その裁縫、重すぎて着れない
ある日の午後。 ランチタイム(客はゼロ)が終わり、俺――ガルド(37)は、エプロンを外してため息をついた。
「……そろそろ限界か」
俺が愛用しているこの紺色のエプロン。 処刑人を引退して麺屋を始めるときに買った安物だが、長年の湯切りと油ハネ、そして弟子たちの起こす爆風に晒され、生地がボロボロになっていた。 特に、紐の付け根がちぎれかけている。
「新しいのを買うか、縫うか……」
俺が独り言を漏らした、その時だ。
「先生!! お待ち下さい!!」
バァン! 厨房のドアが開き、一番弟子・エリザが飛び込んできた。 彼女は俺の手からエプロンをひったくると、悲痛な叫びを上げた。
「なんということでしょう……! 先生の『聖骸布』が、こんなにお傷みになられて……!」
「ただの布切れだ。買い換えるよ」
「なりません! これは先生が麺屋として歩んでこられた、歴史そのもの! 汗と油と、幾多の敵(食材)の魂が染み込んだ、国宝級のアーティファクトです!」
エリザはエプロンを頬ずりし、うっとりとしている。 汚いからやめろ。
「先生。このエリザにお任せください」
エリザが立ち上がり、胸に手を当てた。
「私が、お直しいたします」
「お前がか? 裁縫なんてできるのか?」
俺は疑いの目を向けた。 彼女は「殲滅聖女」だ。 破壊と浄化は得意だが、創造や修復といった繊細な作業ができるとは到底思えない。
「心外です、先生! これでも私は『花嫁修業』の一環として、裁縫スキルを極めております!」
エリザの目がギラリと光る。
「針仕事とは、すなわち『結合』と『再生』の儀式。破れた布(世界)を繋ぎ合わせ、綻びを正す……これぞ聖女の務めではありませんか!」
「(……まあ、ボタン付けくらいなら任せるか)」
俺は頷いた。 新しいのを買う金も惜しいし、直るならそれに越したことはない。
「じゃあ頼む。普通の糸で、普通に縫ってくれよ」
「はい! 『普通』ですね! 全身全霊の愛を込めて、修復させていただきます!」
エリザはエプロンを恭しく抱え、自分の部屋へと去っていった。 その背中からは、戦場に向かうような凄まじいオーラが立ち上っていた。
……嫌な予感しかしない。
◆
数時間後。 エリザの部屋から、異様な音が響き始めた。
キィィィィィィン……!!
金属音だ。 それも、高周波で空間を切り裂くような。
「……おい、エリザ。何してるんだ?」
俺は心配になって、部屋を覗いた。 そこには、鬼気迫る形相で針を握るエリザの姿があった。
「くっ……! 硬い……! やはり先生の聖なる装備、生半可な針では通りませんか……!」
彼女の手にあるのは、裁縫針ではない。 どう見ても、ミスリル製の『千枚通し』だ。 そして糸は、キラキラと光る金属製のワイヤーに見える。
「おい、その糸なんだ?」
「はい! 『ヘヴンズ・スパイダー』の吐き出す鋼糸に、私の魔力を編み込んだ『聖女の髪の毛』です!」
「怖ぇよ! 普通の木綿糸を使え!」
「いえ! 先生の激しい『湯切り』の衝撃に耐えるには、ドラゴンのブレスすら防ぐ強度が必要です! 布の防御力を底上げするため、防御結界も5重に縫い込んでおきますね♡」
ズドドドドドド! エリザの手が高速で動き、エプロンに魔術文字のような刺繍が刻まれていく。
「見えました……! 布の繊維の隙間、ミクロの世界が! そこへ慈愛(魔力)を流し込み、分子レベルで結合させます!」
「縫うな! 融合させるな!」
俺の制止も虚しく、エリザはトランス状態に入っていた。 彼女にとって、これはただの裁縫ではない。 俺を守るための「鎧」の作成であり、俺への「愛」を物理的に刻み込む儀式なのだ。
「先生……大好きです……。このひと針ひと針に、私の想いを込めて……絶対に解けないように、永遠の『呪い(愛)』を……!」
「(重い……物理的にも精神的にも重い……)」
俺はそっと扉を閉めた。 見てはいけないものを見た気がした。
◆
夕方。 エリザが、完成したエプロンを持って厨房に現れた。
「先生! 完成いたしました!」
彼女が差し出したエプロンは、以前とは別物になっていた。 ボロボロだった紺色の布は、神々しいプラチナの輝きを放ち、全体に金糸で複雑な幾何学模様(防御術式)が刺繍されている。
