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改革の狼煙

冷たい潮の匂いが鼻を突いた。

目を開けると、石造りの天井と薄暗い部屋が広がっていた。耳に届くのは、遠くで響く鐘の音と、かすかな波のざわめき。


「……ここは、どこだ」


思わず口に出た言葉は、だが聞き覚えのない響きを帯びていた。ドイツ語に似た、だが微妙に異なる音律。

記憶が押し寄せる。事故、終わり、そして――転生。

その時の私は、港湾都市を治める小国に仕える小貴族の養子として第二の人生を送ることとなるなど、全く想像だにしていなかった。


転生した当初はどことも知れぬ浜辺でそのまま乾き死ぬかと思われたが、幸いにも通りかかった心ある貴族、シュタウフェンブルク家に拾われ、“シュテファン”という名を与えられ、惜しみない愛情を注がれながら学問と兵法に親しみ、今や若き王に仕える身となった。だが目にした王国の姿は、あまりに脆弱だった。軍は傭兵に頼り、財政は逼迫し、港には疲弊した漁船が擦り切れた帆を並べ、貴族たちも王も目先の懐具合に汲々としている。私はよそ者であるし、やろうと思えばこの国を出ることも簡単である。しかし、私を拾ってくれた養父母、そして明らかに異質な風体の私を受け入れてくれたこの国の人々に恩返しをしてからでも遅くはないだろう。


「この国はこのままでは滅びる」

前世の記憶が告げる。人の世の国々は盛衰を繰り返す。ならば――自分はこの国を、せめて一度は栄光へ導けるのか。


ブラウエ王国。別称は青き海の国。国旗は海の色を写し取ったような藍色に、船の帆が図案化されたものが白く刻印されている。国土は小さく、人口も周辺国の十分の一程度。産業は少なく、漁業で国民は何とか食いつなぎ、低地ゆえに農地は少なく、肥沃な土壌も無い中、農民はやせ細った身体を引きずって今日も農作物を貴族に納めている。しかし、それでも国は貧しく、堤防や城壁の補修すらままならない。成長して行動範囲が増えれば増えるほど、私にはこの国がいかに貧しいか、身に染みて理解できた。まるで教科書で見たアフリカの発展途上国だ。

しかし救いもかすかにある。国民は王から農民に至るまで真面目そのものであり、汚職はほとんど見られず、小国ゆえの結束は非常に強い。王は聡明であり、臣下の言葉をよく聞き、毎日市中に出ては民の窮状に胸を痛めている。臣下もみな、周辺国の貴族と比べれば明らかに見劣りのする服に身を包み、質素に暮らし、王への忠誠は皆一様に高い。というのも、先代の王が西の大国、トリンケル王国から独立を勝ち取り、その英雄的な手腕は今の王にも引き継がれていると評判なのである。私が初めて謁見したときも、明らかなよそ者である私の手をぐっと握り


「余はあらゆる者の知恵を求めておる。どうか、力を貸してほしい。」


と王とは思えない腰の低さで懇願され、こちらが困惑してしまったほどである。


そして今日は三回目の謁見。これまでは大広間の末席で王を遠くから眺めるだけであったが、今日は違う。王が臣下を集め、王宮の大広間で献策を求める毎月の恒例行事だが、その献策は事前に提出されたものから王が幾つかを選び、家柄に関係なくその献策の発案者に説明の機会が与えられるのだ。


「王のお成りである!」


大広間に侍従の声が響き、ピンと空気が張り詰める。

王は遠くからでも分かるほどの光沢をたたえるローブに身を包み、玉座に腰掛ける。


「皆のもの。楽にしてよい。」


この一声があるまで、臣下は平伏して王に敬意を示すしきたりである。


「今日はいつも通りの集まりだが、皆、忌憚なく意見を出してほしい。」


王が脇にいた侍従に目配せし、今回の献策の概要が読み上げられ、それから発案者が順々に王の前で説明を行う。

私の順番は最後である。最年少の若造であるから仕方がない。献策の概要は“我が国の税制の改革について”。


「それでは本日最後の献策、シュタウフェンブルク候。」

「シュタウフェンブルクの。親父殿は元気か。」

「は。腰を痛めたものの邸宅で元気にやっております。」

「それは良かった。では早速献策を説明してほしい。」


まず大前提として、ブラウエ王国の税制を理解するには三つの身分について知る必要がある。まず、支配層たる王と貴族。そして商業に従事する平民。最後に漁業と農業に従事する第三身分。現在の税制は、王侯貴族から10%、平民から30%、第三身分から50%を所得より徴収する仕組みとなっている。それゆえ商業は栄えず、農業と漁業もその日を凌ぐことで精一杯なのである。私の献策はその税制に大きなメスを入れるものである。


