東からの脅威
秋風が冬の訪れを予感させる季節が来て、税制改革が施行されてからは既に三ヵ月が経っていた。税収は一時的に半減し、大きく落ち込んだものの、徐々に持ち直しており、特に漁具への投資が拡大された影響で、漁業関連の収量は二割増加し、それに伴って運送業者の取り扱い量も増加し、税収は順調に増加を続けている。特に運送業ではライネンの率いる商会、獅子の牙商会のシェアが圧倒的であり、それゆえ彼らの業績が伸びれば伸びるほど、国庫へ納められる税収も増加を続けている。
農業ギルドからも、新しい品種に投資を行うことができたため、来年の収量は大幅な増加が見込まれているとの知らせが入ってきている。最初の税収半減では随分と非難を受けたものの、王による
「余はシュタウフェンブルク候に五年間は自由にやってよいと申した。皆の者も五年間は彼のやりたいようにやらせてやれ。」
との一言で収まった。
高利貸し改め銀行屋のホッフェンだが、貸し倒れが随分減ったと喜んでいた。確かに利率は大きく減ったものの、その分以前なら金を借りに来なかったような顧客を獲得し、以前よりもトータルの儲けが増えたとニコニコしていた。まったく現金な奴だが、単純で分かりやすいとも言える。
王宮。今では見慣れた場所だが、それでも王の前というのは落ち着かない。
「―以上が、税制改革の成果であります。税収については、長い目で見れば十分な増収が見込めますが、今後しばらくは幾分か厳しい懐具合が続くものと思われます。」
「見事である。シュタウフェンブルク候。今後とも励むように。」
「ありがたきお言葉。」
王はいつも通りにその他の献策を聞き終え、討議は終了するかと思われた。
しかし―
「ひとつ、諸君らの意見を求めるべき緊急の事案がある。」
重々しい声で宰相、ホルヴェーク公が告げる。
「先ほど東の大国、オストライン公国が使者を寄越してきた。内容は、早い話が脅迫だ。我が国の東部国境地帯、すなわち我が国の穀倉地帯を寄越せとのことだ。」
王が溜息をつき、群臣がざわめく
「オストラインだと?なぜ今になって」
「我が国が傭兵への支払いに苦労していることを聞きつけたのか?」
「勝てる見込みは?」
「静まれ!」
広間に宰相の声が響く。
「慌てても仕方がない。現状を整理する必要がある。ニーダーライン候。貴君は東部国境近くの領土を有していたはずだな。貴君が動員できる兵力は。」
ハンスが末席から進み出る。
「恐れながら、傭兵100人を揃えるのが限界でございます。」
「むう。100人か・・・。オストラインは傭兵だけで2000人を抱えていると聞く。恐らく我が国の金庫を空にしても500人が限界か。」
勇猛果敢で知られた宰相も、あまりの兵力差に頭を抱える。
「元はと言えば、シュタウフェンブルク候が税制改革などをするから雇える傭兵が減ったのでは?」
「そもそも改革など後でも良かったのだ。今は兵力を増強すべき時だろう。」
やはりというか、私に矛先が向いてきた。ハンスは必死に私を庇ってくれているが、さすがに形勢不利である。
「シュタウフェンブルク候、何か言ったらどうかね?」
やむを得ない。本当ならこの案は再来年から実施するつもりだったのだが・・・。
「では、私めから献策をさせて頂きたく。」
「良いだろう。許可する。」
再び王の前に進み出る。当然ながら、群臣からの刺すような視線が突き刺さる。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「まず大前提として、かの国の要求は断固拒否すべきです。」
「その根拠は。」
「先の税制改革によって農民は新たな作物を植えたばかり。貴重な農地をむざむざ渡すなど、改革の成果を全て差し出すのと同じことにございます。」
農業ギルドのシュプレットからも、来年の収量の見通しについて喜びに満ちた報告を受けたばかりである。こんなところで彼らを失望させるわけにはいかない。第一、オストライン公国がこの要求だけで引き下がる保障などどこにもありはしないのだ。
「それは理屈としては分かる。しかし、我が国は兵隊を揃えられるだけの余裕がない。」
「もし、傭兵に頼らずとも我が国を守れるとすれば、いかがでしょうか。」
「面白い。傭兵無くして国が守れると?」
「はい。」
大広間が再びざわめく。
「何を言っておるのだ?」
「降伏でもするというのか?」
「まさかトリンケルに援軍を頼む気か?」
「そのいずれでもありませぬ。そもそも、私は傭兵などという金目当ての連中に我が国を守らせることそのものに反対です。」
「しかし、では誰が国を守る。余の国民は農民と漁師、それに商人たちだ。とても武器を握るような者たちではない。」
