居場所がなくなる
小学校のときは家が居場所だった。外で友達と遊ぶこともあったが、殆どは家で遊んでいた。本も読んでいたけれど、実際に読書に夢中になったのは小六の後半からだった。そして中二からは小説を書き始め、学校での居場所は文芸部になった。いっしょに文芸部をがんばった親友は卒業後何年も会わないままいつの間にか死んでいた。恋もしたけれど実らなかった。
高校でも部活の仲間と遊んだ。部活自体はそれほど熱心にはやらなかったけれど。大学に入ると、サークルの先輩や後輩とよく飲んだ。それとは別に、ライヴ仲間と言える三人組も出来た。この辺の話は前にも書いた。大学を卒業し、社会人になって地元に帰ってきたら、会社のアルバイトの若い人たちとカラオケに通った。
このあたりまでは、卒業と言う強制終了で居場所が変わっていったのだろう。パソコン通信を始めると、そこでいろんな仲間ができた。野球や読書やバンドについて。デジタルだけの付き合いではなく、オフ会で若い人たちと呑むようになった。しかし、インターネットが広まると、パソコン通信は下火になった。インターネットの世界は、匿名性が高すぎてあまり合わなかったけれど、ツイッターは愉しかった。しかし、そこももう心地の良い居場所ではなくなった。
今はここで小説を書いていて、この年寄りの繰り言のようなものに二十名くらいの読者がいるらしい。個人事業も、楽しくないことはない。でも、能力は確実に落ちている。まだ、そんな間違ったことは言わないけれど、瞬発力はなくなってきている。手続きをしたので、年金が何とか貰えるようだけれど、それだけで生活できるほどの額ではない。
会社を辞めたことで雇用保険を払わなくてよくなり、年金の支払いも無くなった。ことしは売り上げがある程度あるので、来年は所得税と地方税をがっつり払わなくてはならないだろう。健康保険も払わなければならない。ああ、これは年金が全部持って行かれるような気がする。