐かれたら、今仕込んでいるスープが蒸発してしまう。


それだけは避けなければならない。


俺は包丁を構えた。


狙うのは、竜の首ではない。


竜の周囲に漂う「空気」と「魔力」の流れだ。


料理の極意とは、素材の抵抗をなくすことにある。


硬い肉も、筋に沿って刃を入れれば抵抗なく切れる。


ならば、この世で最も硬い竜の鱗もまた、摩擦(抵抗)さえゼロにすれば、ただの水と同じだ。


「……邪魔だ、どいてな」


俺は、手首を返した。


麺を切る動作そのままで。


スキル発動――【絶対滑性フリクション・ゼロ】。


スパン。


音が、あまりにも軽かった。


小気味よい、麺を切るリズムのような音。


俺の包丁が振り下ろされた瞬間、邪竜のブレス――超高熱の炎が、俺の目前でツルリと滑った。


俺の体に触れることすらできず、摩擦ゼロの空間を滑り、明後日の方向へと霧散する。


そして、刃。


物理法則を無視した「抵抗ゼロ」の斬撃は、距離という概念すら滑り抜け、邪竜の首へと到達した。


硬度など関係ない。


そこに「切断」という結果だけが滑り込む。


ズ……ル…………。


巨大な邪竜の首が、ゆっくりと胴体から滑り落ちた。


断面は鏡のように滑らかで、血の一滴すら噴き出さない。


あまりの切れ味に、細胞が自分が死んだことに気づいていないのだ。


「……よし。これでスープの温度は守られた」


俺は包丁を布で拭い、腰に戻した。


振り返ると、ミュウが腰を抜かして震えていた。


「……あ、あぁ……」


「ん? どうした、ミュウ」


「す、素晴らしい……!!」


ミュウは、恍惚とした表情で俺を見上げていた。


「見ましたか、今の! 邪竜の『概念』そのものを断ち切る、神速の一太刀! 防御も、耐久力も、生命力も、全てを『無意味』へと滑らせる、絶対的な死の舞踏!」


「(ただ切っただけなんだが……)」


「やはり先生は最強です! 私なんて、まだまだ『下ごしらえ』もできていなかったのですね!」


ミュウは邪竜の死体に飛びつくと、その巨大な牙を引っこ抜いた。


「先生! この牙で、先生専用の『箸』を作ります! これなら折れませんよね!?」


「いや、割り箸でいいんだが」


「いえ! この邪竜の肉も、全て解体して先生に捧げます! 最高級のチャーシューにしましょう!」


ミュウは嬉々として、自分の体より大きな竜の解体を始めた。


その背中には、「もっと殺したい」「もっと褒められたい」という純粋すぎる殺意(愛情)が溢れていた。


俺はため息をつき、店の中に戻った。


寸胴鍋を覗き込む。


スープは、無事だった。


だが。


「……なんか、獣臭てぇな」


俺は呟いた。


店の前に、竜の死体が山積みになっているせいだ。


これでは客が寄りつかない。(元々いないが)


だが、俺のその呟きを聞き逃さない者がいた。


いつの間にか店の隅に立っていた、三人目の弟子。


『魔導技師』改め『叡智の支配者』――テトラだ。


「……臭う、ですか。そうですね、先生」


眼鏡を光らせ、テトラがボソリと呟く。


「この世界の大気マナそのものが、澱んでいるのです。だから臭うのです」


「(いや、竜の血の匂いだって)」


「わかりました。先生が快適に呼吸できるよう、世界の『換気システム(気象)』を、根本から作り直す必要がありますね」


テトラの手には、怪しく光る魔導端末が握られていた。


画面には、【衛星軌道兵器・起動準備完了】の文字。


「先生、少し揺れますよ。大陸の配置をズラしますので」


「は?」


俺はまだ知らない。


麺の「コシ」を求めた結果、物理的に世界地図が書き換わろうとしていることを。


これは、ただ旨い麺を作りたいだけの元・処刑人が、その滑らかな「湯切り」ひとつで、弟子たちの暴走すらもツルリと受け流し(きれずに)、世界を混沌の渦へと叩き込んでいく物語である。

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