修学旅行
修学旅行については前にも書いたような気がするけれど、オンラインの相談コーナーで修学旅行に行きたくないと言っている生徒に、総合的学習の時間だから行くべきだと答えているのを見て、腹が立ったので。学校でやっていることは部活動以外は殆ど授業なので、そんなことを言い出したら不登校自体認めないことになってしまうし、理由になっていない。
私は学校は行きたくなかったら行かなくていいと考えている。本音を言えば、現在の学校制度はもう破綻していると思う。逆に言えば、行きたい子だけ行けばいいのだ。学校は訓練の場だという分子が一定数いるけれど、そんなのは軍国主義の考え方だよね。勉強自体はしなければいけないと思うけれど、それがフリースクールであっても予備校であっても家庭教師であっても別に構わない。それから、いまだに義務教育というのは受ける義務だと思っている知識のないやつがいるけれど、受けさせる義務があるのは保護者であって子供に義務はない。
私は、小学校の修学旅行は行ったけれど、中学も高校も修学旅行に行かなかった。小学校のときの行き先は伊勢志摩だった。順番は忘れたけれど、ミキモト真珠島や鳥羽水族館、伊勢神宮に行った。特に何も感銘は受けなかったけれど、土産物屋で生姜糖を買うことだけには拘った。そう言えば、最近はいい意味で拘るという言葉を使う人がいるけれど、本来は悪い意味だ。私はできるだけ多くの生姜糖を買いたかったので、友達にお金を借りてまで買った。いま考えたらとても酷い行為だな。その友達だって買いたいものがあったはずなのに、余っているなら貸してとか言われたら断れないよな。その友達とは、小学校のときは仲が良かったけれど、中学に入ってからは疎遠になった。不良仲間とつるんでいる様子を見かけたことがあったくらいだ。生姜糖は実のところ土産でさえなく、全部自分で食べたのだ。少しずつ少しずつ大事に食べたけれど、もちろん数か月もあれば食い尽くしてしまう。
中学の修学旅行は、前日に熱があるから休みたいと言ったら、病院に連れて行かれて注射を打たれ、医者から、これで熱が下がるだろうから行けると言われた。しかし当日の朝、やっぱり辛どいから休みたいと言って休んだ。医者が注射を打ったくらいだから本当に熱があったのだろうけれど、休みたい理由は他にあった。当時の親友が足を骨折して松葉杖をついていて、それを理由に修学旅行を欠席していたのだ。松葉杖をついていても、行けないことはなかった筈なので、それが本当の理由かどうかはわからないけれど。
そんなに裕福な家庭ではなかったから、それが理由だったのかも知れないが、そんなに貧乏でもなかった。家に遊びに行ったことがあって、六畳間に一家四人で住んでいたけれど、小綺麗にしていたし、友人自体も本やレコードを買える程度の小遣いは貰っていた。
私はその友達が行かないなら自分も行きたくないと思ったのだ。他にクラスメイトで気の合うやつがいなかった。その友達は中一では一緒だったが、このときは隣の組だったから、どの道いっしょに回れないのだったけれど。翌日熱の下がった私は、登校した。修学旅行を休んだ生徒たちが一つの教室に集められていた。数十人と結構多かった。自習のはずだったけれど、その友達と少しお喋りしたぐらいで、直ぐに解散となった。
高校のときは、親が一人亡くなった直後だったので、それを理由に休もうとした。そうしたら、担任がむしろ気が紛れるから行った方がいいと言ってきた。しかし私は頑なに拒んで休み、やはり教室に登校したのだったと思う。本当の理由は集団行動が嫌だったことだ。部活は気の合う友人が何人もいたので愉しかったけれど、みんなで一緒に何かをするというのは苦手だった。始業式などでさえ、出来れば参加したくなかったけれど、十分程度のことなので我慢していた。
中学も高校も修学旅行を休んだことは、全く後悔していないし、その後友人たちと修学旅行を話題にしたことは一度もない。