7.もふもふ天国
崩れた建造物を締め付ける様に、木々の根が重なり合って伸びている。そこから天を突く幹は太く、それぞれが大きく枝を広げているから、さながら緑色の天蓋に覆われているかの様だ。
その木々に巻き付いた太い蔦が枝から垂れ下がっている。
その蔦には甲殻を持った虫の様なものが掴まってジッとしていたり、森猫の類が上から見下ろしていたり、ショウジョウと呼ばれる猿の一種が伝う様にして移動して行ったりしていた。
地面は苔に覆われていて、その上に落ち葉が積もってふかふかしていた。断続的な雨で濡れたそれらの間を、大小の蟻や虫たちがうろうろしている。
そこは古い文明の廃墟である。かつてあった筈の人の営みの痕跡は既になく、建造物だけがその面影をとどめているに過ぎない。
周囲には奇妙な形の立像が幾つも立っていた。
石でできているらしく、物によっては風化が進んで崩れかけているものもあったが、多くは立ったまま苔や蔦に覆われて、像の輪郭だけをかろうじてその緑の中に浮かび上がらせている。
木々の根が崩れかけた建造物を支える柱の様になっていて、そこに蔦が巻いたり別の草が生えたりして、外なのに洞窟さながらの様相を呈していた。
頭上の木の枝が屋根の役割を果たしているせいか、夜気が地面まで降りて来ないらしく、苔の合間から春の草が外よりも旺盛に伸びていた。光が入りづらいから徒長しているだけかも知れないが。
「もうこんなに伸びてら」
アトレイはぶつぶつ言いながら、蔦を掻き分ける様にして道を辿って行く。
「ひんやりした所でゴザルなあ。ユウ、寒くないでゴザルか?」
大丈夫、とユウは頷いた。リュシエールは呆けた様に視線を宙にさまよわせている。遺跡や木々のスケールの大きさに圧倒されているらしい。
もう日がすっかり傾いて、そこいらは次第に薄闇が迫っているが、まだ足元が見通せるくらいには明るい。しかし建造物の廃墟に入ると、急に暗くなる様に思われた。
アトレイはカンテラを前に掲げて、目を細めて辺りを見回した。
道端らしい所に、アトレイと同じくらいの高さの石柱が立っていた。円錐形で、一面に不思議な紋様が刻まれている。不思議と、その石柱にだけは苔もむさず、蔦も巻いていなかった。
「あったあった。よし、みんなこっち来て。えーと」
アトレイは石柱の前に積もった落ち葉を足で払った。地面は石で出来ていた。そこに石柱から繋がっているらしい紋様が広がっていた。
「端っこはあっちだな。あの線からこっちに立って。ニンジャ、その辺の落ち葉、魔法陣の外に出してくれる? 大体でいいから」
「箒が欲しい所でゴザルな」
「まあしゃーない。最近誰も使ってねえんだな、この入り口は」
「こ、ここはいったい何なの? あなたたちはどこに行こうとしているの?」
リュシエールが言った。アトレイは考える様に首を傾げた。
「ここは……まあ旧文明の遺跡で、裏道への入り口なんだよ。裏道を辿って、俺は知り合いの所に行こうとしてるわけ」
「裏道? 森の道に表や裏があるのか?」
とニコレットが言った。そうだそうだ、とユウは頷いた。その事がずっと気になっているのだ。アトレイは肩をすくめて、懐から星の欠片を取り出した。
「ま、論より証拠だ。行くぞ」
アトレイはそう言うと、石柱に開いた穴に星の欠片を放り込み、紋様の一部に指を触れてマナを込めた。すると石柱の紋様に光が走った。薄青いその光は石柱から床の紋様へと広がり、一行の顔を下から照らす。
急に周囲が暗くなった。
否、暗くなった、というよりも色彩が反転した様な具合である。
