ニューイヤー
あけましておめでとうございます。
十二月二十九日は午後六時に仕事が終って、餃子と冷凍のフィレカツを温めて食べた。コンベクションオーヴンなるものを買ってしまったのだ。温風で調理をするというもので、カツの類を温めるのに素晴らしく便利なのだけれど、結構手入れが大変だと気づいた。調理台は普通に洗剤で洗えば簡単に汚れが取れるのだけれど、ガラスの枠自体は、底の方に脂分が沢山溜まっていて洗うだけでは落ちない。まず、キッチンペーパーなどで拭きとってから洗剤で洗う。そして濯ぎだが、説明では丸洗いできると書いてあったのだが、恐らく温度を感知するセンサーのために側面中ほどに一センチほどの穴が開いていて、それから水が零れてしまう。がんばってぐるぐるするので腕力が要る。
二十九日の夜から、三十日、三十一日と殆ど一日中呑んでいたと思う。元旦もだ。元旦の朝には、スーパーに行って買い物をした。御節的なものが余っていたら買おうかと思っていたのだけれど、殆どなかったし、考えてみれば御節で食べられそうなものは少ないのだった。子どものころはごまめが好きだったのだけれど、何年か前に買って来たら、堅くて食べにくかった。元旦にはもうなかったけれど、年末には売っていた慈姑は、皮を剝いて水にさらして灰汁を取り米のとぎ汁で煮ろと書いてあって、そんな面倒なことはできないと思って見送っていた。そもそもうちに米のとぎ汁などない。数年前には、ミニ慈姑を買って来て皮ぐち炒めて食べたものだけれど、あれは隣県のスーパーで買ったものだっけ。あそこへはトンと言っていない。電車賃をケチるようになったからだ。
元旦には仕事を入れるつもりだったのだけれど、入らなくて、それで結局吞んでいたというわけだ。午後は眠ってしまい、起きたのが深夜前だったので、顧客にあけおめメールを送ることができたのは良かった。
二日は例年通り初詣に出かけた。電車に載って、天満宮に着いたら既に出店が出ていて、いつもより遅く来たんだなとわかった。午前九時ごろだった。お焚きあげの返却箱に去年の守矢と占いの本を入れて本殿に向かった。すると、巫女たちが干支の看板の前で記念写真を撮っていた。いっしょに撮ってやろうかと一瞬思ったが、うまい具合にのけてくれたので、普通に写真を撮ることができた。それから賽銭を入れて、いつものように守矢を買ったけれど、値上げされていた。隣の駅に行き、そこでは観音様と伊勢神宮系の神社にお参りし、あとは何もしないで帰ってきた。
乗換駅で途中下車したら、中華料理屋が開いていたので、唐揚げと玉子スープを食べた。ここも値上げされていた。それからデパ地下に行ったけれど、あまりにも混んでいるのでやめた。ライウィスキーでも買おうかと思っていたのだけれど、腹が膨れていたこともあって何も買わずに帰ってきた。この日は吞まなかった。食事もあまりとならなかった。ヴィデオを見たり、仕事にメールに返信したりして過ごし、夜八時ごろに寝てしまった。昼間呑んでいるときは、そんなものだが、吞んでいないときはあまり眠れないのが常だったけれど、この日は普通に眠ることができた。寝ている間に二回ほど起きてしまうのは、普通なことではないかもしれないけれど、酷いときは殆ど一時間ごとに起きてしまうので、それから比べればマシだった。
朝起きたら夜明け近くだったので、これも普段よりは遅い方だ。