そのコシ、邪竜をも噛み砕く
店がない。
正確には、壁と屋根の半分がない。
荒野のド真ん中、俺の愛する『麺処・断罪』は、先日の一番弟子・エリザの襲来(と称した騎士団殲滅)によって、見るも無残な半壊状態になっていた。
「……換気が良くて清々しいな、畜生」
俺――ガルド(37)は、青空の下でスープを煮込んでいた。
店は壊れたが、厨房器具は無事だ。俺のスキル【絶対滑性】で、瓦礫がすべて厨房を避けて滑り落ちたからだ。
だが、問題は設備ではない。
もっと根本的なところにあった。
「……弱ぇ」
俺は試作の『ガラン麺』を一本すすり、顔をしかめた。
コシがない。
ガランの実の配合を変えてみたが、どうにも歯ごたえが足りないのだ。
噛んだ瞬間に押し返してくるような弾力。
喉を通る時の、暴力的なまでの存在感。
それが足りない。
「もっとこう……ガツンとくる『骨』のあるヤツじゃなきゃ、俺の渇きは満たせねぇ」
独り言を漏らした、その時だった。
ズドオオオオオオオオオオオン!!!
店の前の荒野が、爆発した。
いや、何かが空から降ってきたのだ。隕石のような勢いで。
舞い上がる砂煙。
そこから、一人の少女が姿を現した。
身長は俺の胸ほどもない小柄な体躯。
だが、その手には身の丈の二倍はある巨大な戦斧が握られている。
濡れたような黒髪をショートカットにし、獣の毛皮をワイルドに纏った少女。
俺の二番弟子、『暗殺者』改め『狩猟王』――ミュウだ。
「先生ッ!! お久しぶりですッ!!」
ミュウは砂埃を切り裂いてダッシュすると、俺の目の前で直角に土下座した。
地面がひび割れた。
「……ミュウか。生きてたか」
「はいッ! 先生に森へ捨てられてから三年、死ぬ気で生き延びてきました!」
「(捨てたんじゃなくて、自然の中で穏やかに暮らせって言ったんだが……)」
俺は寸胴鍋をかき混ぜながら、過去を回想する。
ミュウは、天性の身体能力を持っていた。
戦災孤児だった彼女を拾い、処刑人の助手として身の軽さを教えた。
だが、ある日、俺は彼女が返り血を浴びて無邪気に笑う姿を見て、ゾッとしたのだ。
――このままじゃ、この子は血に溺れる。
――人の命を奪う感触なんて、知らなくていい。
だから俺は、彼女を森の入り口まで連れて行き、こう言って突き放した。
『お前はもう俺の元にいちゃいけねぇ。もっと広い世界で、デカい相手と向き合ってこい』
それは、「森の動物たちと触れ合って、命の尊さを学べ」という意味だった。
殺し合いではなく、自然との共生の中で、普通の少女としての幸せを見つけてほしかったのだ。
だが。
顔を上げたミュウの瞳は、肉食獣のようにギラついていた。
「先生のあのお言葉……『雑魚(人間)の首を狩るごときで満足するな。食物連鎖の頂点に立つ神獣どもの首を獲ってこい』という激励! このミュウ、片時も忘れたことはありません!」
「(言ってねぇよ……)」
俺は頭を抱えたくなった。
どうやら彼女は、俺の言葉を「森の生態系を絶滅させる勢いで殺しまくれ」と解釈したらしい。
「おかげさまで、『狩猟王』なんて二つ名を頂戴しました! 北のフェンリル、南のベヒーモス、東のクラーケン……すべて『食材』として解体済みです!」
「食材……まあ、食うならいいか」
「ですが先生! 先ほどのお言葉、聞き捨てなりません!」
ミュウがガバッと立ち上がる。
その殺気に、鍋のスープが波打った。
「先生は仰いましたね? 『骨のあるヤツが足りない』と!」
「……ああ、言ったな」
「やはり! 先生ほどの御方にとって、この辺境の魔獣など、柔らかすぎる豆腐のようなもの! 噛みごたえも張り合いもない、退屈な時間をお過ごしだったのですね!」
ミュウの目から、ポロポロと涙がこぼれる。
「申し訳ありません! 私がもっと早く、先生の『牙』を満足させる獲物を用意すべきでした!」
「いや、俺が言ってるのは麺の……」
「わかっております! 『面』構えの良い敵ですね!?」
ブンッ!
ミュウが戦斧を振るう。
その風圧だけで、店の屋根の残り半分が吹き飛んだ。
「……あ」
「行って参ります先生! 最高の『歯ごたえ』を! 先生が本気で噛み砕ける、極上の『骨』を持つ獲物を、今すぐ狩って参ります!!」
止める間もなかった。
ミュウは地面を爆破するように蹴り飛ばし、弾丸となって空の彼方へ消えていった。
「……屋根が」
俺は吹きっさらしになった店内で、乾いた笑いを漏らした。
まあいい。どうせ客は来ない。
俺は気を取り直して、麺打ちを再開した。
◆
数時間後。
空が急に暗くなった。
雲ではない。
巨大な影が、太陽を遮ったのだ。
ギャアアアアアオオオオオオオオ!!!
大気を震わす咆哮。
見上げれば、全長百メートルはあろうかという、禍々しい黒竜が空を覆っていた。
『伝説の邪竜・ニーズヘッグ』。
千年に一度目覚め、国を一つ食い尽くすと言われる、生きた厄災である。
その邪竜が、なぜか必死の形相で羽ばたいている。
いや、違う。
逃げているのだ。
「逃がすかぁぁぁッ!! 先生の『ランチ』になるんだよォォォッ!!」
邪竜の背中に、小さな影がへばりついていた。
ミュウだ。
彼女は戦斧を竜の鱗に突き立て、無理やり降下させている。
「落ちろオオオオオッ!!」
ズゥゥゥゥゥゥン!!!!
巨大な質量が、店の目の前に落下した。
地響きと共に、砂煙が舞い上がる。
俺のスープに砂が入る。本日二度目だ。




