孤独について
夢の中に、中学生のときの思い人が出てきた。祭か何かで偶然出会い、話をした。私は家族と一緒だった。両親やきょうだいと。相手は一人だった。
帰りがけに、今度は花火のときにでも、と言うので、うん、必ず来るよと。うちの家族はそういうのは必ず行くことにしてるんだ。
そして、帰り道に古書店に寄るのだった。かなり大きなお店。古書センターのようなところだったかもしれない。私はいかがわしい雑誌を見付けてしまい、そこは避けて、昔のマンガの集まっているようなところに移動する。
夢の中では、入れ替わることがよくある。たとえば、学校の夢を見るときは、教室が必ず左右対称になっている。だから、この夢の中の彼我は逆になっているのかも知れない。ほんとうは、一人なのは私で、家族連れの友人に誘って欲しいのかも知れない。
私は孤独を愛しているのだろうか。
確かに私は、仕事の顧客以外で人と会うことは殆どない。
買い物はだいたいスーパーの開店直ぐに行くことが多いから、店員は私のことを覚えているかもしれない。しかし、普通に会話することなどない。むしろ覚えられていることで、会話が減った。お支払方法は何ですか、とか、ドライアイスは入用ですか、などは聞かれなくなった。いつも現金払いだし、ドライアイスを貰ったことなどないということを向こうが覚えているからだ。
コロナ禍になって、あまり家から出なくてよくなったのはありがたいことだ。以前も、今夜は焼き肉を食べに行こうとか思っていても、家で本を読んでいたら忘れてしまった。事程左様に私はインドア派だ。ぼっちキャンプにさえ行こうと思わない。
映画館に行くのは、以前は好きだった。毎月一日は映画の日で安くなるから、その日は何か観たいものを探して観に行ったものだ。でも、最近そうするのが億劫なのは、途中でトイレに行きたくなるからだ。映画自体が長くなっているのも一因だ。二時間以上トイレを我慢することは難しくなっている。せいぜい一時間半だし、そういう映画は最近少ない。まあ、よっぽど面白ければ行くんだろうが。だから、最近でも年に一二回行くことがある。
今年は行っただろうか。行ってないように思う。
あとは、本当は書店に行きたい。だから京都の古書まつりなんかは喜んで行くわけだが。近場の書店は、午前十時にならないと開かないし、その時間はだいたい買い物を終えてうちに帰って、メジャーリーグ中継を観ている。エンジェルズ弱いし、もう別に観なくてもいいんだけれど、何度も出かけるのは面倒だと思ってしまう。
外で誰かと酒を呑むのはやめた方がいいと思うようになった。つい呑み過ぎて、前後不覚にまで酔っ払い、道に倒れて眼鏡を割ったりするからだ。ひとりでならそこまで呑まないから、たまに行くことはあった。旅先でも、地元のスーパーで買ったものをホテルに持って帰って呑むことが多くなった。最近外で呑んだのは、新宿の中華居酒屋だったけれど、あそこは不味かった。その前は、どこかの居酒屋だったけれど、あそこはリーズナブルで美味しかったよな。
その前は近所の食堂で、あのときは、朝から水道工事で数時間断水してうちで食事ができなかったので行ったのだった。そこは午前九時からやっているから、たまにでも行けばいいとは思うけれど、ここ何年かで、行ったのはその一回きりだった。刺身はないかと訊いたら、まだ入荷していないということで、唐揚げとハイボールを頼んだ。
こうして書いてみると、まあまあ外食しているよな。年に数回なんだから、多いとは言えないがね。
私は高校までは実家にいたし、学生時代や会社員時代は学友や同僚とよく話したし、吞みにも行った。だから、本当に孤独な生活をするようになったのは最近のことだ。最近と言ってももう十年くらいにはなるか。人と話すのはそんなに愉しくない。良くない傾向かね。