木々の輪郭が白い線で縁取られた様になり、その他は濃淡のみで現れた黒である。その中で、木々から下がる実や、一部の葉、幹の裂け目や飛ぶ羽虫の羽などが、様々な光でちかちかと輝いていた。
ニンジャが面白そうな顔をしている。
「おお、これは……」
「裏に入った。ええと、古道古道っと……あっちだな」
見ると、さっきまでなかった妙な柱があった。木々と同じく輪郭が白く縁取られていて、しかし先端には光が灯っている。火の様にゆらめくその光は、揺れる度に七色に明滅した。
柱はいくつも立っていて、アトレイはそれを辿って行った。すると、茂みを通り過ぎた辺りで、左右にまっすぐ伸びる道が現れた。道は両側からかぶさる様に伸びている木々の枝で、トンネルの様になっており、道端には等間隔に街灯が並んでいた。
風が吹き抜けている。温かくも冷たくもなく、ただ空気が動いているという風だ。ユウはぽかんと口を開けて右から左へ視線を動かし、リュシエールは杖を握り締め、ニコレットは警戒した様に剣の柄に手をやっていた。
表の森と違って、あまりに生命の気配が希薄である。それが却って不気味に感じるのか、アトレイとニンジャ以外の者は緊張気味に体を強張らせている。
「ほほー、これが裏道でゴザルか」
「うん。ここまで来れば捕食生物も骸獣もいないから、そう警戒しないで大丈夫だよ。えー、ヤヤヨノ様の家はどっちだっけな……ああ、あっちだ。行くぞ」
そう言ってアトレイはずんずん歩き出す。ユウとリュシエール、ニコレットが慌ててその後に続き、殿にニンジャがいた。
「ここからどれくらいかかるのでゴザルか?」
「もうすぐだよ。ここは表側の距離と違うんだ。対応する出口に行き着けばいい」
「ははあ、一種の亜空間という事でゴザルな。星の欠片のマナで空間軸をずらすという事でゴザルか?」
「多分ね。俺も詳しい事は知らないけど、古代人はこれを日常的に利用して長い距離を簡単に移動してたらしいよ。起動するのも自分のマナだけでよかったんだと。それだけ持っているマナの量と魔法技術が段違いだったって事なんだろうな」
「拙者も魔法には詳しくないでゴザルが、かなり高度なものである事は理解できるでゴザル。結局移動が一番手間でゴザルからなあ」
「だな。まあ、俺らは触媒になる何かしらがないと使えないけどね……しかも今は入り口もそんなに残ってないから、正直用途はかなり限られちゃうんだけど」
どうしてこんな事を知ってるの? とユウが言った。
「森の奥をうろつく連中なら大体知ってるよ」
「そんなのはほとんど野伏ではござらぬか?」
「まあね。でも野伏はあんまし裏道使わないからな。俺は師匠から教わった」
野伏たちは森の様子を常に把握しようとしているから、便利であっても裏道を使う事は稀である。急ぎの用事であるとか緊急事態の時のみ使用される事が多い様だ。それに、起動するのにマナの触媒が必要な為、そう易々と何度も使える代物ではない。
辺りには蛍の様に燐光が飛び回っている。色とりどりのそれらはちらちらと明滅しながら、ゆったりとした風に乗る様に舞っている。
ユウは手を伸ばして一つ捕まえてみた。光の中心には何もなく、ただ光だけが手の平で淡く輝き、そうしてふっと消えた。
「なんだか落ち着かないですわね……」
先頭を行くアトレイの背中を見ながらリュシエールが呟いた。
わかる、とユウも頷いて、リュシエールの手を握った。ちょっと怖い感じがするね、と言った。リュシエールは頷きかけて、ハッとした様に首を振った。
「わ、わたしは怖くありませんわ。ただ、こう……こんな状況に慣れていないというか」
「おい、こっちだぞ。はぐれるなよ」
