お正月
年末は、暮れらしいことを全くしないまま暮れてしまった。結局お歳暮のコーヒーも貰えなかった。めでたいことも特になく、あえて言えばこの日記を新年まで続けられたことくらい。餓死することなく生きて来られたということだし。
年越しそばは、ここのところは糖質ゼロ麺で作っていたのだけれど、美味しくなかった。納豆を入れると美味しく食べられるということを発見していたのだけれど、それもしなかった。屠蘇散も売っていなかったので日本酒も買わなかった。いつもの安い泡盛も売り切れていたので、安い芋焼酎を代わりに買ってきた。翌日には復活していたけれど。アルコール三十度で千五百円と、二十五度で千円とではどちらが割安だろうか。値段が三対二で、度数が六対五だから、焼酎の方ではないか。このところはお湯割りで吞んでいて、呑んでいるうちに濃く作ってしまう嫌いがあるので、こっちの方がいいのかな。
慈姑だけは毎年買っていたのだけれど、去年は買わなかった。一応スーパーで売っていたのだけれど、高いし調理も面倒そうなのでやめた。隣の県のデパ地下では小振りの慈姑が売っていて、それなら痛めるだけでも食べられるので、近年はそうしていたのだけれど、そもそも電車に載ることがなかった。
子供のころの年越しそばは天麩羅蕎麦だった。うちで作ってくれたのだと思う。海老の天麩羅も上げてくれたのだっけ、買ってきたのだっけ、憶えていない。先日近所のスーパーで海老の天麩羅を売っていたので一瞬買おうかと思ったのだけれど、見たら小さいのでやめた。別の売り場で大きめのが売っていたけれど、こちらは高かった。
御節も親が作ってくれた。何が入っていたのか。ごまめが好きだったことは書いた。ごまめというのは、田造のことだ。ごまめで正月やってくる、という歌を自分で作って歌っていた。慈姑は入っていた。普通に煮たもの。人参や午房も煮たもので、煮しめという言い方をしていた。蓮根も入っていた。あとは、黒豆、紅白の蒲鉾と言ったところだ。そうそう、睨み鯛もあった。鯛は誕生日にも食べさせてくれた。身を食べた後は、お茶漬けにするのだった。お皿に骨と皮を残したまま、そこに直接お茶をかけてスープをのむのだ。
レコード大賞と紅白歌合戦は毎年見ていた。ピンクレディーが新人賞を取ったころまでは観ていた。まだ爆発的には売れていなくて、最優秀は取れなかったけど、このときの最優秀が誰だったかは覚えていない。調べればわかるんだろうけれど。たぶん紅白歌合戦の最後の方は寝てしまっていたのではないか。それでも、年が変わるころには、近所の寺に除夜の鐘を突きに行った。その寺に、冬になるとおでん屋が出ることは前にも書いたね。串に刺したやつで、私はじゃが芋が好きだった。
正月はお雑煮を食べた。白味噌仕立ての関西風。餅は丸餅を焼いてから入れる。凧揚げくらいはしたけれど、かるたも羽子板もしなかった。だから百人一首が覚えられなかったのだろう。小学生の後半は、ゲイラカイトが流行ったけれど、一度か二度揚げただけで飽きてしまった。
昔のことはこれくらいにしようか。大晦日の昼は、葱と豆腐が既に消費期限を過ぎていたけれど、匂いもしないし炒めて食べた。特に腹具合も悪くならなかった。豆腐は先に湯搔いておいて、葱を炒めてから投入する。そこへ卵で閉じた。味は七味と醤油。七味は、容器は高級スーパーで買ったいいやつだけれど、中身は中国製の詰め替え用。ゴーヤーチャンプルーのゴーヤ抜きという感じだ。挽肉を入れて豆板醤で炒めたら麻婆豆腐になるんだけれど、どちらも高いので買っていない。
夜は安売りしていた大きめの焼売。なにかで宣伝していた、四角の鍋に並べて水を入れて沸騰させ、蓋をして放置する。この鍋とフライパンの間くらいで形だけ特殊なものは、数年前にスーパーで衝動買いしたものだけれど、焦げ付いたのでスポンジでごしごし洗ったら、テフロンが一部取れてしまった。それから、これも安売りシールの貼ってあった大判の薄揚げにポテトサラダを載せて、魚焼き機で焼いた。グラタンみたいになるかと思ったけれど、ただの薄揚げとポテトサラダだった。