「陛下。我が国の財政が危機的状況であることは明白。しかし重税によって国民は既にその稼ぎの大半を国に納めており、これ以上の増税は不可能と存じます。」


ここまでは全員が同意できることであろう。彼らも領民の苦境は良く知っている。


「そこで、私は税制の抜本的改革を進言いたします。簡潔に申し上げれば、平民と第三身分からは一律に決まった税を徴収するのではなく、その者の稼ぎに応じた割合を徴収するのです。仮に年に金貨100枚の稼ぎがあるならば稼ぎの三割、金貨10枚の稼ぎしかないならば、稼ぎの一割のみを徴収するのです。」


ざわざわと大広間に動揺が広がる


「なんと、それでは十分な税が集められないではないか。」

「そんなことをして、大商人は何と言うであろうか。」


まあ、これも予想通りだ。


「陛下。確かに一時的に税収は減少いたします。しかし、民は弱いだけの存在ではありませぬ。彼らは十分な余裕さえあれば我が国の為、あらゆる創意工夫で新たな産業を作り出すでしょう。それは将来の国庫を金貨で満たすのに十分なものです。どうか、ご英断を。」


議論は紛糾した。賛同二割、反対七割、中立一割といったところか。思ったよりは賛同者が多いが、とはいえ圧倒的に不利であることに違いはない。これは厳しいか、と思った時。


「一つ良いかね。」


低く、威厳に溢れた声。宰相、ホルヴェーク公だ。大広間の喧騒が一瞬で収まる。


「シュタウフェンブルク候。君の提案はとても面白い。しかし、これは国の一大事である。もし失敗したとき、誰かが責任を取らねばならない。君は、どのようにして責任を取るのかな。」


その言葉の裏側には、返事次第で私の献策を支持してやっても良い、という意図がありありと感じられた。


「もし、結果が出なければ、私はこの身分を失っても構わぬ覚悟です。その代わり、五年間は私めにこの改革の指揮をとらせてください。」

「驚いたな。本当にその覚悟があるのか。」

「はい。」


正直、勢いで言ってしまった所はある。しかし、私にはこの税制改革案が上手くいくという確信、いや、この国の民に国庫を金貨で埋め尽くすだけの底力があるという直感があった。確かに国土は小さい。しかしそれはすなわち、コンパクトで統治が行き届いているということである。統計は正確であり、国民はみな真面目。必要なのは少しのきっかけ。そしてそのきっかけがこの税制改革なのである。