「本当にそうでしょうか。私は、確かに個々の力は歴戦の傭兵に及ばなくとも、集団であれば勝ち目はあると思います。」
「彼らは余の国民だ。そのことを理解して申しているのか。」
問い詰めるような口調。流石は名君である。このような王の元で生きられる国民は幸せであろう。
「陛下。私は金目当ての荒くれ者どもではなく、この国に生き、この国を愛する国民たちを信じたいと思っています。彼らを無駄死にはさせませぬ。」
長い沈黙が大広間を覆う。黙考の末、簡潔な言葉であった。
「君を信じる。シュタウフェンブルク候。余の国民を頼んだ。」
そう言って、玉座から退席していった。
「それでは本日は散会とする。シュタウフェンブルク候は儂のところに来い。」
閑散とした大広間に取り残され、困惑していると宰相が近づいてきた。
「何と言うべきか、君は本当に予測不能だな。」
呆れるような、しかしどこか愉快そうに彼は言う。
「やはり、君は面白い男だ。陛下もそれを分かっているから君に任せたのだ。」
「そのような過分なご評価を頂き、恐縮であります。」
「とはいえ君への反感はここ最近でだいぶ強まっている。気配りは忘れるな。」
そう言い残し、宰相は足早に去っていった。
気配り、か・・・。
その晩、ハンスと久しぶりに街へ馬で出かけた。
「なるほどなあ。宰相は随分君を気に入ってるみたいだが、確かに他の貴族連中は随分君を嫌っているようだよ。」
「手厳しいな。」
「本当のことだからな。君を弁護する身にもなってくれ。」
ハンスには昔から迷惑をかけてきたが、今回は彼の方にも私に関する苦情が寄せられているらしい。
「特に俺を嫌っているのは誰だい?」
「まあ、例の三人だ。」
ブラウエ王国には、王と宰相の他には特段の序列は無いことになっているが、暗黙の了解として有力三貴族、シュミット、ザクセン、シュライベンの三家が宰相に次ぐ武力と権勢を誇っている。彼らからすれば、新参者の若造が好き勝手に改革を進めているのが気に食わないのだろう。とはいえ、戦争を前に内輪もめなどしていられない。
「その三人に会えるか?」
「正気か?確かに会見のセッティングは可能だが、彼らは君を蛇蝎のごとく嫌っているぞ。身の安全を保障するので精いっぱいだ。」
「構わないよ。君の城を使っても?」
「まあ、俺は良いんだが・・・。」
翌週、オストライン公国からの使者に拒絶の意を伝達し、最後通告を受け取ったのと同じころ。ハンスの居城の食堂に三家の代表が殺気立って座っていた。
「勘違いして頂きたくないのですが。あくまでニーダーライン候の顔を立てて来ているのです。」
白髪のシュミット家当主が口火を切る。その眼光は剣の切っ先のような鋭さで、私への苛立ちを物語っていた。
「全くです。最近の税制改革もそうですが、傭兵などいらぬですと?正気とは思えませんな。」
続いて黒のローブに剣の図案。武勇で知られたザクセン家だ。
「まあ、あんまりいじめても可哀そうでしょう。」
この三人の中では最も中立的なシュライベン家。モノクルがろうそくの光を反射している。
これはなかなか一筋縄では行かないだろうが、こちらには秘策がある。
会見は予想通り、シュミットとザクセンが私を責めたて、時々シュライベンが合いの手を入れる。ハンスは気まずそうにひたすら肉を頬張っている。
そろそろか。
椅子を蹴って席を立つ。
皆が一瞬、気圧されて身構える。
今だ。
「誠に。申し訳ありませんでした!皆様のお怒りはもっともです。しかしこれは国の一大事。どうか、どうかこの若輩者にお力を貸して頂きたい!」
必殺技、土下座懇願である。
あまりの異様さに三人は目を見開いて固まり、ハンスは肉を咥えたまま石像のようになっている。
「え、ええと、その、シュタウフェンブルク候、我々もそこまで言ったつもりは・・・。」
シュライベンが慌てて取り繕う。
ここで更に一押しだ。
「私は武勇など全く持ち合わせぬ若造。しかし、皆さまは歴戦の戦士。まさに我が国の守りの要です。どうか、どうかその武勇でもって国民に身を守る術を教えてやって欲しいのです。」
餅は餅屋、戦争は戦争屋である。私は正直、剣を振るうことにかけては子供のチャンバラにも劣る。その点、彼らの武勇は本物である。
「私からも、どうか皆様のお力を彼に貸して頂けませんか。どうしようもないほど生意気な奴ですが、友人として、お願いいたします。」
流石に土下座は嫌らしく、卓上に頭を擦り付けんばかりにハンスが頭を下げる。
「まあ、そこまで仰るなら、我々も協力いたしましょう。」
シュミットに促され、不服そうな顔でザクセンも
「はあ、仕方ないですな。いくらシュタウフェンブルク候とはいえ、そこまで平伏されては我々も無下にはできません。」
