表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

第4話 定義される祈り

 議場の扉が静かに閉じられる音を、エルヴィンは記録した。

 手元には、本日の議題と出席者の名簿。すでに全てが揃っている。


 だが、ひときわ異質な存在が、そこにいた。

 金髪金眼――神の象徴を体現する少年。

 その身を包むのは、淡い白金の礼装。

 胸元には太陽の刺繍。伝統と権威を示す紋が重なり、裾には古語の祈りが金糸で編み込まれている。

 肩から垂れる厚手の外套は、聖都の冬すら拒む重みを帯びていた。その内側にあしらわれた光輪の紋は、彼が歩んだ信仰の路を象徴するものであると、エルヴィンは知っていた。

 足元まで覆う装束が示すのは、『少年』の輪郭ではなかった。

 ――信仰、法、政治。

 その全てを背負う、神の代行者の姿。

 教皇ラグナ・ルクス・エテルナ。齢十五。

 異端者を伴って戻った少年。

 だが今、議場を見下ろすその姿に――誰一人として、若すぎるとは言えなかった。

 しかし、同時に、議場の誰もが抱えている、不安そのものだった。

(最初の一手で、何を差し出すつもりか……)

 記録官としての自分がここに座っている以上、傍観という選択肢はない。

 エルヴィンは、教皇席に視線を移す。

 その視線の先で、ラグナは堂々と座していた。背筋を伸ばし、手を組むその姿は、一言一句が記録されることを知る者のそれだった。


「ルクス・エテルナ陛下」

 議会に満ちた重い静寂を破ったのは、議長を務める初老の男だ。

「本日はお呼び立てして、誠に申し訳ございません」

 形式通りの挨拶。

 さらに議長が口を開いた途端、

「ルクス・エテルナ陛下、だ?」

 ラグナの、硬い声が落ちた。

「俺を、そう呼ぶつもりなら返事しない。声が欲しいなら名を呼べ」

 溜息混じりにそう言って、ラグナは椅子にもたれた。

「どうせここに、民はいない。俺とお前たちの仲だろ?」

 左手を軽く振り、そう要求する。

(こちらが、溜息を吐きたい)

 予想していたとはいえ、エルヴィンは眉間に指を寄せる。

 あの人の、悪い癖だ。

 議長はわずかに言葉に詰まり、周囲に視線を泳がせた。数名の議員が、咳払いのような息を吐く。空気が、一瞬にして濁った。

「……ラグナ様」

 議長が選び直した名は、ぎりぎり許容されたものだった。

 正式な場で、教皇に『様』を付けるのも、その名を呼ぶことも、本来教会の形式上あり得ないことだ。

 だが、それでもラグナは返事をした。

「それでいい。さあ、続きをどうぞ」

 椅子にもたれたまま、ラグナは淡々とした口調で促す。

 その言い方が、むしろ議会全体への試しだった。


 エルヴィンは目線だけを下げ、手元の議題書に視線を落とした。

『異端者の身柄について』

 すでに異端者――アイルは改宗に同意し、教会が定めた書式に則り誓約書を提出した。教会に属し、太陽神リザーブを主として敬うことに同意した。教皇ラグナは、自らの名と教皇印により、それを承認した。

 もう、書類の上では信徒なのだ。

(何を、議会は要求するのやら)

 エルヴィンは、そっと手帳の角を折る。

 教皇印は、絶対承認を意味する。

 それを覆すことが出来るのは、教皇自身か神か、どちらかしかない。

 制度が揺れているのではない。

 制度を揺らす者を、どう定義するか──その線引きだ。


 書類をめくる音が響いた。

「異端者が改宗の意思を示し、誓約書を提出した件について……。本会議は、教皇陛下のご裁可と、その法的効力を確認したく、召集いたしました」

「確認?」

 ラグナの声が、軽く跳ねた。

 まるで、呆れて笑う直前のような音だった。

「アイルの改宗は、もう既に、教皇印により承認されたはずだ。信仰に関する裁決は、俺の領分だろう。それとも、お前たちには記録が見えないのか?」

 エルヴィンは咄嗟に表情を動かさなかった。

 だが、議席の一角で数人の議員が微かに表情を曇らせるのを、確かに見た。

(やれやれ……完全に、挑発している)

 ラグナは、わざと火種を撒いている。

 感情を煽り、議論の場を選択の場へと変えるつもりだ。

 だが、それは最悪の手ではないとエルヴィンは理解していた。

 この場にいる誰もが『言質』を求めている。

 ラグナの意志と覚悟を、議事録の上に刻むために。

 エルヴィンは、その全てを記録するために、ペンを走らせる。


「……一言、よろしいでしょうか」

 口火を切ったのは、左翼の列に座る一人の女性議員だった。凍るような青い瞳が、真っ直ぐに教皇席に向けられていた。

 ラグナが鷹揚に許可を出し、彼女は一礼し口を開く。

「件の異端者が、形式的な改宗の手続きを経たことは、承知しております。ですが、信仰とは形ではなく心の在り方……。制度上は信徒であっても、それだけで信頼に足る存在と判断するのは、早計ではありませんか?」