「……着てみてください」
エリザが期待に満ちた瞳で見つめてくる。 俺は恐る恐る、エプロンを手に取った。
ズシッ。
「……重っ」
布の重さじゃない。鎖帷子の重さだ。
「さあ、どうぞ!」
俺は仕方なく、首に紐を通し、腰紐を結んだ。
ブォォォォォォン……。
着た瞬間、身体の周りに半透明のバリアが展開された。
「完璧です! これで核魔法が直撃しても無傷です! さらに『自動修復機能』と『汚れ耐性』、おまけに『着用者の体力を徐々に回復するリジェネ効果』も付与しておきました!」
「……肩が凝る」
俺は本音を漏らした。 こんな重装備で麺が打てるか。
「それに、ここ」
俺は、エプロンのポケットの端を指差した。 そこだけ、糸が少し赤く染まっていた。
「……血が付いてるぞ」
エリザがハッとして、慌てて手を後ろに隠した。
「も、申し訳ありません! 浄化し忘れて……いえ、これは『模様』です! 愛の赤です!」
「見せてみろ」
俺は強引に、エリザの手を取った。 白く華奢な指先。 その人差し指と親指が、無数の刺し傷で腫れ上がっていた。 硬いミスリルの針と鋼糸を、無理やり素手で扱った代償だ。
「……バカ野郎」
俺は呟いた。 世界を滅ぼすほどの魔法が使えるくせに、針仕事ひとつでこんなボロボロになりやがって。
「先生、汚いです! 離してください!」
エリザが恥ずかしそうに顔を伏せる。 聖女として、完璧な自分を見せたかったのだろう。 こんな不細工な傷だらけの手、見られたくなかったはずだ。
だが。
「……じっとしてろ」
俺はカウンターの下から、救急箱を取り出した。 そして、消毒液と絆創膏を取り出す。
「指、出せ」
「え……?」
俺はエリザの指一本一本に、丁寧に消毒液を塗り、絆創膏を巻いてやった。 かつて処刑人時代、自分の傷の手当てをしていた技術だ。 手慣れたものだった。
「……不器用だな、お前は」
俺は言った。
「こんなガチガチに縫わなくても、普通の糸で十分だったんだ。……でもまあ、丈夫そうではあるな」
エリザが、ぽかんとして俺を見ている。 その瞳が、次第に潤んでいく。
「先生……」
「ほら、終わったぞ」
俺が手を離そうとすると、エリザがギュッと俺の手を握り返してきた。
「あの、先生……」
「なんだ」
「このエプロン……一生、着てくださいますか?」
「一生は無理だ。サイズが変わる」
「じゃあ、私が一生、お直しし続けます!」
エリザの顔が、林檎のように真っ赤に染まっていた。 その笑顔には、いつもの「狂気」はなく、ただ純粋な「乙女」の喜びだけが浮かんでいた。
「先生に手当していただいた……この指、一生洗いません!」
「洗え。不衛生だ」
「はい! では、この絆創膏を『聖遺物』として保存し、代々語り継ぎます!」
「捨てろよ……」
俺は呆れて、エプロンの紐を締め直した。 重い。 確かに重い。 だが、不思議と嫌な重さではなかった。
「……ま、ありがとな。大事にするよ」
俺がボソリと言うと、エリザは「きゃーっ!」と叫んで、嬉しさのあまり窓から飛び出していった。 空中で爆発音がした。 たぶん、嬉しすぎて魔力が暴走したのだろう。
「(……手のかかる弟子だ)」
俺は苦笑して、厨房に立った。 その日のガラン麺は、いつもより少しだけ、優しい味がした気がする。
後日談
翌日から、エリザの指には、俺が貼ってやった安物の絆創膏が、最高級の『保存魔法』でコーティングされ、宝石のように輝く状態で鎮座することになった。 彼女はそれを見せびらかすように、他の弟子たち(ミュウとテトラ)にマウントを取り始めた。
「あら、ごきげんよう。この絆創膏ですか? ええ、先生からの『愛の証(婚約指輪)』ですのよ」
「ズルいです! 私も指を怪我してきます!」(ミュウが自分の指を噛もうとする)
「待ってください。自傷行為は先生の美学に反します。あくまで『家事労働による名誉の負傷』を装う計算が必要です」(テトラが計算機を叩く)
騒がしい店内で、俺は今日も無心で麺を打つ。 鋼鉄のように硬いエプロンが、カシャン、カシャンと音を立てながら。




