その海の家、前線基地につき
暑い。 殺人的な暑さだ。
荒野のボロ小屋『麺処・断罪』は、直射日光を遮るものがないため、店内がオーブン状態になっていた。
「……茹だる」
俺――ガルド(37)は、茹で上がる前の麺のような顔で呟いた。 これでは、熱々のガラン麺など誰も食わない。 俺自身、厨房に立つだけで命の危険を感じる。
「夏は『冷やし』に限るな」
俺は独り言を漏らした。 冷たく締めた麺を、酸味の効いたタレで食べる。 そのためには、氷と、新鮮な魚介類が必要だ。
「……海か」
俺は南の方角を見た。 先日、テトラが山脈を消し飛ばしたおかげで、ここから海へのルートが開通している。
「よし、行くぞお前ら。海だ」
俺はエプロンを脱ぎ捨てて宣言した。
「出店を出すぞ」
その瞬間。 熱ダレしていた三人の弟子たちが、バネ仕掛けのように跳ね起きた。
「海……! ついに『海洋進出』ですね!」
一番弟子・エリザが目を輝かせる。
「先生は、陸の支配だけでは飽き足らず、七つの海をも手中に収めると仰るのですね!」
「海鮮! 海鮮!」
二番弟子・ミュウがヨダレを垂らす。
「クラーケン! シーサーペント! 全部踊り食いしましょう!」
「海洋資源の独占……合理的です」
三番弟子・テトラが防水仕様のタブレットを起動する。
「海底油田およびレアメタル鉱脈の採掘権を確保しつつ、敵国の港湾都市を海上封鎖します」
「(……海水浴に行くだけなんだが)」
俺は訂正する気力も溶けていた。 まあいい。荷物持ちは多いほうがいい。
「おいアイゼン、お前も来い。荷物持ちだ」
「断る! 私は高潔な騎士……」
「海で『焼きとうもろこし』食わせてやる」
「……浮き輪を持ってくる」
アイゼンは即座に準備を始めた。 チョロいもんだ。
こうして、俺たちは灼熱の荒野を抜け、海へと向かった。 目的は、夏季限定の海の家経営。 だが、一行の装備は完全に「ノルマンディー上陸作戦」のそれだった。
◆
数時間後。 俺たちは海に到着した。
「おお……広いな」
目の前に広がるコバルトブルーの海。 白い砂浜。 本来なら絶景だが、この世界の海は魔獣の巣窟であるため、一般人は寄り付かない。 つまり、プライベートビーチだ。
「さあ、まずは『拠点』作りだ」
俺は言った。 海の家を作るには、まず場所を確保しなければならない。
「承知いたしました、先生」
テトラが一歩前に出た。
「先生が快適に指揮を執れるよう、最強の『海の家』を構築します」
テトラが海に向かって何かを投げた。 小さな金属片だ。 それが海面に触れた瞬間。
ガシャン! ウィィィィン……!
金属片が自己増殖を始め、瞬く間に巨大な建造物を形成していく。 数分後。 砂浜には、チタン合金製の強固な要塞がそびえ立っていた。 屋根にはレーダー、壁には迎撃ミサイル(花火用らしい)、入り口には「麺」と書かれたネオンサイン。
「……やりすぎだ」
俺は呆れた。 だがまあ、頑丈なのはいいことだ。
「次は食材だ。ミュウ」
「はいッ! 獲ってきます!」
ミュウが水着(獣の皮の面積を極限まで減らしたような際どい布)姿で、海にダイブした。
ドッゴォォォォォォン!!!
水柱が上がり、数秒後。 巨大な鮫や、深海魚の死体が次々と浜辺に打ち上げられた。
「とったどー!!」
「(……鮮度は抜群だな)」
俺は頷いた。 これなら、いい出汁が取れる。
「では先生、私は『環境』を整えますね♡」
エリザが純白の水着(後光が差していて直視できない)で海辺に立つ。
「この海は穢れています……。先生の聖なる麺を洗うには、水質が悪すぎます!」
「浄化の光よ! 海を清めたまえ! ピュリファイ・オーシャン!!」
カッッッ!!!!
海が光った。 その瞬間、ドス黒かった海水が、クリスタルウォーターのように透明になった。 ついでに、邪悪な魔魚たちが一瞬で昇天し、プカプカと浮かんできた。
「……死の海になったな」
俺は遠い目をした。 バクテリアまで死滅してそうだ。
「よし、開店だ」
俺は要塞(海の家)の厨房に入った。 メニューは『冷やしガラン麺』。 ガラン麺を氷水でキンキンに締め、ミュウが獲った魚介出汁のスープをかける。 具材は、謎の深海魚の刺し身と、エリザが育てた巨大海藻だ。
「いらっしゃいませー」
俺は棒読みで叫んだ。 客はいない。 いるのは、浜辺で日光浴をしているアイゼンだけだ。
「……客、来ねぇな」
当たり前だ。 魔獣の海に、好き好んで来る人間などいない。
「先生、集客しましょうか?」
テトラが提案する。
「海流を操作して、航行中の商船や海賊船をこの浜辺に『漂着(強制連行)』させます」
「やめろ。それは難破だ」
俺が止めた、その時だった。
ザバァァァァァァッ!!!
