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プロローグ 『登校』

「ハイ良し!カッコいい!」


 学院襲撃から数時間ほど遡る。


 溌剌とした恰幅の良い女性の声が、一人の青年の背中を叩く音と同時に肌寒い早朝の、乾いた空気を刺激する。


 扉に“CLOSE”と掲げられた民間料理店の中に、彼らはいた。


 きっちりと折り目のついた、汚れ一つない新品の制服に身を包む青年が一人。あまり着慣れていないのか、フォーマルなドレスに着せられているかのようなちぐはぐさが滲み出ている青年と少女の二人。長い間着続けていたのだろう、少しばかりよれてしまっている普段着を纏っている女性が一人。


 民間料理店『憩いの集い場(ラフレスト)』は彼女、ナーシャ・ファウルフが切り盛りしている小さな店だ。大繁盛、とまでは行かないものの、常に常連客の誰かが賑やかしており、食うに困らない稼ぎは出来ている。


「なぁお袋、ほんとに来なくていいのか?別に店番なら変わるぞ?」


 心配そうに声をかけるのは、この店の一人息子――いや、長男のステイン・ファウルフ。今までこんな上質な礼服など袖も通したこともなく、軽くとはいえ髪をセットするなんてことも初めてである。本音を言えば、こんな窮屈な格好なんて今すぐにでも脱ぎ散らかしたいが、何とか我慢している。母親への気遣いの中に、そんな本音が漏れていることを否定はできなかった。


「アホタレ。お前が行かなきゃ誰が行くってんだい。弟の晴れ姿は兄が見てやんな」


 それは母親であるあんたも同じだろ、というセリフが溢れそうになったが、『兄』という言葉に弱かったステインは母親には食い下がらなかった。

 

「それじゃあ僕がナーシャと変わろうか?」


 小さく手を挙げながら言うのは、ステインの隣りにいる少女、ウィネクト・ファウルフ。白を基調としたドレスに赤いリボンを身に着けている。この後謎の集団と殴り合う未来が待っている。


 ウィネクトの発言に、更に呆れた気持ちを込めてナーシャは言葉を吐き出す。言った言葉の愚かさを自覚させようとするデコピンと同時に。


「それこそアホタレ!ディアの入学式にウィンが行かないなんてことがあるか!関係者は二人までなんだから、ウィンとステインで行きゃあいいんだよ!」


 今日行われるのは、フェルドルナ精霊術学院の入学式。ここ、ラージシャフト大陸において最大の学院を誇り、各国から優秀な子供達がこの門を潜ろうと毎年集いに来る。この学院の卒業生は皆将来が約束されているのも同然で、様々な貴族達が我が家名に箔をつけようと自慢の子供を送り、入学試験を受けさせている。最も、その内の一割も満たない程の人しか、フェルドルナ精霊術学院の名を名乗れないわけだが。


 そんな狭き門である扉を、今ここにいる青年のディア・ファウルフが潜ろうとしているのだ。


 あまりにも一大快挙。


 一様にとは言えないが、優秀な子供というのは殆どの場合が貴族である。


 その高い能力を活かして金や権力を手中に収め、地位を獲得していく。そして新しい優秀な子を引き入れ、更に優秀な遺伝子を構成に残していく。


 それが貴族だ。


 非常に極論になってはしまうが、貴族の出ではないそれ以外の平民は拙劣であり、非力であるというのが世の常識になっている。


 対する、今日入学するディアはごく一般の家の出だ。名声なんて近所の常連客からしか上がらない。


 そんな彼が、ほんの一握りですら弾かれる、最高峰の学院に入学するなんて快挙も甚だしい。阿鼻叫喚の嵐になっていてもおかしくないことだ。


 にも関わらず、当の本人は至って真顔。喜ぶ素振りも、ましてや緊張する素振りも見せずにただただ立っている。ごく普通の日常を過ごしているかのようだ。


「むしろナーシャが一人で平気?入学式で絶対人通り増えるし、ウィンも残したほうが良くない?」


 それどころか自分より親の心配をする始末。まるで自分の置かれている状況を理解していないようだ。まぁ今に始まったことではないので、もはや周りの誰も気に留める様子はないが。


「舐めんじゃないわよ。あんたらがいなくてもあたしゃ一人で回してたんだ。たかだか一日の祭り騒ぎなんてササッと捌いてやるさ」


 この店、『憩いの集い場(ラフレスト)』から学院までは、まぁまぁ近い。と言っても普通に歩いて三十分程度。徒歩で考えると少々距離があるかもしれないが、世界各国から集まる場所と考えれば十分近いだろう。そしてここは国境から学院までを繋ぐ大通りから一本だけ外れた道に構える店。大通りほどの賑はないだろうが、平日よりは十分に人が集まることは予想できる。ディアの心配は全くの的外れ、ということにはならないだろう。


