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処刑人の麺屋


荒野のド真ん中に、ポツンと建つボロ小屋が一軒。


看板には、掠れた文字で『麺処・断罪ギルティ』と書かれている。


客は一人もいない。


当然だ。ここは帝国の最果て、魔獣と砂埃しか舞わない辺境なのだから。


だが、店主である俺――ガルドにとっては、この静寂こそが最高のスパイスだった。


「……いい茹で上がりだ」


俺は鍋の中で踊る、灰色で極太の麺を見つめた。


『ガラン麺』。


この辺境でしか採れない硬い木の実「ガラン」を粉にして打った、貧乏人の主食だ。


かつて帝国最強の処刑人として、数多の罪人の首を刎ねてきた俺の人生のように、灰色で、重く、そして硬い。


俺はふと、湯気の中に過去の記憶を見る。


かつて俺には、三人の弟子がいた。


戦災孤児だった彼女たちを拾い、処刑人の助手として育てた。


だが、いざ彼女たちが技術を身につけた時、俺は思ったのだ。


――こんな血なまぐさい仕事、若い娘にやらせるもんじゃねぇ。


処刑人は、人の命を奪う「汚れ仕事」だ。


俺の手はもう真っ黒だが、彼女たちの手はまだ綺麗だ。


だから俺は、彼女たちを鍛えるだけ鍛えた後、こう言って追い出した。


『お前らに教えることはもうねぇ。こんな狭い断頭台しょくばに縛られてないで、外の世界でデカいことやってこい』


あれは、俺なりの親心だった。


普通の幸せを掴んでほしかった。


だから俺も若くして隠居し、こうして念願の麺屋を始めたわけだが……。


「……ま、あいつらも今頃、どこかで幸せにやってるだろうよ」


俺はザル(テボ)を引き上げる。


感傷は、麺のコシを殺す。今は湯切りに集中だ。


茹で上がったガラン麺の表面には、粘り気のある水分が纏わりついている。


この水分が残っていると、スープの味がぼやける。


完全に、一滴残らず、水気を切り落とす。


そのためだけに、俺はこのスキルを極めた。


俺は今年で37歳になるが、物心ついた頃から刃物を握っていた。その人生のほとんど、約三十年を費やして練り上げた至高の技だ。


――生活魔法【滑性スリップ】。


床を滑りやすくしてゴキブリを転ばせる程度の、ハズレ枠のスキルだ。


だが、俺はその概念を書き換えた。


対象の「摩擦係数」を、限りなくゼロにする。


空気抵抗も、水分子の吸着力も、この世のあらゆる「抵抗」を無効化する。


「……ふっ!!」


俺は手首のスナップを効かせ、鋭くザルを振るった。


ヒュンッ!!


音が、置き去りにされる。


ザルが空気を切り裂く音すらしない。なぜなら、空気抵抗がゼロだからだ。


麺に付着していた水分は、麺との摩擦を失い、慣性の法則のみに従って、弾丸のような速度で床へと射出された。


完璧だ。


分子レベルで水気を切った麺を、俺は丼へと滑り込ませる。


「これぞ『無垢なる麺』。スープの絡みが段違いだぜ」


俺は満足げに頷き、トッピングの『パオの包み揚げ』を乗せた。


芋虫のような見た目の根菜を潰して揚げた、コロッケのようなものだ。


この安っぽい油が、澄んだスープをドロドロに汚していく背徳感。


「これだ。俺が求めていた平和ランチは……」


俺が割り箸を割った、その瞬間だった。


ズズズズズ……。


地響きが、スープの表面を揺らした。


「……あ?」


店の外から、大仰な拡声魔法の声が響き渡る。


『反逆者ガルド! 包囲されているぞ! 大人しく出てこい!』


俺は深いため息をついた。


麺が伸びるだろうが。



店の外に出ると、そこには絶景が広がっていた。


悪い意味で。


完全武装した帝国騎士団、およそ一千。


上空にはワイバーン部隊が展開し、魔法使いたちが杖を構えている。


その中心に、金ピカのミスリル鎧に身を包んだ男が立っていた。


「貴様か、元・処刑人ガルド。辺境に隠居したと聞いていたが、まさかこんなボロ小屋で泥水をすすっているとはな」


騎士団長、アイゼンだ。


貴族あがりのエリートで、俺のことが生理的に嫌いな男である。


「泥水じゃねぇ。特製ガラン出汁スープだ」


「減らず口を! 貴様が野に放った『三人の災厄』が、世界中で暴れ回っているぞ!」


「あ? なんの話だ?」


「とぼけるな! 『聖女』エリザ! 『狩猟王』ミュウ! 『叡智の支配者』テトラ! 貴様の弟子たちが、各国の重要拠点を次々と破壊している!」


俺は耳を疑った。


あいつらは、「花嫁修業」でもしてるんじゃなかったのか?