大広間に沈黙が広がる中、


「ふむ。面白い。やってみよ。」


玉座からの一声。群臣が一斉に玉座に注目する。


「余は、この国と民を信ずる。シュタウフェンブルク候。君に五年間の裁量を与える。今日の討議は以上だ。」


群臣にはまだ何か言いたげな者もいたが、ホルヴェーク公の目配せで散会と相成った。


大広間から群臣が退出する中、一人の赤髪の若者が近づいてきた。


「シュテファン!」

「なんだ、ハンスか。どうしたんだ。」


ハンス。彼はシュタウフェンブルク候と領地を接するニーダーライン候の家の跡取りで、幼馴染のような間柄だ。


「どうしたではない!なんだあれは!今まで色々な書物を読んできたが、聞いたことも無いぞ。」

「そりゃあ、俺が考え出したからな。」

「一体どんなものを食ったらあんな奇抜なことを思いつくんだ。昔から変わった奴とは思っていたが、今日ばかりは腰を抜かしたぞ。」

「ははは。君は俺の突飛な思い付きには慣れっこと思っていたんだがな。」


彼にはこれまでも私が思いついたことを話しては笑われたり感心されたりしていたものだが、今回ばかりは流石に想定外であったらしい。


「しかし本気か。あんなことを言って。貴族でなくなるんだぞ。」

「本気さ。まあ、五年あれば何とかなるはずだ。」

「そうか・・・。」


少し考え込んだ後、こちらに向き直る。


「シュテファン。」

「なんだ。」

「俺もあの話、一枚噛ませてもらえないか。」

「もちろんだ。君を平民にはさせないよ。」

「もしそうなったら、その時は一緒に漁師にでもなるか。」


実のところ、王国はまだ独立して一世紀も経っていない。それゆえ、祖先が漁師や農民である家は多く、ハンスの家もかつてはニシン漁で生計を立てていたらしい。その影響か、身分制がそこまで根付いておらず、第三身分の苦境については皆どこか、思うところがあるのである。


その日、王宮から帰宅した後の夕食で養父母に今日の献策について話した。二人ともかなり驚いていたが、これまでの信頼からか、一族を挙げて応援すると言ってくれた。後から知った話だが、どうやらホルヴェーク公から内々に支援の意が伝えられていたらしく、養父母としてもある程度安心して後押しできると考えたらしい。


それから一週間は書類の山に埋もれていたが、今日は邸宅の前でハンスと待ち合わせ、そのまま市街に向かう。商人ギルドと会議を急遽セッティングしてもらったのだ。

ギルドは王宮を望む運河のほとり、レンガ造りの三階建ての商家の二階にあった。石畳の通りに面して“ヴァイナハテン商業ギルド”との看板が風に揺れている。


「シュタウフェンブルクのシュテファンだ。」


重厚なドアをノックすると、会長のヴァイナハテンが出迎えてくれた。いかにも温厚な爺さんといった風体で、やり手の商人でなければ牛飼いにでもなっていたであろう人物だ。


「シュタウフェンブルク候にニーダーライン候。ようこそいらっしゃいました。一同、心より歓迎いたします。」


二階の会議室には既に国内の有力商人が集まっている。吊り上がった眉毛が特徴的な穀物商人のビュッセル。モノクルの上からでも眼光鋭い運送業者のライネン。恰幅の良い高利貸しのホッフェン。そして農業ギルドの代表、シュプレットと漁業ギルドのハイネブルクまで来ている。その他にも名の知れた商人が勢揃いである。


「では、失礼する。」


私たちが着席すると、警戒と好奇の入り混じった目が向けられる。


「早速ですが、良いでしょうか。」


まず口を開いたのは穀物商人、ビュッセルである。


「私めの商会は年間で概算して金貨10万枚の稼ぎがございます。この場合、税率はどのようになるのでしょうか。」


そう。確かに私は税制改革を任せられたが、だからと言って一人で全てを決めることなど不可能。今日の会合は、税制の細かい部分、例えば上限などを決める目的で開かれたのである。


「私としては、五割を上限としておりますから、あなたの商会からは金貨5万枚を徴収させていただくことになるかと思われます。」

「稼ぎに応じた徴収ということは理解できます。しかし五割というのは、これまでの二倍ですから、我々もはいそうですかと承諾するわけにはいきません。」

「私からも良いですかな。」


ここで声を上げたのは高利貸しのホッフェンである。


「私の所もビュッセルさんと同じくらいの稼ぎがございますが、お金を貸すという商売柄、五割というのは厳しいものがあります。」


その後も様々な意見が述べられたが、そのいずれも税率の上限引き下げを求めるものであった。当然と言えば当然である。そしてそれを説得するのが今日の役目である。


「皆さんの言い分はよく分かりました。しかし、皆さんの一番の目標はより多くのお金を稼ぐ事。そうですね?」


その通りだと声が上がる。


「それでは、伺いますがビュッセルさん。あなたは誰から穀物を仕入れますか。」

「それは当然、農民ギルドから仕入れております。」

「では農民ギルドのシュプレットさん、なぜここ最近の収量は横ばいなのですか?」

「何といっても、税金で持って行かれる分が多く、それゆえ農民は新たな種もみや農機具を買うことにも事欠き、前年の収量を維持するだけで精一杯なのです。」

「農民のうち、金貨10枚以上を稼ぐものはどの程度いますか。」

「そうですね。だいたい一割も居ません。」


農民ギルドの代表とはいえ、彼も農民。日焼けした肌とがっしりした肩がその労苦を物語る。税率の変更で最も恩恵を被るのは農民や漁師といった第三身分。それゆえ、漁業ギルドのハイネブルクと並んで私の強力な支援者となってくれている。