木々のトンネルには側道の様になっている所が幾つもあって、アトレイはその一つに入り込んだ。入って来た時と同じような柱が並んでいる。
それを辿って行くと、やがて石柱が現れた。刻まれた紋章が青白く光っている。
「よし、着いた。みんないるな? 寄って寄って」
アトレイは全員を床の模様の中に立たせると、星の欠片を石柱の穴に入れた。すると、周囲の色彩が元の通りに戻り、急に生命の気配が周囲に溢れる様になった。
表はまだ日が落ちていなかった。裏道に入る前と同じくらいの時間に思える。実際、裏道では時間が経たない。ゆえに、裏道による移動は表側からすれば瞬間移動と同義なのだった。
ユウは目の前にそびえる建造物を見上げて息を呑んだ。
巨大な廃墟だった。まるで船舶の様な形の建造物が、木々や苔、草、蔦に覆われており、その威容は圧巻である。古い時代の探索師が素材として削り取ったのか、外壁がところどころ穿たれて、そこから巨木の幹が突き出していたりした。
それに寄り掛かる様にして、巨大な骸があった。建造物と同じくらいの大きさがある。旧文明の兵器か何かだったのか、現在は骨格だけが残り、そこに植物が生い茂っている。
ユウの肩に乗っかっていたミールィが、嬉しそうな鳴き声をしてぽんと地面に降りる。そうして廃墟の方に駆け出した。ユウが慌ててその後を追っかける。
「こらこら、一人で行っては危ないでゴザルよ」
「平気だよ、もうここは知り合いの家だから」
ニコレットが困惑した様に廃墟を見た。
「こんな所に住んでいる人間がいるのか? 野伏なのか?」
「違うよ」
その時、廃墟の上の方から人影が駆け下りて来るのが見えた。かなりの急斜面なのに、壁を這う蔦や伸びた枝を足場にして、危なげなく、しかも凄い速度で降りて来る。最後はぽんと大きく跳躍して、くるくると回りながら飛んで来た。
身軽に着地した影は、意外にも小さかった。
跳ねる様にしてやって来たその姿は少女である。大体十五歳くらいで、手入れされていないぼさぼさの白い髪をうなじで束ね、日焼けした肌に草の繊維で編んだらしい服を着ている。右の瞳が黒く、左の瞳が金というオッドアイなのがひときわ目を引いた。
「おーっ、初めての子だ! どっから来たんだ? ヤヤヨノ様に会いに来たのか?」
少女はミールィをひょいと抱き上げて、掲げる様にしてまじまじと見た。ミールィはもそもそと身じろぎしている。ユウは思わず足を止めて息を呑んだ。見た目は完全に野生児で、何だか得体が知れなかったからだ。
ユウと目が合った少女は、驚いた様に目を見開いた。
「わーっ、人間だ! ひとつと、ひとつと、ひとつ……あれっ!」
アトレイがさくさくと前に出て口を開いた。
「おいドラクゥ、ヤヤヨノ様は――」
「アトレイだーっ!」
「ォど!」
少女はアトレイが言い終わる前に飛びついた。突進と形容していい勢いで、頭突きにも似た衝撃がみぞおちを撃ち抜き、アトレイは悶絶した。
ぽーんと放り投げられたミールィは上手に着地し、少女はけらけらと笑っている。
「わははーっ、いらっしゃいませー! 久しぶりだー!」
アトレイは苦笑いを浮かべて少女の首根っこを掴んで引っぺがした。
少女――ドラクゥは手をばたばたさせて嬉しそうに喚いた。
「アトレイ! ドラクゥ、いっぱい稽古したんだぞ! 今度はアトレイにも勝つぞ! しょーぶだ、しょーぶ!」
「わかったわかった、後で相手してやるから……ヤヤヨノ様はいるな? まだ死んでないだろ?」
「ヤヤヨノ様元気! お客さん嬉しいぞ! みんなに知らせて来る!」
とドラクゥは嬉しそうにぴょんぴょんと廃墟の方へすっ飛んで行った。「お客さんだぞーっ!」と喚き散らしている。ニンジャが顎に手をやった。
