羂索の力とリスク
あかねはリュックから投げ縄の様なものを取り出すと友梨奈の左手に握らせた。
麻由はあかねが時々なぜかランドセルではなく、リュックを背負っていたのには気づいてはいたが、まさかあんなものが入っているとは想像すらしていなかった。
あかねの頬には涙の跡のようなものが付いていた。まさか友梨奈との交信で虐められたのだろうか。なにかキツいことをやれと命令されたとか。
もしそうだとしたら、たとえ命の恩人で親友の友梨奈だって許せない。なんか友梨奈は妙にあかねに厳しいところがある。
友梨奈が能力を使ってる最中は、すぐそばにいるのに何が起きてるかこっちからは全然分からないからもどかしいし、疎外感で一杯だ……。
しかも今回は新しい要素、持物というアイテムの登場回なのに。
あかねは移動した先の友梨奈と交信できるみたいで羨ましい。向こうへ携帯を持ってってくれればいいのに、と思うが普段から携帯見ない人だからたとえ持ってても無駄な気もする。
あかねは梨奈の後ろに立って額を梨奈の後頭部にあて、両手を梨奈の目の上に当てている。いつの間にか友梨奈が膝立ちになってるし、あかねの動きも凄く慣れた感じに見える。
これってもしかすると、お姉さんのリコとあかねが昔いつも一緒にやっていた合体技なのかもしれない。
友梨奈は左手に重さを感じ、そっちに視線を送ると羂索が握られていた。この物質は霊体と
同じような移動が出来るのか。さすが観音菩薩の持物、超便利だ。これの携帯電話版もあれば良いのに。いざという時、霊体の状態で救急車とか警察をすぐ呼べる。半端な神通力を使えるだけのJCには人助けと言っても限界があるから、人助けのプロのヘルプは必要だ。
「梨奈ねーちゃん、集中してくれないと視界を同期出来ないよ」
あかねの声が頭の中に直接聴こえる。いきなり集中とか同期とか言われても具体的に何をどうすればいいのかよく分からない。多分男の子を見つけようと思って前方に意識を集中しろっていうことだと思い、とりあえずやってみる。
その瞬間、目の前の視界が川の流れに沿って飛ぶ様に先に進んで行く感覚が来た。まるで自分が鳥になって川の上を飛んでるみたいだ。今風に表現すると、ドローンで撮っている映像をVRでリアル体験してる感じ。
少し先の濁流に野球帽のようなものが流れている。そこにズームインするが、その下には人間の身体はない。
流れに沿ってさらに飛翔するあかねのビジョン。波間に黒い頭の一部と思われる物体と小さい手が視える。
「おねーちゃん、視えた!」
「あかね、やるじゃん!!」
そういえば、生き霊の子の実体を見つけたのもあかねの手柄だった。リコの想いもあるし、これからはもう少しあかねに優しくしよう。人生の目標が『普通』でいること、そのために能力は出来るだけ使わない、という基本方針は譲れないけれど。
友梨奈は初めて能力を使うことに対して心が高揚していた。それは自分と同じ境遇をこの親子に遭わせたくないという気持ちと新しい能力を使うことで自分の忌むべき能力に可能性を感じたことの両方が作用したのだろう。
羂索を投げ縄のようにぐるぐる振り回し、右足を上げ、大きく振りかぶって、思い切り振り下ろす。
勢いよく先端が川沿いを飛んで、さっき見たイメージへ一直線に向かっていく。
羂索は最初の長さとは関係なく、どんどん先に伸びて行っている。
「行けー! 行けー!!」
あかねが興奮して叫ぶ声が頭に響く。
子供の体に羂索の先が届く一瞬前に、その子の体は流れに逆らってピタッと止まり、水面から少し浮き上がる。
そこに友梨奈が投げた羂索の先が綺麗に体に巻き付いた。
「やったー!! おねーちゃん早く引っ張ってあげて」
「簡単に言うなー! 今投げたのでもうなんか急に身体に力入んなく…なって来てるんだから……」
意生身と呼ばれる霊体で移動した先でここまでの脱力感を感じるのは初めてだ。羂索を使うのに相当霊力みたいなものを消費しているのかもしれない。もう今すぐこの場で目を瞑って爆睡してしまいたいぐらいの状態だが、早く二人を岸に引き上げないとその場に繋ぎ止めておいてるだけでは全く意味がない。
「おりゃあーー!」
最後の気力と体力を振り絞り、掛け声の勢いで羂索と女性の腕を同時に引っ張りながら河岸を駆け上がろうとしたが、脚がもつれて前方によろよろとよろめき、最後は身体が前にもんどりうってゴロゴロと転がる力も使って引っ張る形になった。つか、正直に言ってコケた勢いで前転したら物理的に偶然そうなった的なところだ。要はこの間の火事の現場に続いて、見た目的に著しくカッコ悪かったのだが、この際結果さえ出てくれれば何だっていいと思った。どれだけカッコ悪くても、どうせ意生身の自分が視える人は周りにはいないし。
多分二人とも岸に上げられたはずだが、あかねとの映像リンクが切れてしまって、もう上半身を起き上げる力もなく、自分の目で確認が出来ない。
大の字に寝転がったまま、遠ざかる意識の中であかねが喜んで騒いでる声が頭の中で微かに聴こえる。
(そのリアクションはちゃんと助けられたってことね。良かった……、わたしの二の舞いが生まれなくて。嫌々でも能力使った甲斐はあったな。でもこれって……もしかすると能力を全部使い果たしたってやつかも……。やばい……元に戻れるの? わたし……)
「梨奈? 梨奈! 大丈夫? 梨奈―――!!」
(あぁ……遥か遠くから微かに麻由っぽい声が聴こえる…………)
カタカタカタカタ……
規則的な軽い金属音が耳に入ってくる。時々鼻を啜る音がそれに混ざってそばで聞こえてくる。頬にあたってるのはやけに硬めの枕、じゃなくて、自転車のサドルか……。どうやら自転車の荷台に跨って頭をサドルの上に乗せたうつ伏せ状態で運ばれてるらしい。
(ちょっと待って……それってまさかビジュアル的に車に轢かれたカエルみたいで大分カッコ悪いって言うか、女子にあるまじき態勢になってない?)
