敬老の日
今日は敬老の日らしい。私はどちらかというと敬われる方の年齢だが、子供がいないので、特にイヴェントはない。
ブルーレイレコーダに付属していたディスクプレイヤは壊れているので、古いノートパソコンにスピーカを繋いで、音楽を聴く。古いと言っても八年くらい前のモデルで、ウィルス対策ソフトの警告が出ているが、スタンドアロンでネットにつないでいないので、無視している。このパソコンは、以前は業務に使っていたやつだが、いまはコンパクトディスクを聴くのにしか使っていない。
最近聴いているのは、インストゥルメンタルのもので、再版されたコンパクトディスクのジャケットにバンドのメンバーのサインが入っている。このバンドのリーダーのサインには日付が入っていて、二千十一年となっているから、十二年前か。どこのライヴ会場でもらったものかは覚えていない。対談がライナーに載っていて、そこに裏話のようなことが話されていて、はじめにエルピーで発売されたときに全く評価されなったようなことが書かれていた。ヴォーカルが入っていないことも歓迎されなかったような。
私はこのアルバムを、そのエルピーで持っているので、発売時に買ったのだろう。当時はサイン会はやっていなかったのでサインは入っていないし、会場ではなくレコード屋で買ったものだと思う。恐らく大学生のころだ。もう、レコードプレイヤは持っていたのだろうか。ミニコンポのようなものを持っていたような気がする。レコードからカセットテープに録音して、カセットテープで聴いていた。ヴォーカルは入っていないが、ヴォイスは入っているし、私は気に入って聴いていたように思う。
大学生になって初めて住んだのは、最寄駅からバスで十五分ほどの学生アパートで、そのときはカセットデッキしか持っていなかったので、同じアパートに住む先輩学生に頼んでダビングしてもらって聴いていた。前にも同じことを書いたと思うが、そこは私の通う大学とは別の大学に近いところで、そちらの学生が多かった。バスも少ないので、歩いていくこともよくあった。歩くと三十分くらいだったろうか。
食事は、大学の生協以外では、近所のラーメン屋によく行っていた。主婦が子供を連れてくるような店で、そこでラーメンライスを食べたのだった。いちど、サークルの友達がハンバーグを作りに来てくれた。焜炉は小さいのが部屋の附属物としてあったが、冷蔵庫も皿もなかったはずだ。洗濯機は共同のものが廊下にあった。そこでほかの学生と知り合ったような憶えがうっすらとある。
最初からそこは仮住まいのつもりだった。初動が遅かったので、大学の近くの部屋を借りられなかったからだ。多くの学生は、合格したような段階で部屋を抑えているようだった。私は入学式の直前に部屋を探したので、いいのが見つからなかったのだ。私はそんなことも知らなかった。もちろんインターネットも普及していない時代だった。半年くらいしてから、大学まで徒歩で行けるところに引っ越して、そのとき冷蔵庫や洗濯機を買ってもらった。そのときはもうあまり授業に出なくなっていたけれど、食事は殆ど大学生協に行って食べていた。
スマートフォンはもちろんなくて、ライヴの情報も地図アプリもなかったから、すべてぴあとぴあマップが頼りだった。ぴあを隈なく調べて、プレイガイドでチケットを買う。プレイガイドはどこに在ったのだろうか。最初に住んだところの最寄り駅には、商業施設がたくさんあったからそこで買ったのだろうか。生協の中にもあったかもしれない。
ライブや映画は、近所では殆どやっていなかったので、電車で都心まで出かけた。新宿とか渋谷とか上野とか池袋とか。初めのうちは、ぴあマップの該当のページを切り取ってポケットに入れたのを見ながらだったけれど、行く場所は限られていたので、そのうち要らなくなった。
そう言えば、よく行った渋谷のライヴハウスが、もうなくなったと思っていたけれど、私の勘違いで、そこはまだある。なくなったのは、別のよく小劇場の演劇をやっていたところだった。そこへ筒井康隆の芝居を見に行ったら、当の筒井さんが、隣の席に座ったことがあったっけ。




