呑んでしまった
ああ、呑んでしまった。
何がわるかったのか。夜のメニューがキーマとチキンナゲットだったからか。キーマは、月曜日にコンヴィニで買った無印のレトルトだ。チキンナゲットはスーパーで安売りしてたやつ。
仕事がおわって帰ってきて、四角い鍋にチキンナゲットを投入して蓋をしてあげ焼にしながら、片手鍋でレトルトを湯煎。それと同時にいそいそとグラスに製氷皿の氷を入れて、そこへ千八百紙パックから芋焼酎を容れてしまった。
禁酒をするためには買わないことだ。それしかない。
まあ、毎日呑んでたときから比べたらマシだと言えるかな。気のせいかもしれないけれど、一日呑まなかっただけで、酔いのまわるのが早かったし。こうやって、せめて一日おきにしてみよう。そんなこと言って、また呑んでしまうのかもだけど。その戒めのために書いているところはある。
呑んでしまうのは、仕事がおわって疲れているから、それを癒したい気分と、呑んだ方が眠れるという感覚からだ。もちろん無理やり飲んでいるわけではなくって、もとからアルコールの味は好きだ。
子供のころ、親が晩酌をするのを見て、泡だけ頂戴といってビールの泡をなめていた。よく、ビールなんか苦くて飲めないという若者がいるけれど、苦いのが不味いとは全く思わなかった。アルコールの味と糖分の味とホップの香り、そういうものが美味しかったのだろう。
ウィスキーを本当に吞んだのは、伯父の葬儀のときだったと思う。私は伯母宅に残されて、親たちは出かけていた。テーブルの上に角瓶が置いてあった。私はそれをグラスに入れて、ちびちび飲んでいたのだが、けっこう吞んでしまったようだ。自宅に帰った記憶がない。
学生の頃も、ビールがメインだった。私の一人暮らしのアパートに仲間が集まって飲むときは、ビールばかりだと高いので、樽生を一本のほかは、焼酎をコーラやスプライトで割って吞んだ。当時はまだガラス瓶だっただろうか。
真夏には瓶ビールをラッパのみした。それでも、というか、それだからというか、汗は滝のように流れたが、涼しさは感じられたっけ。
ビールをあまり呑まなくなったのは、高いからと重いからだろう。
買うときは、容量当たりのアルコール度数と、容量当たりの単価を考えて買うようになっている。ただ、あんまり不味いのは呑めない。最近のコストパフォーマンスで言えば、三十度の泡盛がいい感じだった。
まあでも、買わない方がいい。とにかく、来週の月曜日までは買わないと決めた。
めずらしく、メジャーリーグのオールスターを最初から最後まで見た。これは、メジャーリーグのことがよくわかってきたからだろうか。今世紀の最初の十年は、イチローだけがお目当てだったので、かれのプレイ以外はあまり見ていなかったが、最近はオオタニ以外のプレイも見るようになったのだと思う。
試合がおわって、壁の日程表を見たら、資源ごみの日だった。しまった。忘れていた。これでは、空き瓶が減らない。買わなければ増えもしないだろうけれど、すでにかなり溜まっているんだよな。