美女と一週間一つ屋根の下で生活して、惚れなかったら十万円貰える……だと……!?
「ねえねえ戸塚くん、夏休みって何か予定ある?」
「え?」
大学の前期最終日の帰り道。
明日から夏休みという、みんなが浮かれた空気を醸している中、隣を歩く同じゼミの白畑さんから、唐突にそんなことを訊かれた。
「いや、別にこれといった予定はないけど。まあ、せっかくだから何かしら短期のバイトでもしようかと思ってるくらいかな」
一人暮らしの貧乏学生は、万年金欠気味だ。
「ふーん、そうなんだぁ」
白畑さんはいつものニコニコした笑顔を浮かべている。
相変わらず白畑さんの笑顔は癒されるなぁ。
そのうえラノベの表紙に載ってるくらいの美人だし。
白畑さんが千人いれば、世界から戦争はなくなるのではないだろうか。
「白畑さんは何か予定あるの?」
「あ、うん、私もちょっと、短期のバイトすることになってるんだ」
「へえ」
どんなバイトか少しだけ気になったが、女の子のプライバシーに踏み込むのもノンデリかもしれないと思い、グッと言葉を飲み込んだ。
「じゃあ、また夏休み明けにねー、戸塚くん」
「うん、またね白畑さん」
いつもの十字路で白畑さんと別れた。
白畑さんはブンブン手を振って、鼻歌交じりに十字路の陰に消えていった。
「あーもしもし、ちょっとだけ今お時間よろしいでしょうか?」
「……!」
白畑さんと別れて少し歩いたところで、アロハシャツを着たいかにも怪しいオッサンから声を掛けられた。
うわ、悪徳セールスとかかな。
「すいません、先を急いでるので」
「まあまあそう言わずに、わたくしこういう者です」
「っ?」
オッサンはグイと名刺を差し出してきた。
その名刺には、『ニャッポテレビディレクター 葉垂和則』と書かれていた。
ニャッポテレビ?
あまり聞いたことないテレビ局だな。
「テレビ局のディレクターさんが、何の御用ですか」
カメラクルーも見当たらないし、街頭インタビューって感じでもなさそうだが。
「いやー実はですね、今、新しく立ち上げた『サキュバス女子VS鉄壁男子』という番組のキャストをスカウトしているところでして」
「サキュバス女子VS鉄壁男子??」
とは??
「ええ! 無作為に選ばれた二名の男女に一週間一つ屋根の下で暮らしていただき、女性のほうはさながらサキュバスの如く男性を誘惑していただきます! サキュバス女子は一週間以内に男性を落とせたら勝ち。鉄壁男子は誘惑に耐え切れば勝ちです。勝者には番組から、賞金十万円を贈らせていただきます!」
「じゅ、十万円!?」
一週間何もしないでいるだけで十万円……!!
何て割のいいバイトなんだ……!!
「どうです? 出演していただけます?」
「……!」
……くっ。
「……ここか」
翌日。
葉垂さんから教えられた住所に着くと、そこには立派な邸宅がそびえ立っていた。
俺が一人暮らししているアパートより敷地面積広いのではないだろうか?
右手に握っている鍵が、ズシリと重い。
昨日は勢いで出演を受けてしまったものの、ここにきて途端に不安になってきた……!
だってこれから一週間、見知らぬ女性と二人でここに暮らすんだろ!?
しかも女性は俺のことを誘惑してくるらしいし……。
女性経験に乏しい俺に、そんなシチュエーション耐えられるのか……?
とはいえ、今更後には引けない。
俺はふうと一つ息を吐いてから、おもむろに玄関の鍵を開け厳かな扉を開いた。
――すると。
「あ、あれ!? 戸塚くん!?」
「っ!? 白畑さん???」
そこには白畑さんの見慣れた顔が、ポカンと口を開けていた。
「あはは、いやぁ、まさかお相手が戸塚くんだったとはねぇ。寝耳に念仏だよ」
「寝耳に水ね」
とりあえず開放感あるリビングで二人、広々としたソファーに腰を下ろす。
この家のいろんなところに隠しカメラがセットしてあるらしいので、俺たちの一挙手一投足が録画されてると思うと、どうしても緊張が隠し切れない。
「白畑さんの言ってたバイトって、これのことだったんだね」
「うん。あれ? でも戸塚くん、昨日は予定ないって言ってなかった?」
「ああ、あの後すぐディレクターにスカウトされたんだよ。あの葉垂さんて人に」
「あー、あの企画物のAV男優みたいなオジサンね」
「企画物のAV観たことあるの!?」
「アハハハハハー」
「笑って誤魔化された!?」
「さて! それじゃあ!」
「え?」
白畑さんはグイと俺との距離を詰めてきた。
白畑さんのクリッとした丸い瞳が、俺を見上げている。
し、白畑さん……!