「問答無用! 師匠である貴様を捕らえ、奴らを止める人質とする! このアイゼン様の『絶対防御アイアン・ウォール』の前にひれ伏せ!」


アイゼンが剣を抜く。


それを合図に、一千の兵士が一斉に殺気を向けた。


俺は、右手に持ったままだった「湯切りザル」を構え直した。


まだ、ザルの網目に水滴が一粒、残っていたからだ。


(……チッ。甘かったか。最後の一滴がしぶとく残ってやがる)


俺の意識は、騎士団ではなくザルの網目に集中していた。


この一滴が乾く前に切り落とさないと、ザルが錆びる。


道具の手入れは料理人の基本だ。


「覚悟ぉぉぉ! 総員、突撃ぃぃぃ!!」


アイゼンが叫び、先陣を切って突っ込んでくる。


重厚なミスリル鎧は、物理攻撃も魔法攻撃も弾く最高級品だ。ドラゴンの爪ですら通さないと言われている。


俺は、タイミングを計った。


アイゼンとの距離ではない。


ザルに残った水滴が、重力に従ってわずかに動く、その瞬間を。


(……3、2、1……今だ!)


俺は、ザルを振った。


スキル発動――【絶対滑性フリクション・ゼロ】。


世界から「摩擦」という概念が消滅する。


空気抵抗を失ったザルは、音速を軽々と超え、不可視の刃となって空間を走り抜けた。


ザッ!!!!


鋭い音が響く。


俺の前方にいたアイゼンが、ピタリと動きを止めた。


「……へ?」


アイゼンの間抜けな声。


次の瞬間。


ツルッ。


アイゼンが誇る「絶対防御」のミスリル鎧が、まるで濡れた石鹸のように、彼の身体から滑り落ちた。


留め具の摩擦。


鎧と身体の間の摩擦。


それらが瞬時に「ゼロ」になったことで、鎧は物理的に「着ていること」ができなくなったのだ。


ガシャンガシャンガシャン!!


地面に散らばる最高級の鎧。


寒空の下、パンツ一丁で立ち尽くす騎士団長。


「な、な、何が起きた!? わ、私の絶対防御が……脱げた!?」


だが、それだけではなかった。


俺の「湯切り」の余波――抵抗ゼロの真空波は、アイゼンの背後にも到達していた。


ズズズズズ……。


アイゼンの背後にあった岩山が、音もなく斜めにズレる。


そして、ヌルリと滑り落ちた。


山が、斬れていた。


「ヒィッ!?」


「山が……滑って……!?」


兵士たちが悲鳴を上げる。


俺はザルを確認した。


水滴は、完全に消え失せていた。


「完璧だ。これで錆びる心配はねぇ」


俺は満足して、店の中に戻ろうと背を向けた。


「き、貴様ァァ! 私に恥をかかせおって! 総員、魔法障壁を展開しつつ一斉射撃だ! あのボロ小屋ごと消し飛ばせ!!」


パンツ一丁のアイゼンが、涙目で叫ぶ。


空を覆うワイバーンたちが火球を吐き出し、魔導師たちが詠唱を終える。


数千の魔法と矢が、俺の店へと降り注ごうとした。


(……あーあ。こりゃあ、麺が伸びるどころか、蒸発しちまうな)


