その訪問、近所迷惑につき
東の樹海『迷いの森』。
そこは、足を踏み入れた者が二度と戻れないと言われる、天然の要塞だ。
「うわぁ、木ばっかりですね」
ミュウが退屈そうに、手近な巨木(樹齢千年)をデコピンでへし折った。
「こら、自然を大切にしろ」
俺は注意した。 これから取引相手になるかもしれない人たちの庭だぞ。
「先生、視界が悪いです」
テトラが霧を手で払う。
「この霧には『方向感覚を狂わせる毒素』が含まれています。一般人なら、吸った瞬間に三半規管が麻痺して嘔吐しますね」
「(なんで俺たちは平気なんだ?)」
「先生の『加護』が、毒素を弾いていますから」
エリザがうっとりと俺を見る。
「先生の周りだけ空気が美味しいです♡ マイナスイオンどころか、聖なる波動を感じます!」
「ただの麺の匂いだろ」
俺はさっきまで仕込みをしていたから、体からガラン麺の出汁の匂いがするはずだ。
「しかし、困りましたね」
エリザが立ち止まる。
「結界のせいで、道がわかりません。エルフたちは私たちを歓迎していないようです」
「感じ悪いな。客だぞ?」
「仕方ありません。森ごと焼き払って、『のろし』を上げましょうか? そうすれば向こうから出てくるはずです」
エリザが掌に超極大火球を作り出す。
「やめろ! 小麦粉が燃えるだろ!」
俺は慌てて火を消させた。 貴重な粉を炭にする気か。
「じゃあ、私が大声で呼びましょうか?」
ミュウが息を吸い込む。
「おーい!! 粉出せコラァァァァァァァ!!!!」
ビリビリビリ……!!
衝撃波で周囲の木々がなぎ倒され、鳥たちが気絶して落ちてきた。
「声がデカい! それじゃ強盗だろ!」
「え? 違うんですか?」
「違うわ!」
俺は頭を抱えた。 どいつもこいつも、デリカシーがない。
「いいか、交渉ってのはな、まずは相手の懐に入り込むことだ」
俺は言った。
「つまり、相手の『土俵』で勝負する。エルフは自然を愛する種族だ。だったら俺たちも、自然と一体化して近づくんだ」
「なるほど……!」
テトラが眼鏡を直す。
「つまり、光学迷彩で気配を消し、暗殺者のように背後を取れと?」
「なんでそうなるんだよ。普通に歩いて行けばいいんだよ」
俺は、目の前に立ち込める濃霧を見た。 この霧が、人を迷わせる原因だ。 空間が歪んでいるらしい。
なら、話は早い。
「ついて来い。俺が『道』を作る」
俺は一歩を踏み出した。
スキル発動――【絶対滑性】。
俺は、自分自身の「直進性」に対する抵抗をゼロにした。
「先生? そっちには木が……」
「関係ねぇ」
俺はスーーッと滑るように歩き出した。 目の前に巨木がある。 普通なら避ける。避ければ、方向感覚が狂う。 だから、避けない。
ぶつかる瞬間に、接触面の摩擦をゼロにする。
ヌルンッ。
俺の体は、巨木の表面を水滴のように滑り、最短距離で裏側へと抜けた。
「ええっ!?」
弟子たちが驚愕する。
「見ましたか! 先生が木に『吸い込まれて』、吐き出されました!」
「物理的な透過!? いいえ、極限の『受け流し』です!」
「待ってください先生! 私たち、そんな芸当できません!」
「気合でついて来い」
俺は構わず進んだ。 岩も、崖も、川も。 全て「滑って」越えていく。
俺の通った後には、摩擦が消滅した「ツルツルの獣道」が出来上がっていた。
「ひぃぃぃ! 地面が滑るぅぅぅ!」
「転ぶ! 転びます!」
弟子たちが、スケートリンクに放り出された子鹿のように転がりながらついてくる。
「キャハハ! 楽しいです先生! ジェットコースターみたい!」
ミュウだけは楽しそうだ。
10分後。 俺たちはあっさりと森を抜け、開けた場所に出た。
「……着いたな」
目の前には、美しい湖と、白亜の神殿のようなエルフの集落。
「早いです先生……」
エリザが髪を乱してゼェゼェ言っている。
「普通なら三日は迷う結界を、散歩のついでに踏破するとは……」
「さて、と」
俺は服の乱れを直した。 ここからは大人の交渉だ。
俺たちが里に足を踏み入れた瞬間。
ヒュンッ! ヒュンッ!