 全く、どんだけ他人の心配すれば気が済むんだ。


 心の中で溜息をついた後、ほら、とナーシャは三人を追い払うように手を払う。そろそろ家を出て良い時間になっていた。


「じゃあ行ってくるわ」


 ステインの言葉を皮切りに、三人は目的の学院へ向かおうと店の扉から出ていく。


 その姿が目に入ったナーシャは、不意に目頭に熱がこもり始めた。


 彼ら三人の背中に、子供の成長を感じてしまったからだ。


 孤児だったディアとウィネクトを拾ってかれこれ八年。何も識らない二人に足りないながらも知識を与え、街での暮らしを教えた。そんな過去もはや昨日の事のように思い返せる。


 それが今や立派な服をこしらえて、その内の一人は世界有数の場所に入学が決まった。心が揺り動かないわけがなかった。


「さぁぁって、店の準備でも始めるかね」


 誰もいないその店に、敢えて少し大きめの声を出す。このままではそのまま泣き崩れ兼ねない自分に言い聞かせ、無理矢理に体を動かして体の熱を発散させようとする。


 そんな親心なんて知る由もなく、子供三人は街を歩く。


 大通りから外れた、少し細い道。細いと言ってもあくまで大通りに比べてであり、今歩いてる道も三人が横に歩いてもさらに倍以上余裕があるくらいには広めの道である。日が出てから時間も経ち、所々に人が往来し始めている。


「じゃあ、最後のおさらいだ。はい、暗唱!」


 二人の間を歩くステインは、まるで教師になったかのように指を立てた後、右隣を歩くディアを指した。

挿絵(By みてみん)

「僕はティアロの山でウィネクトに拾われて、十三年間その山で過ごしてきた。その後二人で街に降りたら、今の家族に拾われて養子になった」


「はい素晴らしい!」


 問題なく言えたことに拍手を送る先生。その隣歩く少女も一緒に拍手を送った。


「はい次、ウィン!」


「僕はティアロの山で生まれた精霊獣。いつ生まれたかは覚えてない。山の中で過ごしていた時にディアを拾って、そのまま育てた。そして八年前に街に降りてきたとき、今の家族に拾われて養子になった」


「よろしい!ウィンも完璧だ」


 再び拍手を送る先生に、今度は青年も一緒になって少女に拍手を送る。


 完璧に台詞を覚えていた二人に喜びの表情を浮かべていたのも束の間、ステインはスッと顔を戻し、少し伏せながら謝った。


「悪いな、二人共。こんな嘘つかせて」


「ステインが謝る必要はない。そう言わなきゃいけない理由があるし、それに僕達も納得してる」


「いやそうなんだけどさぁ。嘘をついちゃ駄目って教えた手前、こっちの都合でそれを曲げさせるってのもなぁ・・・」


「嘘には誰かを傷つける嘘と、誰かを守る嘘がある、って教えてくれたのはステイン。僕達が言わないのは誰かを傷つける嘘の方。だから僕もディアも約束は破ってない」


 二人はきっぱりと言い切った。


 そう、言ってくれるだろうと思っていただけに、その言葉を言わせた自分が情けなくなる。


 だが、実際問題重要な嘘だ。


 これに関する事実が表沙汰になれば、少なくとも二人は厄介事に首を突っ込む羽目になるだろう。最悪の場合死人さえ出かねない。


 これは必要なことだ。


 事実を知って、誰も特をする人はいない。


 頭の中で記憶の悲鳴を響かせながら、自分を騙し続ける。


「ありがとな、ディア、ウィン」


「よう!憩いの集い場(ラフレスト)の坊主たち!」


 感謝の言葉を(つんざ)くように放たれた野太い声。この道もまだ静かな方だった故に、その声がよく響く。


 声の方を向くとよく行く肉屋が見え、見覚えのあるゴツいおっちゃんが店の前で腕を振っていた。店の常連の一人だ。


「ヴァイラさんじゃないっすか! え、昨日あんなに飲んだのにもう起きてるとか、偽物っすか?」


「うっせぇガキが! 俺ぁその気になりゃ朝に動けるってぇの!」


「どの口が言ってんだが。私が何度叩き起こしたか分かってる?」


 店の奥から呆れた声を出すのは、この店の店主の奥さん。つまりヴァイラの妻だった。ゴツい彼とは対照的の華奢な体で、二人の組み合わせはまるで美女と野獣のそれだった。


 彼女の言葉に居心地が悪くなったのか、苦虫を潰したかのように顔を歪ませながら手で追い払うヴァイラ。


「おはよう、イサーニャ」


「おはよう、ディア君。ウィンちゃんもステイン君もおはよう」


 二人も挨拶を交わす。いつもだったら何かしら彼らの手伝いをしていた三人だったが、流石に今はそんな余裕もないため、軽く他愛のない言葉を交わす程度に収める。


「ほら、ディア。コレやるよ」


 そうヴァイラから渡されたのは、首に掛けられる赤く長い紐に、動物が象られた手のひらサイズの木の板。そこに小さく文字が彫られていた。生憎と文字とは分かるが、普段使われていないであろう文字故に何と書かれているかは分からなかった。いわゆる御守である。


