おはかまいり
お盆なのでお墓参りに行った。
子供のころは、先祖のお墓だということで、奈良公園の奥にある墓地に出かけた。参道が随分長く感じたので、より近い私鉄の駅からではなく、当時まだ国鉄だったジェイアールの駅から歩いたのだったかもしれない。そのときは、いつも通り道の店に寄って家族で茶粥のセットを食べた。いろんなおかずが少しずつ碁盤の目のような小さな仕切りに並んでいた。大人になってから、同じ道を歩いてみたけれど、どこがその茶粥を食べた店だかわからなかった。庭のようなところで食べたような記憶があるのだけれど。
祖父母はすでに亡くなっていたから、そのお墓を参ればよかったはずだが、両親はそこには連れて行ってくれなかった。遠かったからだろうか。たまに、高野山の墓地に参ることがあった。吉野山だか吉野川だかという醜名の力士が祖先だと聞かされたような気がする。
両親の墓は、一般的な墓地ではなく、納骨堂に中にある。そのうちのひと区画を、親が買い永大供養をしてもらっているのだった。だから私は維持費などを払う必要がない。
去年参ったときには、近所のスーパーで花と呑み物を買って、それを持って出かけた。最寄りの駅の構内で、苺大福が安売りしていたのでそれも買って持って行った。扉の前にちゃんとお供えそしてそのまま帰ってきたっけ。ほんとうはお供えは放置するなという決まりだ。掃除する手間をお坊さんに押し付けることになるから。
今年はスーパーに行くのを忘れていた。電車に載ってからそのことに気が付いて、お金もないことだし、もういいやという気になった。苺大福も売っていたけれど、買わなかった。あれは何か。お墓参りを狙って出店を出しているのだろうか。
無料送迎バスの乗り場に行くと、既に多くの客が椅子に座って待っていた。発車時刻の少し前に、乗車が始まって、そこに集まった者たちが乗り込んだら満席となった。二十人か三十人乗りくらいのマイクロバスで、補助席まで全部使っていた。
納骨室の上の祭壇を開けると、金色の飾りがまぶしい。引き出しから、小さな湯飲みと、お焼香のセットと鐘のセットを取り出して並べたらもう物を置くところはない。水場に行って湯呑を洗って水を入れた。それから焼香をして鐘を鳴らし南無阿弥陀仏を唱えた。鐘やなんかは引き出しにしまい、焼香のミニ電気焜炉の電気を切ってから置いておく。そのまましまうと燃える危険があるからだ。あとは全部しまって扉を閉じる。
送迎バス乗り場に戻ると、既に乗車が始まっていた。私のようにすぐ戻るものはほかにいないだろう。載っていたのは、既に一時間くらい前に来ていた客たちのようだった。
電車で十分くらいのところで、古本まつりをやっているので、寄っていく。私は毎年ここの団扇を貰ってくる。二千二十年だけは中止だったから持っていないけど。以前は、無料でもらえたのだが、去年からは売店で何かを買った人だけにくれるようになった。私はノンアルコールビールを買って、それを貰った。一時間くらい見て回ったが、欲しいものは見つからなかった。釣果なしなんて初めてかもしれないな。




