秋の虫と就職活動
夜明け前、目を覚まして、ふと気づくと秋の虫の音が聞こえた。私は、蟋蟀だとか螽斯だとか、どれがどの声かはわからない。けれど確かに秋の虫だと思った。昨日少し涼しくなったかなと思ったところだった。涼しいと言っても、昔ならまだ真夏の気温である。小学生のころは、三十度を超えたら真夏で、三十五度なんてそうそうなかったもの。
まあ、でも秋が近づいているのだろう。そう言えば、蜩の声が聞こえない。そう簡単に取って代わるものだっただろうか。
猫のいたころは一日中エアコンをつけっぱなしだった。私が出かけている間、暑くなるだろうと思ったのと、サッシを開けていたらベランダから脱走すると困ると思っていたからだ。それなのに、猫がいなくなってからもそうしていた。今年は、電気代をケチるためにようやくエアコンをかける代わりにサッシを開けることにした。
自宅では、別に汗だくになっても、熱中症にならなければいいやという感じだけれど、仕事場ではそうもいかないのでエアコンをかけている。これが、夜になって気温が二十八度を下回ったとしても、エアコンを切ると暑いのだった。冷房にしても暑いので、ドライにしていてようやく涼しく感じる。湿度だけでこんなに暑いものだっただろうか。去年までは、最初はドライにしても湿度が下がったら冷房に切り替えていたはずなのに今年はそうはいかないのは、やはり気候が変わってきているのだろうな。
十月には預金が尽きる、ということは何度も書いているけれど、そのためには九月に収入を増やさなければならない。個人事業所の売上を上げる努力もしているが、それがなかなか実らないので、オンラインのアルバイトや、パートの仕事も探している。
昔見たテレヴィのドラマで、エリートサラリーマンが何か失敗をやらかしてクビになった後、学校の先生に就職するというシーンがあった。そんなことがそう簡単にできるのだろうか。教員免許を持っているということがそんなに稀だったのだろうか。まあテレヴィなんていい加減なものだから、事実に即しているとは限らないのだが、当時は今と違って子供がたくさんいたから教員の需要も高かったのだろう。
私は大学に入ったときに教師になるつもりはあったんだろうか。教員免許の取れる講座は申込んだ。図書館司書や学芸員の資格講座も取ったように思う。教員免許は何とか取ったが、それ以外の資格は取れなかった。授業をちゃんと受けなかったからだ。
もちろん、それぞれ費用が掛かるのだけれど、それは全部親持ちだった。ありがたいと思わないこともなかったけれど、当然のことだとは思っていた。高校生のときに、大学に入ったらベンツを買ってやるだのマンションを買ってやるだのと言われていたから、それぐらいの資金はあるものだと思っていた。しかし、実際はそうではなくてだんだんと仕送りも途絶えがちになり、生活費はアルバイトをして賄うしかなくなった。それでも学費だけは出してくれていたので、卒業することができたわけだ。
私は大学生のあいだに小説家になる予定だったので就職のことは殆ど考えていなかった。私が作家になりたいと思うようになったのは、中学生のときに新井素子がデビューしたからだった。それまで、作家というのは雲の上の存在だったから、高校生ができるなら、自分にだってできるだろうと思ったのだ。
ただ本当にそうなりたければ、毎日そのための努力をする必要があったのに、私はそれを怠ったから、どうにもならなかった。だから四回生のときは就職活動をした。当時の解禁日はいつだっただろう。九月か十月だったように思うが、青田買いはあった。五月か六月にセミナーという形で、先輩社員と懇談をするというのがあった。私はなんだかその会社にどうしても入りたく思ってしまったので、手が震えてアンケート用紙に文字を書くことさえできなかった。
就職活動は続けていたが、それほど真剣にやったとは思えない。スーツは持っていたが、それはアルバイトで必要となって買ったものだった。ろくにクリーニングにも出さずによれよれのスーツを着ていた。適当に選んだ会社から内定がもらえたが、それは商品取引の営業で、誰でも合格になるのだと後から聞いた。そのときに、ネクタイを一本プレゼントしてもらったので、それを着けて就職活動をしていた。
私は自分の才覚だけで、内定なんて貰えるものだと思っていたから碌に対策をしていなかった。筆記試験は一般常識の範囲だったので出来ないことはなかった。ただ大学の成績が良くなかったのでそれで撥ねられたことはあっただろう。二次試験の面接には何社か進むことができたが、それ以降の選考に進むことはなかった。真剣さが足りなかったということだろう。
就職試験に専念するということで、それまで続けていた八百屋のアルバイトも辞めていたが、生活費はどうしていたんだろう。親の経済状態が少しマシになって、仕送りが少し貰えるようになっていたんだろうか。それまでのアルバイトで貯めたお金があったのだろうか。
秋に教員採用試験を受けたが、もちろん通らなかった。筆記試験が全くできなかったのだ。教育学や教育心理学ができないのは授業をほとんど受けていなかったので当たり前ともいえるが、一般教養や専門科目もできなかった。そんなもの、他の受験生はちゃんと勉強していたに違いない。私は参考書や過去問すら入手していなかった。受かるわけがない。
一応就職先が決まったのは二月の末か三月の頭かだった。つまりそれまで内定をもらえず、帰省もしていなかったということだな。私は初めて大学の就職課に行って相談をした、何件か募集要項を渡されて、この中から選ぶようにと言われた。何枚か選んで返したが、それらはすべて却下された。それなら最初から渡すなよということなんだが、これは何らかのテストだったのだろう。相談員が出してきたのは、電子部品の営業職だった。割と多きな会社の子会社だった。
そこはすぐに内定を出してくれた。ただし一つだけ条件があって、運転免許が必要だということだった。それで私は三月の一か月間、自動車教習所に通うことになった。この費用なんかも当時一体どうしたのか憶えていない。講義の方は簡単で、テキストに載っていることはやすやすと憶えることができた。しかし、実技の方はなかなか通らず、追加の費用も払わされた。それでもなんとか三月三十日に卒業することができ、三十一日に筆記試験を受けて合格した。そして四月一日に入社したのだった。