 鋭く、言葉の刃を突き付けたのは、議会で異例の若さ。気鋭の才媛と呼ばれる人物だ。

 黒衣に身を包み、金の縁取りがされた法服の袖からは、若くもしなやかな指が覗いている。その肩を、銀茶の髪が滑り落ちた。

 その言葉運びは冷静で、しかし、ひとつひとつの語尾が鋭く研がれていた。

 彼女の発言には、幾人かの議員が頷きを見せる。

(……ここで言葉を割り込ませるあたり、相変わらずだな)

 エルヴィンは目元を伏せ、心の中でそう呟く。

「信頼、ね」

 対するラグナは、つまらなさそうな口調で、言葉を継いだ。

「教皇印も、誓約書も、祈りの姿も足りない、か。では問おうか。お前たちは何を見れば、人を信じる? その定義を、聞かせてくれ」

 言葉の責任を、相手に渡す。そして対象を議員全員に広げる。

 それがラグナの戦術だった。

「定義を曖昧にするからこそ、制度が必要なのです。信仰の正しさを裁定するのは、教皇お一人ではない」

 彼女――セラフィナ・クレドは、そう言い切った。

「うん、そうだな」

 ラグナが、金の瞳が細められる。

 エルヴィンは、ペンを握る手にそっと力を込めた。

「だけどさ。制度上は、俺の声は神の声とされてる。この辺り、お前はどう処理するつもりだ?」

 さしもの才媛も、言葉を失った。

(あの言葉を、正面から否定することは難しい……)

 エルヴィンですら、反論が思い浮かばない。


 金色の髪と瞳。

 それは、太陽神リザーブが地上に降り立つ時の姿だと伝えられている。

 故に、太陽神教会ではその象徴を持つ者を、神の意志を継ぐ存在――現し身として崇めている。

 教皇ラグナは、まさに二百年ぶりに誕生した正統な神の代行者だ。

(彼の言葉は、即ち、神の声。これを否定することは、信仰を否定することになりますが)

 エルヴィンは、そっと襟の釦をひとつ外す。

 彼の視線の先では、議員たちが顔を見合わせていた。


「陛下」

 長く続く沈黙を破るために議長が呼びかけると、

「はは、悪ふざけが過ぎたな」

 ラグナが笑い、雰囲気を一転させる。

「俺は言ったよな。祈りについて、建設的な議論を始めようって。そもそも、制度上はさ。建前がなんであれ、今の俺は何の権力も持たない。……十六になるまでは」

 そうだろう、と言いたげな目が議場をぐるりと見回し、最後にセラフィナを射抜く。

「だけど、同時に俺は、お前たちの話を聞く必要がない。この身に宿す金は、神の色。俺は、太陽神の現し身だ。故に、教皇印ひとつでお前たちの声を封じられる。それもまた、制度で定められたことだ。でも、俺は対話を選んだ。それをわかってるだろ?」

 制度上の『正しさ』を、少年は淡々と語る。

 それが全て間違っていないと、エルヴィンは知っていた。

 彼がその気になれば、議会など必要ない。

 印ひとつ、声ひとつで、全てを動かせるからだ。

 今は年齢を理由に制限はあれど、ラグナがその名の元に意志を示せば、誰も否定することができない。それが、教会の制度だ。

 ラグナが笑って続けた。

「それで。アイルの身柄が、なんだって?」

 それは、議題を問う言葉というより、明らかな挑発だった。

 誰が、どこまで踏み込むか。

 誰が、神の代行者に抗おうとするか。

 議場全体が、次の一手を誰が担うかを探るように、沈黙の間を共有していた。


「教皇様、僭越ながら」

 重々しく口を開いたのは、異端審問の総責任者であった。

「その者が形式上、信徒となったことに異論はございません。ですが、かつて禁忌を犯した者が、神の御前に立ち続けることに――どうしても、心が納得いたしません」

 同意のうなずきが、列を伝う。

(来たな)

 エルヴィンは記録しながら、その発言が制度の中にある信仰の、感情論であることを察知していた。

 空気が静まり返る。

 彼の言葉には、セラフィナすら頷いた。

「心が納得しない、と?」

 ラグナが、つぶやくように返した。

「では聞こう。お前たちは、罪を犯した者を、何と呼ぶ。罪人か? ならば、己の罪を悔い改めた場合は?」

 静けさの中で、ラグナが言葉を重ねる。

「答えは、信徒だろう。悔いて、祈って、赦されたいと願った者を、俺たち教会が見捨てるというのか?」

 その声に、誰もすぐには応じない。

「違うだろ。少なくとも、俺は――俺の教会に、そんな場所になって欲しくない。祈りたいと願う者に、祈る場を与えられないような……そんな教会であってはならないんだ」

 金の瞳が伏せられる。

 手が祈りのかたちに組まれた。

「少なくとも、俺が知るアイルは、真剣に祈っているよ。行動制限が課されているから、わざわざ朝と夜に祈りの時間を申請して――ああ、記録官エルヴィンに聞けばいい。信用できないなら、記録局に申請書を見せてもらえ」

 一瞬、ラグナの目がエルヴィンに向けられる。

「彼が信徒たり得るか。それを決めるには、まず俺たちが彼の祈りを見て、決めなきゃいけないだろ?」

 ラグナの声が、静かに広がった。

 質疑の嵐は、まだ序の口に過ぎなかった。

 この場の誰もが、教皇の声と自らの正しさとを天秤にかけている。

 議場の空気は、いよいよ張り詰めていく。

 ――この先、誰の祈りが届くのか。

 それを記すのが、エルヴィンの役目だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