また変な噂を流される前に態勢を直そうと思ったが、身体が自分の意思ではピクリとも動かない。諦めて他人に見られないことを祈るしかなさそうだ。こういう時はどういう神様に祈るのが適切なんだろうか……
「あかねちゃん、ここでもう自分家に帰って。もう大分暗くなってきたし」
頭の上の方で麻由の声が聞こえる。友梨奈は麻由の自転車で運ばれていて、それにあかねが並んで歩いているようだ。
「あ、でも……」
声音に躊躇してる感じがもろ出になっているあかね。通常なら母親にバレないように早く家に帰ることが彼女の最優先事項のはずだ。それと天秤にかけて躊躇するような重要事項があるとは思えないのだが。
(まさかわたしを心配してくれてるわけじゃないわよね)
薄目を開けてあかねの方を見ると(横向きでサドルの上にあった顔の方向にたまたまあかねがいたって言うのが正確だけど)、友梨奈の手元をじっと見つめてるように見える。
(なるほど……そういうことか)
「……私が勝手に持ち出したことにしとくからさ。あかねが早く帰らないと叔母さんにはまた私が無理に連れ出したことにされちゃうんだからね」
碧と叔母、どっちも怖いから怒られるのは嫌なのだけれど、敢えて比べると完全に濡れ着の方は怒られ損感が強いから非常に受け入れ難い。
友梨奈が連れ出してるのではなく、毎回あかねが勝手にやって来て、友梨奈が巻き込まれてるほうの被害者なのだから。羂索は、勝手に持ち出したのはあかねだが、実際に使ったのは友梨奈なので、まぁ共犯で碧に罰せられてもやむを得ない。
「梨奈!! なに? 気が付いてたの? もう!! びっくりさせないでよ!」
麻由が声を震わせてこんな感情丸出しな感じで大声を出すのは珍しい。まだ麻由の人となりを語れるほど長くも深くも付き合ってないけれども。っていうか大きな声が耳のそば過ぎてちょっと耳が痛い。
「何度起こそうとしてもピクリともしないし。あかねちゃんは、おね―ちゃん死んじゃった、って号泣しちゃうし」
もう一度あかねの方を薄目を開けて見ると、確かに目の周りが赤く腫れぼったくなっていた。瞳の方は通常の濃褐色に戻っている。
「だからそんな顔してるのか。バカね、人間がそう簡単に死ぬわけないでしょ」
まだJCなのにこんな早く人生が終わるなんてありえない。両親の分も長生きするというのは友梨奈の人生の大きな目標の一つなのだから。
目の周りを真っ赤にしたあかねがまだ瞳を潤ませながらボソボソと呟いた。
「お姉ちゃんも……いつもそう言ってたのに……あの日……帰って来なかった……」
あかねは友梨奈のことで泣いたというよりは、昔の辛い記憶を思い出して悲しくなってしまったんだろう。昔の心の傷を抉るつもりなんて全く無かったのだけれど、羂索を使う時にあかねの気持ちに配慮している余裕は友梨奈には無かった……。
「わたしがあかねに羂索渡してって頼んで、ただその通りにしただけなんだから、あかねは何も悪くない。こっちは大丈夫だから早く家帰りな」
薄暗くなった道路には街灯が点き始めている。そろそろ戻らないと会社から帰宅した時に自分の娘が家に帰っていないことに気付き、叔母さんが騒ぎ出すだろう。きっと真っ先に友梨奈の携帯に電話してくるに違いない。そろそろ番号を変えなければ。
「……麻由ねーちゃん、梨奈ねーちゃんをよろしくお願いします」
麻由に向かってぺこりと頭を下げるあかね。
「またね、梨奈ねーちゃん。おやすみなさい」
サドルの上の友梨奈の横顔に向けて手を振って、駆け足で角を曲がって消えて行くあかね。
「だ・か・ら……『また』は無いってーの。ったく」
(どんだけわたしが嫌々能力使ってると思ってんのよ。いい加減気付いてるでしょうに)
「梨奈――、起きてたんなら早く言ってよ。結構大変だったんだから運ぶの。意識が無い人間って本当重いよね。死体もそうなのかな。逆に魂抜けてる分軽いとか?」
いや、そんなもの運んだことないからこっちにもわからない。逆にJCがそんな経験あったら怖過ぎる。
「起きたんだけど、まだ体が全然動かないのよ。悪いんだけどこのまま家までお願い」
あかねがいた方向に顔を向けたまま、麻由に返答する。逆側の麻由の方へ首を回す力が出ない。
「……ったく。この借りは高いわよ……ってもまだまだ私の借り分のほうが全然残高多いか……」
んーー、それに関しては借りを作った時の記憶が当の本人に全く無いから、逆に正直ちょっと申し訳ない。なんか親が貸したお金の返済を子供が受け取ってるような感じ? 例えが的確かどうかよくわからないけれど。