「ありがとうございます。ブッシェルさん。この税制改革は、一見あなたのような大商人に不利に働くように見えます。しかし、農民が豊かになり、穀物の収量が増えるということは、すなわちあなたの懐が豊かになることと同義なのです。税率が二倍になっても、売り上げが三倍になればあなたも文句はないはずです。」


ブッシェルはトレードマークの眉毛を撫でながら考え込んでいる。


「ブッシェルさん、私たち運送屋としても運ぶ荷物が増えることは大変ありがたいです。シュタウフェンブルク候の仰ることも一考に値するのでは?」


ここで意外な助け舟。運送屋のライネンである。彼もさっきまでは税率の引き下げを訴えていたはずだが、農業ギルドと漁業ギルドの様子を見てこちらに乗り換えたらしい。随分と調子の良い話である。


「ふむ。なるほど・・・。ライネンさんがそう仰るなら、四割五分でどうでしょうか?」


もともと五割が高すぎるのは織り込み済みである。四割五分なら上々である。これで妥結か。そう思った時だった。


「ちょっと待ってください。」


声を上げたのは高利貸しのホッフェンである。


「確かに仰ることは分かります。しかし、私どもはお金を貸し、その利子でもって飯を食っております。私どもの場合、稼ぎとは利息のこと。利息が半分になるというのは承服できかねます。」


一筋縄では行くまいと思っていたが、もう一つの本題を切り出す手間はある意味省けた。


「ホッフェンさん。」

「はい。」

「お尋ねしたいのですが、貸し倒れはどのくらいになりますか。」

「大体三割ほどです。担保があるのでそこまで困りませんが。」

「その担保とは?」

「大抵は農機具や漁船、家財道具です。」


やはりか。税金ですっからかんになっても、金は必要である。しかしこの国で金を貸してくれるのはこの高利貸しのみ。担保として出せるものなど、商売道具位であるから、どんどんと民が貧しくなるのは道理である。


「ホッフェンさん。もし、あなたの税金は特別に一割で構わないとしたら、どうですか。」

「それは願ってもない。もちろん諸手を挙げてお受けいたします。」

「その代わり、条件があります。」

「何なりと。」

「まず、誰彼構わず金を貸さないこと。次に、担保として商売道具を取り上げることは禁止します。最後に、利息についても一割五分を条件とします。」


部屋がざわつく。当然である。税金を軽減する代わり、国の言いなりになれと言っているのだから。しかし、まともな金融機関無くして経済発展は望めない。そのためには、この高利貸しに銀行業へと転身してもらう他ないのだ。

長い沈黙の中、最初に口を開いたのは漁業ギルドのハイネブルクだった。


「ホッフェンさん。うちのモンにもちゃんとお金を返すようにしっかり言っておきますから、シュタウフェンブルク候の仰る通りにして頂けませんか。貸し倒れについては本当に申し訳ない。それについては必ず将来、お返ししますから。」


はあ、とため息をついてホッフェンが背もたれに寄りかかる。


「一個、貸しですよ。」


こうして、税制改革に関する折衝は無事に終了した。具体的な内容は以下の通り。



・年間に金貨11枚以上15枚以下の稼ぎのある者は収入の一割五分、16枚以上30枚以下の者は二割、31枚以上50枚以下の者は三割、50枚以上75枚以下の者は三割五分、76枚以上100枚以下の者は四割、それ以上の稼ぎのある者は四割五分を税金として納める。それ以外の金貨10枚以下の稼ぎしかない者は一割のみを税金として納める。

・高利貸し改め銀行屋ホッフェンは利息の上限を一割五分とする。ただし、相手の信用などによってその範囲内で自由に利率を決定できる。

・高利貸し改め銀行屋ホッフェンの運営する銀行は、特例として税率を一割とする。しかしその代わり、農機具、漁船、漁具や荷車などの商売道具を担保とすることを禁ずる。

・この改革は、民の創意工夫を促進し、新たな産業を育成する目的である。

・王国万歳!国王陛下万歳!



間もなく税制改革は宰相と王の認可を得て施行された。しかしながら、王国と改革者、シュタウフェンブルク候が直面する苦難は始まったばかりである。


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