海面が大きく盛り上がった。 巨大な影が、太陽を遮る。
現れたのは、八本の触手を持つ巨大なイカ――伝説の魔獣『クラーケン』だった。 その大きさは、俺たちの要塞(海の家)ほどもある。
「グルルル……我ガ海ヲ荒ラスノハ誰ダァ……」
クラーケンが唸る。 どうやら、エリザの浄化魔法とミュウの乱獲にキレて、文句を言いに来たらしい。
「(……デカいな)」
俺はクラーケンを見上げた。 恐怖はない。 あるのは、料理人としての「品定め」の目だけだ。
「おい、イカ」
俺は厨房から顔を出した。
「新鮮そうだな。……焼きそばに入れると美味そうだ」
「ナンダト……? 人間風情ガ、我ヲ食ウダト?」
クラーケンが激怒し、巨大な触手を振り上げた。
「死ネェェェェ!!」
触手が、俺の店(要塞)目掛けて叩きつけられる。 質量数トンの暴力。 直撃すれば、チタン合金の要塞もペしゃんこだ。
「先生! 迎撃します!」
ミュウが飛び出そうとする。
「待て。俺がやる」
俺は制した。 せっかくの食材だ。ミュウに任せると、ミンチになってしまう。 俺は、厨房から出た。 手には、麺切り包丁ではなく、巨大な「氷かき用のノミ」を持っていた。
「……かき氷のついでだ」
俺は浜辺に立った。 迫りくる触手。
俺は、一歩踏み出した。 砂浜ではない。 海面へ向かって。
スキル発動――【絶対滑性】。
俺は、足の裏と海水との間の摩擦をゼロにした。 そして、表面張力を利用して、水の上を「滑る」。
スーーッ……。
俺の体は沈まない。 アメンボのように、いや、それ以上に滑らかに、俺は海面を滑走した。
「なッ!? 人間ガ、海ヲ滑ッテイルダト!?」
クラーケンが驚愕する。 その隙に、俺は懐へと潜り込んだ。
「邪魔だ。どいてな」
俺は、手にしたノミを振るった。 狙うのは、触手の付け根。
スパンッ。
抵抗はない。 クラーケンの強靭な筋肉も、分厚い皮も、俺の「摩擦ゼロ」の刃の前では、ただの水と同じだ。
ズズズンッ!!
一本の触手が切り落とされ、海面に落ちた。 断面があまりに滑らかなため、クラーケンはまだ痛みに気づいていない。
「……次」
俺は海面を滑りながら、次々と触手を切り落としていった。 まるで、大根の桂剥きのように。
「ギャアアアアアア!? 我ノ足ガァァァァ!?」
クラーケンが悲鳴を上げる。 だが、遅い。 俺は既に、本体(頭部)の前にいた。
「イカはな、締めなきゃ不味くなるんだよ」
俺はノミを、クラーケンの眉間(急所)に突き立てた。
ツルッ。
ノミが、抵抗なく脳幹へと滑り込む。 クラーケンの動きが、ピタリと止まった。 即死だ。
「……よし。これで鮮度は保たれる」
俺は息を吐き、海面を滑って浜辺に戻った。 背後には、綺麗に解体された巨大なイカの山。
「す、すごいです先生……!」
エリザが、顔を赤らめて駆け寄ってくる。
「海の上を歩くなんて……! やはり先生は救世主!」
「(滑ってただけだ)」
「あの巨大なイカを、瞬きする間に『調理』されるとは……! 海の生態系すら、先生のまな板の上なのですね!」
ミュウが興奮して触手を抱きしめている。
「先生、イカ焼きにしましょう! 醤油の匂いで客を呼び寄せます!」
「そうだな。……おいアイゼン、炭をおこせ」
俺は指示を出した。
その日。 『麺処・断罪・海の家支店』からは、強烈なイカ焼きの匂いが漂った。 その匂いにつられて、近海の海賊船や、マーメイドたちが恐る恐るやってきた。
「なんだこの美味そうな匂いは……」 「店主! イカ焼きくれ!」
客が来た。 まともな(?)客だ。
「へい、いらっしゃい。……冷やしガラン麺もあるぞ」
俺は、最高の笑顔(営業スマイル)で迎えた。 イカ焼きと、冷やし麺。 そして、三人の美少女(?)店員。
店は大繁盛した。 海賊たちは、エリザに改宗させられ、ミュウに腕相撲で負け、テトラに法外な値段をふっかけられていたが、それでも美味いと言って食べていった。
「……悪くねぇな、海も」
俺は夕日を見ながら、焼きとうもろこしをかじった。 隣では、アイゼンが「うまい、うまい」と泣きながらイカを食べている。
こうして、俺たちの短い夏休み(営業)は終わった。 なお、俺たちが去った後、この浜辺には『魔獣を一瞬で解体する伝説の料理人が住む聖地』として、巨大な石碑が建てられたらしい。