「なんでゴザルか、あの野生児は」
「ドラクゥっていってね、森に捨てられてたのをヤヤヨノ様に拾われたんだと。多分オッドアイが不吉だと疎まれたんじゃねえかな。クソ強いから気を付けろよ」
「ヤヤヨノ様というのは何者なんですの? こんな森の奥に暮らしているなんて……」
とリュシエールが困惑した様に言う。
「見りゃわかる。行くぞ」
廃墟に近づくと、あちこちに穿たれた穴や木々のうろ、枝の上から、無数のファルウたちが顔を出してこちらを窺っているのがわかった。個体差があるのか、体毛の色も濃かったり薄かったりして、何だか色々な顔立ちがある。
ユウは見上げてほうとため息をついた。ふかふかした集団に見下ろされているのが、何だか妙に面白く感ぜられた。
廃墟の中は古い機械などがあったが、それらはほとんどが緑の苔に覆われていた。苔の中から草木が伸びて、それが廃墟の穴から外へと伸びていたりする。
そんな風にごちゃごちゃしている廊下を歩くと、どこからともなくファルウたちがやって来て、足元を一緒になって歩いて行く。
ユウの肩にいたミールィは床に降りて、そのファルウたちに紛れ込んでしまった。
「あん? なんて?」
ユウが大慌てでファルウたちを指さす。ミールィがわかんなくなっちゃった! と言った。
「いや、そりゃ俺にもわかんない。まあ、後で呼べば来るよ。そしたらリボンでもつけといたらいいんじゃない」
ユウはむうと口を尖らしながらも、それ以上は何も言わずに歩いた。
廊下の奥に辿り着くと、壊れた大扉の向こうに広い空間が見えた。入ると、壁を破る様にハオマの大木が室内に伸びていて、そこから大小の蔦が垂れていた。壁も床も一面の苔で覆われており、踏むとふかふかして絨毯の様である。壁から水が流れている所があって、その周辺は特に苔が濃い様に思われた。
大木の下に、鳥の巣の様なものがあった。枝や枯葉を集めて作られているらしい。枝から下がる蔦が御簾の様になっていた。
その中に巨大な毛玉が鎮座していた。一緒にやって来たファルウたちが、みんなその周りにぞろぞろ集まっている。
「変わんねえな、ここは。おーい、ヤヤヨノ様。元気かー?」
アトレイが呼びかけると、毛玉がもそもそと動いた。まん丸だったそれからぴょこんと顔が覗く。巨大なファルウであった。
『アトレイ。ひさしぶり、だの』
頭の中に声が響いた。耳にはファルウのきゅうきゅう言う声しか聞こえない。念話らしい。
「久しぶりだな。ドラクゥが先に来なかったか?」
『ここにいる、ぞよ』
毛に隠れて見えなかったが、ヤヤヨノ様の陰からドラクゥがひょいと顔を出した。他にも小さなファルウたちがヤヤヨノ様の体に群がっていて、どこもかしこもふかふかしていた。
「も、もふもふ天国……」
リュシエールが呟いた。ユウがごくりと息を呑んでいる。ニコレットもドキドキした様に頬を染めていた。
ドラクゥが「おーっ」と言って手を振った。
「来たなお客さんたち! ここ、すっごく気持ちいいんだぞ! おいでませ!」
「だってさ。行ってくれば?」
とアトレイが言った。リュシエールはびくっと体を震わして、そうしてぐっと唇を噛んだ。
「け、結構ですわ。そんなはしたない事……」
と言っている間に、ユウが駆け出してヤヤヨノ様に飛びついた。顔も体もふかふかの毛に包まれる。大変柔らかく、温かい。森の木々や草、枯葉など、森の色々なものを全部混ぜ合わせた様な不思議なにおいがする。
ユウはだらしなく顔を緩めてヤヤヨノ様に頬ずりした。
『くすぐったい、ぞよ』