俺が諦めて、せめて最後にパオの包み揚げだけでも食おうとした、その時だ。


「先生の『穏やかな余生』を邪魔する『害虫』は、どいつですかあああああああ!!!」


空が、割れた。


比喩ではない。物理的に、空に亀裂が走ったのだ。


直後、極太の光の柱――戦略級殲滅魔法『聖なる浄化ホーリー・イレイザー』が、騎士団のど真ん中に突き刺さった。


「ギャアアアアアアア!?」


「な、なんだこの魔力はぁぁぁ!?」


一瞬で蒸発する騎士団。


消し炭になるワイバーン。


クレーターの中心で、パンツ一丁のアイゼンだけが、奇跡的に(あるいはわざと)残されていた。


光の中から、一人の少女が舞い降りる。


純白の聖女の法衣を纏い、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた、金髪の美少女。


俺の一番弟子、エリザだ。


「先生! ご無事ですか!? 遅くなって申し訳ありません!」


エリザは俺に駆け寄ると、ガバッと抱きついてきた。


甘い匂いがする。血と焦げ臭さをかき消すほどの。


「……エリザか。お前、国を出て幸せになるんじゃなかったのか? それに、なんだあの物騒な魔法は」


「はい! これも全て、先生の教えのおかげです!」


「……教え?」


エリザは恍惚とした表情で語り出した。


「あれは、私がまだ修行中のことでした……厨房に『黒い害虫』が現れた時のことを、覚えておいでですか?」


俺は記憶を辿った。


ああ、ゴキブリが出た時のことか。


「あの時、先生は仰いました。『エリザ、いいか。こういう害虫はな、一匹見たら百匹いると思え。慈悲なんていらねぇ、巣ごと根こそぎ焼き払わねぇと意味がねぇんだ』と!」


「(……ああ、言ったな。殺虫剤がなかったから、コンロの火力を上げようとして)」


「私はそのお言葉に感銘を受けたのです! 害悪は、その存在ごと消滅させなければならない、と!」


エリザの瞳が、狂信的な光を帯びる。


「だから私、先生の教えを極めました! 視界に入る全ての『害虫てき』を、慈悲なく、根こそぎ、魂ごと消し炭にする……それこそが『聖なる浄化ホーリー・イレイザー』です!」


「…………」


俺は遠い目をした。


ゴキブリ退治の心得が、戦略級魔法に進化していた。


「先生の手を煩わせる必要はありません。先生の視界に入る不純物は、私がすべて『駆除』いたします! 手始めに、帝国の騎士団は灰にしました!」


俺の親心が生んだ勘違いは、最悪の形で実を結んでいた。


「先生、見てください! ついでに王都の防衛結界も『掃除(破壊)』してきましたよ! これで先生の『麺打ち』を邪魔する騒音はなくなりました!」


「……そうか。そりゃあ、ご苦労だったな」


俺はエリザを引き剥がし、店の中に戻った。


カウンターの上には、少し冷めたガラン麺と、パオの包み揚げ。


天井から落ちてきた砂埃が、スープに混じっている。


「……濁っちまったな」


俺はポツリと呟いた。


スープに埃が入ったことを嘆いたのだ。


しかし、背後でエリザが息を呑む気配がした。


「……『濁った』……」


「あ?」


「そうですか……先生は、今の帝国の在り方を、腐敗した貴族社会を、『濁っている』とお嘆きなのですね……!」


エリザがガバッと立ち上がった。


「先生が私達を遠ざけたのは、私達を守るためだけではない。私達に『外の世界の濁り』を見せ、それを正す力をつけさせるための試練だったのですね!」


「待て、俺はスープの話を……」


「わかりました! このエリザ、先生の理想とする『澄み切ったスープ(新世界)』を創るため、まずは教皇庁を血祭りにあげてきます!」


「待てと言っている」


「はい! ついでに隣国の軍事国家も、不純物が多いので消しておきますね! ――先生、次はどこの国を滅ぼしますか!?」


エリザはスカートを翻し、ソニックブームを巻き起こして空へと飛び去っていった。


遠くで「キャハハハハ! 浄化の時間ですよー!」という楽しそうな声と、爆発音が聞こえる。


俺は一人、静かになった店内で、伸びきった麺をすすった。


ズルズル……。


ボソボソとした食感。


冷めたスープ。


油でベチャベチャになったパオ。


「……コシがねぇ」


俺は呟いた。


もちろん、麺の話だ。


だが俺は知らなかった。


この後、俺のその呟きを聞きつけた二番目の弟子(暗殺者)が、「先生が『コシのある敵』を所望している!」と勘違いし、伝説の邪竜を狩って店の前に死体を山積みにすることを。


そして三番目の弟子(魔導技師)が、「世界の物理法則コシを固定化する」ために、月の軌道をズラそうと画策することを。


これは、ただ旨い麺を作りたいだけの元・処刑人が、その滑らかな「湯切り」ひとつで、世界の常識をツルツルと滑らせ、破壊していく物語である。

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