ずっと本を読んで
ずっと本を読んでいた。
仕事の予定はあったのだけれど、キャンセルになった。大丈夫。料金は月ぎめでもらっているので、損をしたということにはならない。
割りと過ごしやすい日だった。気温は三十度を超えていたけれど、ベランダのサッシを開けていると、風も少し入って涼しく感じた。数年前なら考えられないことだ。
猫がいたころは、脱走を恐れて、ドアやサッシは締切っていた。また、仕事に出かける昼間は暑くなるといけないので、エアコンはつけっぱなしだった。ここに越してきてしばらくの間は、外に出たがって遠吠えをしたものだが、しばらくすると老齢のせいかおとなしくうちにいるようになった。亡くなってからも、習慣はほとんど変わらなかったのだけれど、今年は節電のためになるべくエアコンをかけないようにして、サッシを開けるようになったのだった。
入り口のドアの方は開けない。
誰か来るのが嫌だから。そもそもここに誰かが来ることはない。宅配の荷物は職場に着くようにしている。支払いはほとんど振込である。だから来るとすれば、勧誘の類しかないことになる。それならば、ピンポンが鳴ったとしても、出たりしない。
あと可能性があるのは、郵便物の一部だけれど、これは無視していたら不在票を集合ポストに入れておいてくれるので、あとから郵便局に取りに行けばいい。
先日旅先で買った文庫本をずっと読んでいた。本を読み続けるのは、私にとってはデフォルトだと。小学六年生のころからだ。当時一週間のお小遣いで、文庫が三冊買えたので、それをノルマとして、ずっと読んでいた。食卓に着いても、手伝いなどしないで、配膳を待つ間は読んでいたっけ。
大学受験のときも、勉強なんかしないで、読書ばかりしていた。おかげで、入試の英文の翻訳を前日に読んでいたなどという行幸に恵まれたわけだが。大学生になって、仲間と酒を呑むようになってから少し読書量が減った。働くようになって、仕事が少し面白くなっていたときは、休みの日もレイザーディスクを見ることに費やしたりしたから、あまり本を読まない時期があった。
読書記録をつけられるアプリを発見してから、再び読んだ冊数が気になるようになったけれど、それほど量を追いかけることはない。頭の容量が減ってきたのか、難しめの本はあまり進まずに積んどくとなっているし。新しい作家たちによる、ミステリやライトノヴェルにも面白いものが多い。そういったものを一日中読んでいるのが、もっとも幸せなのかも。