と何とか応じてくれた。第一段階はクリアである。
第二段階は兵士の徴募であるが、これは税制改革で尽力してくれたギルドの面々が方々に声を掛けてくれたらしく、農家や漁師の次男、三男を中心に1000人が集まってくれた。とはいえ、鍬や投網を使うならまだしも、武器の扱いとなると全くの素人である。一般的な軍事行動は春、雪解けの後に開始される。贔屓目に見ても残された時間は三ヵ月もない。
となると、ド素人同然の徴募兵を使える作戦を考える他ない。幸い、調練は例の三人が引き受けてくれたので、それなりの水準までは訓練できるだろう。私としても、当てが無いわけではない。
その日の午後、私は再びヴァイナハテン商業会を訪れていた。目的は簡潔であった。
「つまり、ホッフェン殿がお金を貸し、その他の皆さんが労働力を提供する、と。」
「はい。このようなことを頼むのは心苦しいのですが、国の為、何卒お力添えを頂きたい。」
「シュタウフェンブルク候。一つ、皆を代表して伺いたい。」
ヴァイナハテンが口を開く。
「何なりと。」
「勝てますか?」
「皆様の助力があれば。」
少しの黙考の後、目の前の老人は一言。
「良いでしょう。」
他の面々から文句が出るかと思ったが、会長の一言、そして何より軌道に乗りかかっていた商売を潰されたくは無いということで、各ギルドが手すきの者を派遣してくれることになった。資金面は一度ホッフェンが立替え、そののちに国が返済することで妥結された。
その日はそのまま王宮の庭、訓練場となっている空き地を見ていくつもりだったが、途中でハンスに偶然出会う。
「シュテファン!今帰りか!」
「ああ。俺も働かないとあのお三方に殺されそうだからな。」
「はっはっは。違いない。それはそうと、随分面白いことをやろうとしているようじゃないか。俺も一枚噛ませてもらおうか!」
相変わらず勘が冴えるやつだ。
「そうだな。ちょうどお前にも手伝ってもらいたかったんだ。」
私が考えたのは、防御に特化したモグラ戦術、ありていに言えば、塹壕戦だ。とはいえ、塹壕内で一対一で戦えば歴戦の傭兵に蹴散らされるのは必定。それゆえ、とにかく時間と兵力を浪費させることを第一に考え、大量に塹壕を掘る。そして塹壕内から弓を射かけ、接近されれば次の塹壕に後退し、また同じように弓を射かける。幸いにもブラウエ王国は低地ゆえに多数の河川が走っており、自然の要害と化している。一部の見込みのある兵士はその川岸に忍ばせ、夜間に後方を荒らしまわってもらう。正面から殴り合って勝てないならば、後ろや側面からつついてやるという算段だ。
「ふむ。面白い、面白いが!」
ハンスは私の作戦を聞くと、随分不服そうに顔を膨れさせる。
「俺の出番はないのか!」
「そう言うと思ったよ。他の貴族連中も出番がないのかと怒っていたよ。」
「その口ぶり、何か考えがあるんだな。」
いくら武勇に優れた貴族と言えど、数で勝る歴戦の傭兵に正面から殴り込めば全滅は必至である。そこで、ハンスや例のお三方には、これまでの段階で消耗しきった敵を思う存分狩ってもらう。正面からの正々堂々の戦いとは言えないが、幸いにもそのあたりの騎士道やらのこだわりはそこまでないらしく、最後の仕上げとして暴れてもらうと言うことで納得してくれた。
「なるほどな、俺は最後の花形か!」
と、ハンスも随分ご満悦の様子だ。
それから二カ月が経った。塹壕はほぼ完成し、兵士の訓練もひと段落と言った所だ。もちろん、ド素人よりマシというだけの話で、その練度は歴戦の傭兵に比べるべくもないが、それでも幾人かは見込みのある者もおり、彼らは特別に集中訓練を施され、中々の精鋭に仕上がったと報告を受けている。
雪解けから間もなく、東部国境にオストライン公国が大量の兵士を集めているとの情報が飛び込んできた。王宮の大広間に伝令が駆け込む。
「申し上げます。東部国境にてオストラインの動員を確認!」
「数は。」
「は、その数、3000!なおも増加中!」
「なるほど。我々の三倍か。」
そう言った王の顔に、絶望の色は見えない。
「陛下、宰相の私の元に最後通告の使者が来ております。もし東部国境を明け渡すならば、撤兵すると。」
「そうか。シュタウフェンブルク候。貴君は言っていたな。この要求が最後である保障はどこにもないと。」
「はい。確かに申しました。」
「勝てるか。」
私は一呼吸置き、王をまっすぐ見つめる。
「勝ちます。」
「それでよい。宰相!」
「は。返事はいかに。」
「私の返事はこうだ。よく書き留めよ。“Nein!!(拒絶)”」
かくして、改革始まって以来初めての対外戦争、対オストライン戦争が幕を開ける。