とヤヤヨノ様は身じろぎした。ファルウたちが折り重なってユウに覆いかぶさる。全部ふかふかしているので、動く毛布に包まれている様だ。
リュシエールが「むぐぐ」と杖を握り締めた。
「あんなの絶対……絶対に気持ちいいに決まってますわ……ああ、だめよリュシー。あなたはグラニエ家の令嬢なのよ。あんな誘惑に負ける醜態を晒してしまっては……」
「……リュシエール様、申し訳ございません! わたし、我慢の限界です!」
「ちょ、ニコレット!」
ニコレットは剣を放り出して駆け出すと、ヤヤヨノ様に飛びついた。
「ふあぁあう! す、すごいぃ……」
「こ、この不忠者! 主人を差し置いてそんな……! わ、わたしもっ!」
とうとうリュシエールも杖を放って飛びついた。
「あーっ! これはっ……これはいけませんわ! 人を、人を駄目にする感触……ッ!」
そう言ってヤヤヨノ様に顔を埋めて動かなくなった。他のファルウたちに乗っかられて、上も下もふかふかである。
アトレイとニンジャは腕組みしてこの光景を眺めた。
「どういう状況でゴザルか、これは」
「見たまんまだろ」
「まあ、そうでゴザルけども。しかし女の子はああいうふかふかしたものが好きなんでゴザルな」
「だな……ん? そういやユウって男なの? 女なの?」
「……そういえばはっきりしていなかったでゴザルな」
「まあどっちでもいいや。子どもには変わりないし」
アトレイは荷物を降ろし、広間の端の方に炉を作って火を起こし出した。ファルウたちが物珍し気に集まって来て、下ろした荷物の上をうろちょろしたり、焚火がはぜるのにびっくりして跳び上がったりしている。
そのうち、ヤヤヨノ様に抱き付いた連中はそのまま眠ってしまったらしかった。疲れがたまっていたのもあるのだろう。ドラクゥがひょいと降りて来て、うんと伸びをした。
「みんな寝ちゃったぞ!」
「まあ、歩きっぱなしだったし雨にも降られたし……」
「ヤヤヨノ様ふかふかで気持ちいいもんな! ドラクゥ、いっつもヤヤヨノ様に抱き付いて寝るぞ! アトレイも一緒に寝るか!?」
「俺はいいよ、暑いんだもん」
「じゃあしょーぶするか!? ドラクゥ、今日は負けないぞ!」
「後で後で。それよりドラクゥさ、何か食べ物ない?」
「あるぞ! ドラクゥたち木の実いっぱい集めてる! 持って来てやるぞ!」
それでドラクゥは慌ただしく走って行った。
「賑やかな娘っ子でゴザルな」
「寝てる時以外はああなんだよ」
アトレイは薬缶に水を汲んで火にかけた。
『アトレイ。ぬし、遊びに来たのか?』
ヤヤヨノ様が言った。少女たちやファルウどもに乗っかられていても、ちっとも苦しそうではない。アトレイは荷物を漁りながら言った。
「うんにゃ、ちょっと相談があってね。その子ども、ユウっていうんだけど」
『どれ? みんな子どもだ、ぞよ』
「そりゃあんたからすればそうだろうけど……一番小さい奴」
ヤヤヨノ様は目だけ動かして、抱き付いたまま眠っているユウを見た。
『不思議な気配のする子、だの』
「わかる? 実は遺跡から出て来たんよ。でもホムンクルスっぽくもないし、人工精霊みたいでもない。しかも不思議な魔法を使うわけ。ヤヤヨノ様なら何か知ってるかもと思ってさ」
『わし、なんも知らん。見たものを覚えているだけ』
「それでいいよ。森のあちこちに遺跡あるだろ? 小さなドームみたいな感じで、周辺に結界を張ってくれて、普段は石扉が閉じてる様な奴。あれって何で作られたんだ?」
『何でかは知らん。わしが子どもだった時、魔法使いたちが魔法で作った、ぞよ』
曰く、その当時に魔法使いたちがその建物に出入りしているのを見たらしい。中で何をしていたのかは知らないそうである。