「さっそく戸塚くんを誘惑しちゃうぞぉ。えいっ!」
「っ!?」
白畑さんは俺の左腕に、ギュッと抱きついてきた。
白畑さんのたわわわわわなツインマウント富士が、俺の左腕をこれでもかと圧迫している。
ぬおおおおおおおおお!?!?
「ちょ、ちょっと待ってよ白畑さん! タイムタイムッ!」
「却下でーす! 私もバイト代が懸かってるんだから! この白畑容赦せん!」
「WRYYYYYYY!!」
執拗なツインマウントアタックは俺の理性を指数関数的に削っていく。
こ、このままではヤバい……!
「マジで一回タイムッ!」
「きゃっ!?」
「あっ!」
思わず白畑さんを跳ねのけてしまい、その弾みに白畑さんをソファーに押し倒すような格好になってしまった――!
「ゴ、ゴメン白畑さんッ!」
慌てて起き上がる。
「あ、う、ううん。私も、ちょっとやりすぎちゃったから……」
「……!」
急に照れて目を逸らす白畑さん、可愛すぎるだろ……!
もしもこれも含めて演技なんだとしたら、アカデミー賞ものだが……。
「あ、戸塚くんお昼ご飯は食べた?」
「え? ああ、まだだけど」
「よし! じゃあお昼は私が作ってあげるね! やっぱ男子を落とすには、まず胃袋を掴まないとね!」
「え、いいの?」
「もっちろん! 何かリクエストはある?」
「ああ、白畑さんの作ってくれたものなら、何でもいいよ」
おっと!
こういう時の「何でもいい」は禁句なんだっけか?
「んふふー、了解! じゃあこういう時はやっぱカレーだね!」
が、白畑さんは特に気を悪くした様子もなく、鼻歌交じりにキッチンに歩いていった。
「ふんふんふーん」
白畑さんはニコニコしながら、淀みない手際で料理を進めていく。
おお、白畑さんって料理も上手いんだな。
美人でツインマウント富士で料理も上手とか、マジで白畑さんはラノベヒロインなのでは??
「ほっほっほっほっ」
「っ?」
が、白畑さんはボウルにいろんな粉やら調味料やらを入れ、それを手で捏ね始めた。
あれ? カレーって言ってなかった??
「はいどうぞ、召し上がれ」
「――!」
そうして出来上がったのは、ホカホカのナンが添えられた、インドカレーであった。
カレーってそっち???
普通カレー作るって言われたら、所謂家庭カレーが出てくると思うでしょ!?
「あれ? もしかして戸塚くん、インドカレーは苦手?」
「い、いや! むしろ大好きだよ!」
「ふふ、よかった。さあ、冷めないうちに召し上がれ」
「あ、うん、いただきます」
熱々のナンをあわあわしながら手でちぎり、それをスパイスが香ばしいバターチキンカレーに浸してパクリと食べる。
――すると、
「っ! 何これメッチャ美味いよ白畑さんッ!」
じっくりと煮込まれたカレーがもっちりとしたナンに絡まり、口の中でインド映画みたいな陽気なダンスを踊っている。
続けてチキンも食べると、口に入れただけでほろりと溶けた。
嗚呼、幸せだ……。
「えへへー、やったね。料理には結構自信あるんだ、私」
満面の笑みでピースを向けてくる白畑さん。
その瞬間、俺の心臓がドキリと一つ跳ねた。
くっ……!
「ねえねえ、私のこと好きになっちゃった? ねえねえ」
「まっ、まだなってないよ!」
「あれあれ~? 『まだ』ってことは、時間の問題ってことかなぁ?」
「っ!」
ぐぬぬぬぬ。
十万円のため、ここで負けるわけにはいかぬ……!
俺は煩悩を消し去るため、無言でナンとカレーを胃袋に流し込んだ。
白畑さんはそんな俺を、ニコニコしながら見守っていた。
「はー、いいお湯だったー」
「っ!!?」
その日の夜。
お風呂から上がってきた白畑さんは、何とバスタオル一枚というあられもない格好であった。
ししししし白畑さん!?!?