「この人、それ手に入れるのに三日かかったってのに、昨日飲みすぎて渡すの忘れてたのよ?」


 馬鹿よねぇ〜と呆れつつ笑いながらバラす嫁に顔を真赤にしながら怒鳴り散らす厳つい旦那。どう頑張っても嫁には敵わないようだ。


 それを悟り、顔をディアへと再び向ける。


「こいつはなぁ、霊験あらたかな精樹『ロトース』から作られた、神の加護が込められた超有り難い御守だ。これを持ってりゃ何かあっても神様が守ってくれる。大切に持ってろよ?」


 説明を聞きながら、いろんな角度から御守りを観るディアとウィネクト。初めて見るそれに少しばかり目を輝かせている姿は幾分か幼く見えた。”神の加護“という文言に心奪われたようだ。


 だがしばらく見ていると、徐々に表情が普段のものに戻っていった。いや心無しか残念そうな色も混じっているかもしれない。


「なんにも感じない・・・」


 そう呟くウィネクト。その言葉に何と返していいか分からずバツの悪そうにしているヴァイラを尻目に、イサーニャはきっぱりと言い放つ。


「それはネルクステで売ってる市販の御守りだから、特別な力なんてないのよ」


「そうなの?」


「そうなの。ただ、ウチのが『二人共頑張れ』っていう願いが込められた御守りだから、持っててあげてくれる?」


 イサーニャの言葉に、もう一度御守りを見る二人。


「願いが込められてると何が起こるの?」


 素朴な、しかし難しい質問を繰り出すディアに、言葉を選ぶイサーニャ。少し間を空けて、口を開いた。


「何も起こらない。何も起こらないけど、困った時とか、心細くなった時にそれを見てると、一人じゃないって気付けるの」


「? ウィンがいるから僕は一人じゃないけど?」


「あぁぁぁ、そっか、そうだね。じゃあ言葉を変えるね」


 そう言いながら手を伸ばしてヴァイラの太い腕を掴んで引き寄せると、彼女は笑って


「あなた達には私達が付いてる。だから困った時は思い出して、私達を頼ってね?」


 と、優しさを投げかける。


 が、当の本人たちはピンときていない模様だった。わざわざ御守りを見なくとも、この二人の夫婦を思い出せないわけがない。


 二人だけじゃない。今まで関わり、良くしてくれた人たちのことを、ディアもウィンも忘れたことなんて一度もない。


 誰かを思い出すためのアイテムなら、持っていても必要はない。


「って言ったけど、よくわかんないか」


 二人の表情で察したようだ。良くも悪くも、二人は嘘をつけない。顔に良く出ることは理解している。


「うん、分かんない」


 でも、とディアは御守りを強く握りしめる。


「ヴァイラがくれたものだから大切にする。ありがとう」


 その言葉につい頬が緩んでしまう厳つい男。しかし男のプライドからか、そんな表情を見せまいと必死に表情筋に力を込めて平静を装おう。だがその結果、逆になんとも言えない変な表情になってしまい、自身のプライドを貫き通すことはできなかった。


 旦那の心情を完全に把握している嫁は呆れた様子で笑みを浮かべ、からかうように脇腹を突付く。


 お陰で誤魔化しきれていないことを悟ってしまったヴァイラは、イサーニャの手を軽く払って咳払いをした。


「ほら!ウィンとステインの分もある!受け取っとけ!」


 そう言ってぶっきらぼうを装いもう二つ分の御守りを投げ渡した。


 それに喜び感謝を告げるウィネクトに、疑問を浮かべるステイン。


「なんで俺まで? 俺学園に行かないっすよ?」


「馬鹿野郎! 二人に渡して、お前にあげないわけにはいかないだろうが」


「・・・ヴァイラさん、これでもっと見た目がスマートだったらモテるのになぁ」


「ねぇ。ただでさえ筋肉が自慢だって言ってたのに、今じゃもう弛みまくりでぶよぶよなのよ?」


 優しい彼の気遣いに、素直に感謝するのはなんか癪だった。その役割は、既に二人が担っている。


 というわけでステインは最大の感謝を込めて、思いっ切りからかう事にした。


「お前らの目は節穴か!? どう見てもこの筋肉は健在だろうが!ほら良く見ろ!」


「ほら二人共、筋肉オジサンが自慢してるぞ? 腕にぶら下がってやれ」


「「分かった」」


「ま、待て! それはちょっと待て! ぐぁっ! ウィ、ウィンはともかくディアは駄目だろ!」


「あはははははははは! すごいすごい!」


「おぉぉぉ、ヴァイラさんやるぅ」


 朝の街に笑い声が響く。


 そんな彼らが、時間を忘れてしまうのは仕方ないことではあった。

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