アトレイは腕組みした。何らかの研究施設であるにしては内部があまりに簡素であった。しかも構造的に実験をするには向かない様にも思われる。
ただ、ユウを見つけた時と、後日確認しに行った時と、内部構造が違っていた事が引っかかった。長い廊下が消えていたからである。建物自体が簡素な造りでも、何かしらの魔術式によって別の場所へつながるゲートの役割を果たしていたとしたら? とアトレイは考え込んだ。
その可能性は高そうだが、どこへつながっていたのか、そもそもユウが何者であるのかという事につながる手掛かりが見いだせない。
ニンジャが思い出した様に口を開いた。
「そういえばユウは妙な魔法を使うでゴザルからな。竜を一撃で葬ったり、ぶかぶかの靴やマントを自分のサイズに合わせたり、どんな理論の魔法なのかわからんでゴザル。古代魔法の一種なのでござろうか?」
『それは、本物の魔法、だの』
とヤヤヨノ様が言った。アトレイとニンジャは怪訝そうに眉をひそめる。
「魔法に本物と偽物があんの?」
『本物の魔法、理論要らない。マナも要らない。望みを現実にする力、だぞよ』
「え、やば……」
通常、魔法は術式の構築と発現の為に、筋道立った理論を必要とする。行使者の魔力の量や質にもよるが、基本的に理論に乗っ取り、適切にマナを運用さえすれば魔法は発動する筈なのである。
しかし本物の魔法というのは、そういったものをすべて必要としないらしい。
規格外過ぎて、アトレイは額に手をやった。
「使い方間違えたらマジでやばい奴じゃねーか、それ」
「しかし、上手く扱えればこの大陸をニンジャ帝国にする事も可能という事でゴザルな!」
「お前の息の根をここで止めた方がいい事に気づいてしまった」
「じょ、冗談でゴザル! NINJA☆JOKE」
「……まあ、魔法についてはわかったけど、どうしてユウがそれを扱えるのかはわからんよな?」
『わからん、ぞよ』
と言って、ヤヤヨノ様は大きくあくびをした。
少し進展した様な気がしないでもないが、根本的な事は何もわからない。
アトレイは爆弾を抱えた様な気持ちになりながらユウを見た。だらしなく表情を緩めてすうすう眠っている。大変幸せそうである。こうやって見ると、危ない雰囲気は微塵も感じない。
(影の竜を倒した時は……なーんか人が変わったみたいな感じだったけどなあ)
あの時のユウの様子の違いはアトレイの中でもまだ引っかかっている。しかし、あれ以降そういったそぶりはないし、靴を足のサイズに合わせた他は、魔法らしい魔法も使っていない。むしろ突然眠り込んでしまう事に悩まされるくらいだ。
もしその『本物の魔法』というのが願いを何でも現実化するものであれば、その様な不利益なものをなくす筈である。要するに、ユウ自身はその力を自在に扱えていないという事になる。
「あれこれ思い返すと、ユウ自身も意識してそれを使えるわけじゃなさそうだが」
「それは確かにそうでゴザルな。記憶がないせいもあるのでござろうか?」
「それもあるだろうね。まあ、他にそんな魔法の例は知らんからな……ヤヤヨノ様は、他にその『本物の魔法』を使う奴、知ってるの?」
『知らん、ぞよ』
「ああ、そ……ひとまず魔法に詳しい奴に相談してみるかな」
「となると魔都に行くのでゴザルか?」
「そうなるかなあ……まあ、聖都にも魔法使いはいるだろうし、ひとまず保留だ。リュシエールを見張塔に連れて行ってやって、それから考える」
「骸獣の上位種を倒すのでゴザルか」
「うん。あの辺に骸獣が増えるのは俺も嫌だし。だからユウはここで待っててもらうかなあ」