「ちょ、ちょっと!? いくら何でもそれはマズいって白畑さん!!」
上気した桃色の肌と艶っぽい濡れ髪。
そしてバスタオルから今にも零れそうな、たわわわわわわわなツインマウント富士……!
俺の理性はデンプシーロールでフルボッコにされた当て馬ボクサー並みにフラッフラだ……!
「んふふ~、私はサキュバス女子なんだから、何をやっても許されるのです~。ホレホレホレ~」
「なっ!!?」
白畑さんはバスタオルの隙間をチラチラさせた。
今にも白畑さんの世界遺産がイノセントワールドしそうだ……!
ぬおおおお……!!
俺の中の初号機が暴走モードでウオオオオオオンしかけている……!!
「お、俺もお風呂入ってくるッ!」
「あはは~、いってらっしゃーい」
この日俺が風呂でのぼせたのは言うまでもない。
「じゃ、おやすみ、戸塚くん」
「お、おやすみ、白畑さん」
それぞれ『戸塚』『白畑』と貼り紙された部屋の前で分かれる。
流石に部屋は別々だったか……。
もしも部屋まで同じだったとしたら、初日でコールドゲームになっていたかもしれないな……。
「戸塚くんさえよかったら、私と一緒の部屋で寝る?」
「――!」
白畑さんが、それこそサキュバスみたいな妖艶な笑みで俺を誘ってくる。
くぅっ!
「つ、謹んで辞退させていただきますッ!」
「あはは、戸塚くんかっわい~」
俺は逃げるように自室に入った。
あ、危なかった……。
「おお」
俺に番組から用意された部屋は、本棚に流行の漫画がギッシリ詰まっていたり、机の上にアニメキャラのフィギュアが飾ってあったりといった、いかにも若いオタク男子の部屋っぽい、生活感に溢れたものだった。
俺も生粋のオタクなので、実に居心地がいい。
おれはフカフカのベッドで、何度も頭に浮かんでくる白畑さんのバスタオル姿と戦いながら、眠れない夜を過ごした――。
――この後も白畑さんは、どこから持ってきたのか、やたら露出度の高いメイド服のコスプレやら、バニーガールのコスプレやらを駆使して俺を誘惑してきた。
最終日を迎える頃には、俺の理性は砂山であと一粒でも砂を取ったら倒れる棒倒し並みに限界まできていたが、ここで負けを認めたら今までの苦労が水の泡になると、血の涙を流しながら必死に耐えた――。
「あーあ、残念。勝負は私の負けかぁ」
「……」
時刻は間もなく最終日の夜七時を迎えようとしていた。
タイムリミットは七時なので、あと少しで俺の勝ち。
な、長かった……。
でもこれで晴れて、十万円は俺のものだ……!
「まったく、戸塚くんたら私がどんなに誘惑しても全然落ちてくれないんだもん。女として、ちょっと自信なくしちゃうよー、もー」
白畑さんは頬をプクーと膨らませながら、俺のことをツンツンつついてくる。
か、可愛い……。
「い、いや、実際マジで危なかったよ。これがテレビの企画じゃなくて、白畑さんからガチで誘惑されてたとしたら、俺もどうなってたかわからないよ」
「……私はガチだったよ」
「――!?」
白畑さん???
白畑さんは不意に頬を染めながら、そっぽを向いてしまった。
「いくらテレビの企画だからって、好きでもない男の子にあそこまでのことできるわけないじゃん。私は前からガチで戸塚くんのことが好きだったから、いっぱい頑張って誘惑したの」
「……白畑さん」
ま、まさかそんな……。
「でも、やっぱり私なんかじゃダメだよね。ゴメンね、今のは忘れて。――私もう、帰るね」
「――!」
白畑さんは目に涙を浮かべながら立ち上がった。
……くっ!
