歴史に埋もれた偉人 ー アラン(フランス)
歴史に埋もれた偉人 ― アラン(フランス)
私が大学生の時、初めてアランという名前を聞いた。最初はアランというのはファミリーネームと思ったが、ペンネームと知ったのは数年後のこと。当初、このアランに関して偉大な教育者だとしか聞いていなかったので、この執筆の機会にアランに着目したわけだ。しかしながら、彼の活躍からもう百年近く経っているので、殆どの人が覚えていないし、知らないようだ。
アランはペンネーム、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ(Émile-Auguste Chartier)で、フランス帝国(フランス第二帝政)出身の教育者、哲学者、評論家、モラリストである。1925年の著書、『幸福論』で名高いが、同時代にアンリ・ベルクソン(哲学者)やポール・ヴァレリー(詩人、小説家)がいる。
さて、1900年、アランはルーアンの高等中学校で哲学教授となる。アランの教授法は学生を前にして、身近な問題を素材にとり、日常のことばで考え、抽象思考を重ねるのではなく、つねに具体的な物事と人間に即して授業を進めた。これは大変なことである。私も教壇に立ってフランス人に日本の文化などを教えてきたが、自身が納得するほどに研究を重ねていないと物を噛み砕いて教えることはできない。
又、哲学と言えば、難しいとの先入観が我々にはあるが、それを平易に説明するというのは、彼の才能もさることながら人格も光り輝いていたに違いない。アランは授業中、あるいは、授業後、多くの質問攻めにあう。例えば、大教室内で ―
「先生、合理主義と理性主義*の違いはなんですか?」
「今、残り僅かな時間しかないので、後日、文面にて答えよう」
このようにして、懇切丁寧に生徒と接するものだから、人気は増すばかりで自分に当てる時間がなくなってしまったという逸話が残っている。こういったことで、フランス文学者の桑原武夫は「アランの一生は優れた「教師」の一生であった」と評している。また、アランの弟子で同国出身の小説家、伝記作者、評論家であるアンドレ・モーロワは1949年にアランの伝記や教えをまとめ、『アラン(Alain)』という書物を出版している。
尚、アランの主張として、行き詰まりを感じた場合、あれこれ考えて悩まずに、まずはやってみるということが大切である、と。それはあくびでもいいし、背伸びをすることでもいいし、一歩足を進めるなど、単純な動作から始めよう、と言う。
行動に関するの彼の箴言を次に紹介しておこう。
― 様々な物事を感じ取り、行動する。これこそが大事なのだ。これから起きる大変さや人間の弱さを想像しだしたら、何もできない。注視すべきは情念から発する「考え方」ではなく、「行動」である。
アラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ ― Émile-Auguste Chartier)
*理性主義(りせいしゅぎ、英: rationalism)は、確たる知識・判断の源泉として(人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる)「理性」を拠り所とする、古代ギリシ哲学以来の西洋哲学に顕著に見られる特徴的な態度のこと。日本では合理主義とも訳されるが、これだと「理性」に依拠するというその原義・特異性が分かりづらくなってしまい、「(考え・議論・物事を)ある道理・理屈・基準に合わせる(適合させる)態度」という全く別の意味にも解釈できる多義的な語彙にもなってしまうため、適切な訳とは言えない。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 00:52 UTC 版)