「むしろあの影の竜の様に、ユウに始末してもらえばいいのでは?」
「いや、そう上手くもいかんでしょ。ユウはその力を自由に扱えるわけじゃなさそうだし。それに、ああいう強すぎる力を気軽に使うと、なんか後でしっぺ返しが来そうで、俺としてはあんまし使って欲しくないのよね。根拠はないんだけど」
「おぬしお得意の勘でゴザルか」
「そういう事。ま、だからヤヤヨノ様、ユウを少し預かってて欲しいんだけど」
『その小さいのがいいと言えば、いいぞよ』
これで心置きなく見張塔を目指せるな、とアトレイは思った。
その時、両腕に一杯の木の実を抱えたドラクゥが駈け込んで来た。
「ごはんだぞーっ!」
「ぁンがっ!」
ドラクゥはそのままアトレイに突進する。ぶつかった衝撃でドラクゥはひっくり返り、持っていた木の実が全部地面に散らばった。
アトレイはげんなりした顔で帽子をかぶり直した。ドラクゥは仰向けになったままけらけら笑っている。
「あははは! めっちゃころんだ!」
「お前はホントに……」
ファルウたちが木の実を銘々に咥えて持って行っている。アトレイはファルウたちと競う様に散らばった木の実を拾い集めた。大小様々、色々な木の実がある。
殻を剥いたのを口に放り込みながら、沸いたお湯でお茶を淹れた。
ドラクゥが鼻をひくつかせながら、ニンジャの周囲をぐるぐる回っている。
「おい黒いの! なんでそんなに黒いんだ!?」
「ニンジャは黒いものでゴザルによって。そもそもニンジャはSENGOKU☆DAIMYOに仕えて、情報収集や偵察、索敵などを主に執り行う隠密でゴザル。ゆえに、この黒装束によって闇に紛れ、影に生きるのでゴザル」
「なにそれ! ドラクゥ、ぜんぜんわかんないぞ!」
「つまりでゴザルな、ニンジャは暗闇に紛れてするりと動くゆえ、捕まえる事ができないのでゴザル。その為の黒装束でゴザルによって」
「ドラクゥなら捕まえられるぞ!」
「無理でゴザルよ」
「無理じゃない!」
「ではやってみるでゴザル」
「やってみるぞ! とりゃーっ!」
「はっはっは、捕まらぬでゴザル!」
ドラクゥはニンジャを捕まえようと、獣の如き俊敏な身のこなしで飛びかかるが、ニンジャはひらひらした動きでそれを上手い事受け流している。ドラクゥはそれがすっかり楽しいらしく、夢中になってニンジャを追っかけていた。
「こりゃいいや」
しばらくはあいつに任せておこう、とアトレイは身を縮こまして、熱いお茶をすすった。ヤヤヨノ様がもそもそと身じろぎする。
『アトレイ』
「なに?」
『ノーマンは元気、かの?』
「師匠は死んだってば。前来た時も同じ事聞いただろ」
『そうだった、かの』
「そうだよ。まあ、殺しても死にそうになかったから信じられないのはわかるけど……どうせいずれは皆死ぬもんな」
『寂しくない、かの?』
「慣れた。もう十五年以上経つし」
そう言って、アトレイは目を閉じた。
師であり育て親だったノーマン・ベネシュの、トラ模様の髪の毛を思い出す。
虎人だったノーマンは騒がしく、長い旅暮らしゆえに大陸のあちこちに友人がいる快活な性格だった。
どちらかというと口下手で人付き合いの苦手なアトレイとは真逆であったが、そんなノーマンの影響でアトレイもそれなりに人との付き合い方を覚えた。
死に別れて長い。いつの間にか、ノーマンと一緒にいた時間よりもいなかった時間の方が長くなった。しかし大人になるにつれ、教わった色々な事が子どもの頃よりも身に染みて有難く感ぜられた。
アトレイはあくびをした。もう日が暮れかけて、辺りはうっすらと闇がかぶさって来ている。