子供のころの消灯時間
お久しぶりです。生きています。
子供のころの私たちの消灯時間は午後八時だった。土曜の夜と、刑事コロンボがあるときだけ夜の八時以降もテレヴィを観るのを許された。六畳間に布団を並べて、壁際の箪笥の上に設えられたブラウン管を観るのだった。土曜日は、午後七時半から九時まで特撮やアニメをやっていたので、それを観るのだった。
テレヴィの載っている箪笥よりももっと高い箪笥もあって、その上はいつからか天国と呼ばれるようになって、穴の開いたぬいぐるみが並べられていた。私たちはそういう壊れかけのぬいぐるみたちを愛していたので、いつまでも遊んでいたかったのだけれど、親がぬいぐるみの中身が零れてゴミになるのを嫌がったから、仕方なく、そこから降ろさないという条件で延命を図っていたのだった。けれど、それらはいつの間にか捨てられていた。
ソフビ怪獣が近所の子供たちに分け与えられていたということも前に書いた。そういう風にして私の子供時代は終っていったのだろう。
レコードのことも前に書いたけれど、レコードでの遊び方は、持っているシングル盤を並べて、その中からベストワンを決めるというやり方だった。二つずつ比べてトーナメント方式で勝ち上がっていった最後の一枚をかけるのだった。怪奇大作戦が一番人気だったように思う。ニャロメの歌が次点くらいか。ニャロメというのは天才バカボンに出て来る猫のキャラクターだけれど、テレヴィでやっていたアニメはあまり見なかったように思う。でも、ニャロメというキャラクターは好きだったし、今でも好きである。
ミニカーも数十台持っていて、これらを使ってぶつかり合いのゲイムをしたということも前に書いたように思う。ぶつかり合いという概念を持ったのは、親の会社の近くに広い空地があって、そこで自動車のぶつかり合いをやっていたからだ。映画の撮影だったのだろう。
家でよく遊んだのは、野球盤だった。野球自体にはそれほど大きな興味は持っていなかったが、野球盤は毎日のように遊んだ。単に試合をするだけでなく、架空のティームを作ってリーグ戦をやっていた。そのティームに所属するのが、持っているぬいぐるみやソフビだった。わんこちゃんという青い犬のぬいぐるみと、くろくまくんという、当時は知らなかったコアラの直立したようなぬいぐるみのティームが双璧だった。ファイヤーマンは、いまでいうなら二刀流だな。投手のときも上位を打ったし、投手のローテーションでないときは、指名打者だった。まるっきりオータニだな。数合わせに本当に架空の選手も作った。あい、うえ、おか、と五十音の選手たちを創造して、それぞれ漢字を宛てて、会、上、丘とした。現実にいそうな苗字だ。
日本での指名打者制は、私が小学生のころに始まった。小学校二年生から、藤井寺球場から歩いて十分くらいのところに住んでいたので、ときどき野球の試合を見に行ったのだった。藤井寺球場はまだナイターの設備がなかったように思う。指名打者制が始まったときは、球場で説明のパンフレットなんかを配っていた。当時は指名打者ではなく、指名代打と言っていたっけ。野球場に行くときは、親がおにぎりを作ってくれた。おかずは焼いた目刺しだった。私は目刺しが好きだったが、今では硬くて食べられない。
本拠地にしていた近鉄バファローズも無くなったし、藤井寺球場の跡地は、しばらく中古車展示場になっていたけれど、いまは私立の小学校になっている。
オータニは結局ドジャーズに入団した。私の予想は大外れ。考えてみれば、オータニほどの立場になれば起用法にも口を出せるので、監督の采配の良しあしはあまり関係ないのだろうし、十年契約の途中では監督も交代するだろう。それに、オーナーやジーエムが交代したら契約を破棄できる条項がついているらしい。今のオーナーやジーエムとの信頼関係もあるだろうし、契約にも起用法について書かれているのだろう。




