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祈りの残響にその名を呼ぶ  作者: 五月伊織
第1章 定義
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幕間 定義 -Definition-

「それで」

 と、印を押した誓約書を大切そうな手付きで引き出しにしまい、ラグナは言葉を継いだ。

 かわりに、真っ白な箱を取り出す。

「さっき、お前が話したのは本当か?」

 対するアイルは、ペンを手放し椅子に深く背を預ける。

「言っただろう?」

 一拍。藍の瞳が、ラグナの金の瞳を見つめた。

「俺は嘘を吐かないと。俺は『アイル』を、そう定義しているからな。だから、全て信じろ」

 どちらが主かわからない。

 そんな従者の言葉に、ラグナは思わず笑いをこぼす。

「お前は、言葉に意味を詰め込みすぎなんだよ。計算なのか、素なのか、どっちなんだ?」

「言葉の意味、ねぇ」

 短い嘆息の後、アイルはそうだなと天井に視線を向けた。

 ゆっくりした動きで、人差し指が肘掛けの上を叩く。

「……教会相手に本音で話すほど、俺は愚かじゃない。沈黙さえも、都合良く定義される。だから、誰にも歪められない言葉を、俺は返すしかない」

 そう言い切って、アイルは再びラグナへ視線を向ける。

「納得したか?」

「ああ、十分に。アイル」

 逡巡し、ラグナは箱を手に取ると、アイルの前に押しやる。これを、アイルに強いる、最後の提案にしたかった。

「……着けるかどうかは、お前が決めていい」

 少しだけ、息を詰めて言った。押しつけだと思われたくなかった。けれど、願っていた。

 怪訝そうな表情を浮かべたアイルが、警戒を隠さず、慎重な手付きで箱を開け。

 息を呑んだ。

 銀鎖が触れさらさらと音がする。

「見かけ上は魔力封じ。だけど、本当に封じられているのは……他人の不安だけだ」

 ラグナはそう補足した。

 それは手枷だ。

 黒革に、魔力を封じるための紋様が刻印されていた。

「なるほど、ね」

 どうにか絞り出したような、低い声でアイルが続ける。

「俺を……自由にするって方が、無理か。安心したいんだろ、あいつらも」

 手枷には、短い銀の鎖がつけられていた。

 拘束には何の役にも立たない、形だけの装飾として。

「……ああ、そう思ってくれて構わない」

 ラグナは一瞬目を逸らしかけ、すぐにアイルを見つめ直す。

「俺は、どちらを選んでもお前を守る。契約も、履行している。今は監査名目で停止しているが、必ず上層部に要求を通す」

「本当に、今日は分が悪いな。俺が従ってやってるつもりでも、お前に踊らされてるような気分になる」

 舌打ちと共に、アイルが手枷を手に取る。

「こんなもの、俺には効果がないのに。あいつらは、見せかけの従順で安堵すると? はは、だがいい。この程度で世界を欺けるなら――なぁ、ラグナ」

 名を呼び、アイルは手枷を共犯者たるラグナに渡した。

「なら、お前が俺に着けろ。俺と共に罪を背負え。お前も、あいつらを欺いてみせろ」

 ラグナは言葉を失い、手枷を見つめた。

 短い鎖の先にある重みを、今、指先で確かに感じていた。

 手が震えそうになるのを、ラグナは隠した。

 締まる喉から、必死に言葉を紡ぐ。

「感謝する、アイル」

 アイルが差し出した左手首に、ラグナはそっと右手を重ねる。それは、揺るがぬ信頼だ。それに報いる、誓いの意思を示す。

「俺が、主としてその虚構を背負う」

 一呼吸の間、ただ隠せなかった指先の震えを見つめていた。

「気にするな。お前が命じていたなら、俺は受け入れなかった。その意味がわかるな?」

 ぱちんと、手枷の金具が音を立てる。

 アイルは表情を変えず、ただ一部始終から目を逸さなかった。

「わかってる。わかっている。これが、最後だ」

 これだけは、最後まで選ばせたかった。

 それは、嘘を吐かないと誓ったアイルに対する、敬意でもあった

 けれど、その重さに、ラグナは今さら気付く。

 彼は、主として守るつもりでいた。

 だからこそ、守るとは、命を差し出すことだと信じていた――そのはずだった。

 だがこの日、手を差し出したのはアイルだった。

 教会を欺く。それは、ラグナの立場では背信に等しい。

「俺は、ラグナ・ルクス・エテルナは、この名に誓う」

 それでも、ラグナはアイルと共にいたかった。

 教皇としてではなく、ラグナとして、あの藍色の瞳で見て欲しかった。

 だから。

「お前の献身に、敬意と感謝を捧げる。……契約に基づき、お前を庇護し、必ず、果たす」

 言葉で、契約をそう再定義した。

 これは嘘じゃない。

 真実を語れない世界で、沈黙を選ぶための選択だ。


 ※ ※ ※


俺たち二人は定義する。

この契約は、明日へ進む光となる。

我が名と祈りにかけて、世界を定義し直す。

それは、従属ではない。欺きでもない。

誰もが奪われた「選ぶ」という自由を、再び手にするための、定義だ。



1.定義:誰が、どのような目的で行うかを定めること。

契約と己の再定義。

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