表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/160

値上げ反対

 国立大学の学費値上げには反対である。そんなことしたら国力が落ちる。こんな超簡単なことがどうしてわからないのか。いま政権に巣くっている連中は売国奴だ。どうしてそんなことになっているかというとみんな選挙に行かないからだ。そのうちに、戦争になって駆り出されて子供や孫が殺されて、そうして初めて気づくのかね。そうかも知れない。永遠に続くわけではない。ヒトラーのナチスだって無くなったし。

 私自身は国立大学に行けなかった。関西圏に住んでいたし、高校に入ったときは友だちと一緒に京都大学に行こうと誓い合ったものだ。その友だちは結局一浪して大阪大学に入った。私が国立に行けなかった最大の理由は、数学の勉強を放棄していたからだ。その理由は前にも書いたけれど、白影に似た数学教師にノートの字が汚いと言われたことだ。そんなことを言われたとしても、数学の勉強を続けていたら、国立に行けたかも知れない。まあ、他の科目もあまり勉強していなかった。倫理だけは好きだったのでちゃんと勉強したし、国語は勉強しなくても出来た。だから倫理と国語で受けられるところを受けた。あと英語はほとんどの大学で必修だったから仕方ない。

 それで私は関東の有名私立大学に入った。そのころはこんな言い方はなかったけれど、今でいうマーチのひとつだ。親は、大学に入ったらマンションを買ってやるだのベンツを買ってやるだのと言っていたけれど、その約束は全く果たされなかった。学費は四年間払ってくれたけれど、仕送りは途絶え勝ちになり、私はアルバイトで生活費を稼いだ。家庭教師や塾講師のアルバイトをしたけれど、時給は三千円くらいだった。今はアルバイトニュースを見ると千数百円程度で募集しているから、半分くらいになっていることになる。

これも景気が悪いからだ。

 私が大学に行ってた頃は、高度経済成長とバブルの狭間くらいで、景気はそれほど良くなかったけれど、それでも好きな本が買えるくらいには収入があったのだ。初任給は手取りで十七万くらいで、それでも生活感としては今より良かった。昼は外食できたし、夜は外で呑むことができた。最寄りの駅にハラミステイキを出す店があって、それを夕食にして入れていたボトルのウィスキーを炭酸で割って呑んでいたっけ。ウィスキーの銘柄は角瓶だったかジョニ赤だったか。

 それからバブルの頃がやってくる。私は仕事が好きだったので、遊びと言えばレイザーディスクを月に一回買いに行くことくらいだった。日本橋の電気街に行って、いくつかの店を梯子して数枚のディスクを買うのだった。当時新品は一枚一万円くらいしたっけ、中古屋に行けば数千円だった。物価は高かったけれど、給料もよかった。アルバイトの大学生たちを使っていたけれど、彼らは大体車を持っていたし、年に一度は海外旅行に行っていた。私はそんな贅沢をしなかった代わりに、彼らを焼肉屋にさそって奢ってやっていた。

それからカラオケ屋に行って呑んで歌った。私は大体サザンオールスターズを唄った。学生たちはチャゲアスやビージーズを唄った。

 私は多分人生を舐めるようになっていたのだろう。五十五歳になれば年金をもらえると思っていたし。会社を辞めても蓄えはあったし、失業給付も貰えた。何回か転職したけれど、給料はさほど下がらなかった。本当は上がらなかったというべきなのだろう。一か所で勤め上げていれば、もっと給料が上がり貯蓄ももっとできていたかもしれない。

 それが今や貯蓄はゼロ。収入は生活保護ぎりぎりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