鋭い風切り音と共に、地面に矢が突き刺さった。
「止まれ、人間ども!!」
木の上から、数十人のエルフたちが弓を構えて現れた。 その中心に、金髪のイケメンエルフがいる。 リーダー格らしい。
「我が里に何用だ! 薄汚い人間が!」
イケメンエルフが罵声を浴びせてくる。
「(うわぁ、感じ悪ぅ……)」
俺は苦笑いした。 まあ、突然押しかけた俺たちも悪い。
「やあ、こんにちは」
俺は、できるだけ人の良さそうな笑顔(処刑人時代の営業スマイル)を作った。
「怪しいもんじゃない。ちょっと『粉』を譲ってほしくてな」
俺は揉み手をしながら言った。
その瞬間。 エルフたちの顔色がサァッと変わった。
「き、貴様ら……! やはり狙いは『粉』か!」
「人間の回し者め! 我らの秘宝を嗅ぎつけるとは!」
「ここは通さん! 我らの『楽園』は渡さんぞ!」
「(……? なんか話が噛み合わねぇな)」
俺は首を傾げた。 たかが小麦粉で、なんでこんなに必死なんだ? もしかして、今年は不作で在庫が少ないのか?
「おい、エリザ」
俺は小声で尋ねた。
「あいつら、なんであんなに怒ってるんだ?」
エリザは冷ややかな目でエルフたちを見上げ、俺に耳打ちした。
「先生、当然です。彼らは『禁断症状』が出ているのです」
「は?」
「長年の薬物汚染で、脳がやられているのでしょう。被害妄想が激しくなっています」
「いや、それはねぇだろ」
「可哀想に……。先生、彼らを救うには、一度組織を解体(物理)し、更生施設(牢屋)に入れるしかありません」
エリザが慈愛に満ちた(殺る気満々の)顔で杖を握る。
「待て待て、物騒なこと言うな」
俺は止めた。 きっと、値段の吊り上げ交渉だ。 足元を見られているんだ。
「わかった、わかった」
俺はエルフたちに向き直り、懐から金貨袋を取り出した。
「金ならある。言い値で買おう」
ジャラッ! 金貨の音が響く。
イケメンエルフが目を見開く。
「き、貴様……! 金で我らの誇りを買えると思っているのか!」
「足りないか? じゃあ、これでどうだ」
俺は追加で、テトラが開発した『万能調味料(化学の結晶)』の小瓶を取り出した。
「こいつを舐めれば、飛ぶぞ?」
(訳:料理の味が劇的に美味しくなりますよ)
エルフたちが戦慄する。
「な、なんだその怪しい粉は!?」
「まさか、新種の『薬』か!?」
「我らを薬漬けにして、傀儡にする気か! 悪魔め!」
「(……なんでだよ!!)」
俺は叫びたかった。 なんで普通に買い物ができないんだ。
「交渉決裂ですね、先生」
ミュウがボキボキと指を鳴らす。
「やっぱり、暴力しか伝わらないんですよ、この世は」
「先生、私の計算では、彼らの『聞く耳』を持たせるには、全治三ヶ月程度の打撲が必要です」
テトラがトンファーを取り出す。
「……はぁ」
俺は深いため息をついた。 平和な麺作りへの道は、どうしてこうも険しいのか。
「お前ら、手出し無用だ」
俺は前に出た。
「俺が、『話し合い(物理)』で解決する」
俺の手には、武器などない。 あるのは、昼飯で使った「割り箸」一本だけだ。
「……少し、滑らせてもらうぞ」
俺は割り箸を構えた。 エルフたちが一斉に弓を引き絞る。
戦いのゴングは、唐突に鳴らされた。 ただの小麦粉を巡る、仁義なき抗争の始まりである。