「待って!」
「っ! ……戸塚くん?」
気が付けば俺は、白畑さんの腕を掴んでいた。
「お、俺も――白畑さんが好きだ!」
「――!! ……戸塚くん」
白畑さんの宝石みたいに綺麗な瞳が、大きく見開かれた。
「俺も本当は、前から白畑さんのことがずっと好きだった! ……でも、俺みたいな平凡な男じゃ、白畑さんの彼氏には相応しくないと思ってて、その気持ちから無意識のうちに目を逸らしてたんだ」
「あ、あふぅ」
白畑さんの瞳から、ポトリと大粒の涙が零れ落ちた。
「でも今回のことで、やっと俺も自分の本当の気持ちと向き合えたよ。――俺は白畑さんが好きです。どうか俺と、付き合ってください」
「あははー、はい私の勝ちー」
「――!!」
途端、白畑さんが勝ち誇った顔でピースを向けてきた。
慌てて時計を見ると、ちょうど七時を迎えたところだった。
えーーー!?!?!?
ここまで全部演技だったのかよおおおおおおおお!!!!!!
白畑さん、君こそが本物のサキュバス女子だよおおおおおおおお!!!!!!
「んふふ~、冗談冗談。――私が戸塚くんのことを好きなのは、本当だよ」
「っ!?」
白畑さんは俺のことを、ムギュッと抱きしめてきた。
んんんんんんんん!!!!
もう何が何やらで、感情がグッチャグチャだよおおおお!!!!
「コングラチュレイショオオオン!!! FOOOOOOO!!!!」
「――!!?」
その時だった。
葉垂さんが異様なハイテンションで、リビングに突入してきた。
だが、そのことよりも葉垂さんと共に入ってきた一人の中年女性に、俺の目は釘付けになった。
その人は、顔が白畑さんそっくりだったのだ――。
ま、まさかこの人は――!?
「ありがとう、お父さん、お母さん!」
「っ!?!?」
えーーー!?!?!?
おおおおお、お父さんとお母さんんんんん!?!?!?
「いやあ、騙すような真似をしてすまなかったね戸塚くん。娘からどうしても、君を落とすために協力してほしいとせがまれてね」
「どうか私たちの顔に免じて、許してあげてね」
「あ、はぁ」
え?
つまりこのテレビ企画自体が、壮大なドッキリだったってことですか?
……そう言われると諸々しっくりくる。
よく考えたら『はたらし』という名前も、『しらはた』のアナグラムじゃないか。
「じゃあ、隠しカメラがセットされてるってのも」
「うん、嘘。そもそもこの家、私の家だし」
「っ!!?」
白畑さんがニコニコしながら、しれっとそう言った。
「戸塚くんが寝てた部屋は、結婚して家を出たお兄ちゃんの部屋だよ」
マジかよおおおおおお!!!!
どうりで妙に生活感があると思ったよおおおおお!!!!
そもそも白畑さんがスムーズにインドカレーを作り始めた時点で気付くべきだったかもしれない……。
普通初めて来た見知らぬ家で、いきなりインドカレーなんか作れないよね……。
「戸塚くん、こんな娘だが、どうかこれからもよろしく頼むよ」
「ちょっとお転婆だけど、悪い子じゃないから」
「あ、はい」
まさか彼女が出来た当日に、ご両親への挨拶も済んでしまうとは……。
「さあ、見事勝利したお前には、約束通り賞金十万円を贈呈するぞ」
お父さんは白畑さんに、十万円が入った封筒を手渡す。
あ、十万円はマジでくれるんですね?
どうやらお父さんは、かなりの子煩悩らしい……。
「わーい、ありがとうお父さん。じゃあ、はいこれ、戸塚くん」
「え?」
白畑さんはその封筒を、そのまま俺に手渡してきた。
「い、いや、これはあくまで白畑さんのでしょ? 貰うのは悪いよ」
「誰もあげるなんて言ってないよ。――このお金は戸塚くんの、引っ越し資金として私が使うんだよ」
「引っ越し資金??」
とは??
「だって今後は私たち付き合うんだし、戸塚くんが一人暮らししてるのはお金がもったいないじゃん。幸いお兄ちゃんの部屋は空いてるし、戸塚くんこの家に引っ越してきなよ」
「うんうん、それがいい」
「久しぶりに男の子が家にいたら、私も料理の作り甲斐があるわ」
「――!」
えーーー!?!?!?
――こうして白畑家に居候することになった俺が、なし崩し的に婿養子になるのは、また別の話。
2022年11月15日にマッグガーデン様より発売の、『悪役令嬢にハッピーエンドの祝福を!アンソロジーコミック②』に拙作、『コミュ症悪役令嬢は婚約破棄されても言い返せない』が収録されております。
もしよろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)