占いなんて大嫌い
私は占いが大嫌いだ。
テレヴィを点けていて、星占いが始まると、電源を落とす。星座や生まれ月によって今日の運勢はどうこう、とか言うやつだ。
どうして嫌いかというと、占いで決めつけられると一日中、気になってしまうからだ。それは取りも直さず信じてしまうということでもあるわけだが。西欧では、星の動きと人間の運勢とは関係があると信じられてきたという。星の動き自体は科学的なもので、観察を続けることで予測も可能となる。それを、ひとの運勢というものに当て嵌めてみるのは、一体どういうわけだろう。
未来を予測したいというのは人類の性なのだろうか。
血液型占いというのが流行って、それを書いた本がベストセラーになったことがあり、私もご多分に漏れず購入して熟読して指針とした時期があった。
これも、血液型自体は科学的なものだ。しかし、たった四種類の血液型によって、人間を分類するなどということは、もはや占いでさえなく、レイシズムに基づくものだ。自分は何々型だから、こういうことに気を付けようというのならともかく、あいつは何々型だからこういうところがあると言い出したら、これは決めつけであって、差別と言っていいものとなる。
だから、就職面接で血液型を聞くことは、親の職業を聞くことなどと同様にご法度である。私は一度、京都南部の山の中の住宅街にある小さな会社の面接で訊かれたことがある。
因みに血液型は何型ですか。
どうしてそんなことを聞くんですか。
因みに、と聞いています。
答えません。
合格するかどうかよりも、こんなところに二度と来るもんか、と思った。
私は占いが大嫌いなので、一冊風水の小冊子を毎年買って、毎日見ている。
これは自己防衛のためで、ひとつ信じることで、他の占いをすべて封殺するという狙いがあった。
この本は、一日ずつ、その日の気を付けることが二十字程度で書いてあって、その下に、この日の吉方やラッキーカラーが書いてある。私はこの、一日の過ごし方を簡単に英訳してパソコンのアプリに記入、その日いつでも参照できるようにしている。また、ラッキーカラーの衣服をなるべく身に着けるようにしている。
そうすることで、他のあらゆる占いを気にしないでいられるわけである。
この占いが、当たるかどうかというと、あとから考えたら当たらないことの方が多いような気がする。
予測というものは何でもそうだが、それが未来のことであれば人は気にするし、済んでしまえばもう気にしない。それは、台風の進路予測だってそうだ。天気予報にしても、明日の天気や、一時間後の天気は気になっても、昨日の天気などもう忘れている。
この日の運勢はこうだった。
悩みが増えそう。時間が解決してくれるので焦らないこと。
よかった。時間が解決してくれるのだ。なら、悩まないでおこう、と思ったわけだが。
特に悩みは増えなかった。
もちろん、数か月後の生活費をどうしよう、という悩みはあるわけだが、これは増えたわけでなく、ずっとあるものだし。