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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 8

 少し早い夕食のはじまりは、さながら国家の命運を左右する会議のようであった。

 それは名門の家名とは裏腹に、ラーナッタ、マリーシア、そしてローナ、女三人だけのごく家庭的な食卓だった。

 ラーナッタ夫人はお茶会の成り行きを耳にして、ため息のように感想を洩らした。

「シリス・カナン・フォスバール、彼が動くとはねえ。まあ、彼がいちばん、マリーシアに興味を持つべき立ち位置なのは間違いないけど、耳にした風聞ではあまり世事には執着のない性格かと思っていたわ」

 シリスという貴公子は、優れた容姿と血筋で知らぬもののいない人物だ。彼の振る舞いは、細やかな事柄にいたるまで話題となった。

 その風評によれば、まるで茶飲み友達の所に顔を出すような態度で、貴族たちの派閥に交わったかと思えば、これといって今の境遇に不満がある風でもなく、世情に流されるまま飄々と身を任せている。

 一度たりとも、この青年にぎらついた野望は垣間見えなかった。

 ある意味、ラーナッタは感心もしていたのだ。

 危ういカナン・フォスバールの家名を背負ったこの青年のことを。

「その、カナン・フォスバールというのはいったいどういう意味を持つのでしょう」

 マリーシアは疑問を率直に述べた。

「シリス・カナン・フォスバール。このカナン・フォスバール家というのは、一代限りの、公爵や王に匹敵する、帝室の傍流となった方に与えられる称号のような家名なのよ」

 ラーナッタ夫人は説明の必要を感じて、まずはひとつの事実を告げる。

「帝室の、傍流?」

 孫娘が傾注すべき言葉を的確に拾ったのを頷いて、夫人は続けた。

「先々帝陛下、つまりヴィスターク陛下の父君は、在位にあらせられた頃、第一子に男子、つまり先帝陛下ね。そしてそのあと三人の女子がお生まれになったの」

 その後、先々帝が先帝に譲位し、安定した治世はつつがなく受け継がれた。

 先帝が位についた時、すでに齢は三十を越えていたが、それまで皇太子妃との間に生まれていた子供は女児ばかりで、跡継ぎたる男子はいまだ生まれていなかった。一方で、先々帝は年若い第二后妃との市井での生活で、ヴィスタークという子を儲けた。

 そこへ先帝の崩御である。

 帝国法は、女帝の可能性を否定していない。だが、人々の認識として、男児がより後継者として勝った。

 帝国の制度では、三番目の皇女の子までに、皇位継承権が与えられた。

 この時代でもまだ当てはまるが、かつては女児のほうが健康に育つ傾向がより如実であった。そのため、後継者たる皇子が潰えた場合に備え、皇女の子の代までを継承順位として数えたのである。

 ただし、後継者争いが暗い方向へ突き進まないように、三番目の皇女までと制限を加え、それも当代の皇帝に子ができるまでの間という限定がなされている。つまり、継承順位を簡略にし、継承権を持つもの同士が互いに眼を光らせ、世間の目に利害関係を明らかにしておくことで、暗殺などといった血みどろの争いを防ぐ意図が含まれているのだ。それでも、長い歴史の中で帝室の不審な死については枚挙に暇がないが。

 先帝が崩御したとき、当然ながらその娘たちに帝位継承権はあった。

 だが、能臣たちの心うちでは、先々帝の子の中で、先帝の妹である第一皇女エリーデの息子、あるいは第二皇女や第三皇女の息子らに期待する向きが大きかった。彼らの帝位継承権は、直系の子が生まれている時点で消滅しているにもかかわらず、だ。それは国を憂う能臣の未練であった。

「この第一皇女エリーデ殿下のお子が、シリスというお方なのです」

 ローナも主人を手伝って説明した。

 第一皇女エリーデは、三六公国のひとつローズロント公と結婚し、唯一恵まれた子宝がシリスであった。

「でも、今の皇帝陛下はヴィスターク兄さん……どうしてなの?」

「そこね」

 ラーナッタとローナは頷く。

「帝位継承権は、皇帝に在位されている方の指名が何より第一位として数えられるわ」

「普通、皇帝となられるお方の父君というのは、すでに亡くなられているものでございましょう?」

 二人の言葉は、やや説明の順序が違っていた。二人は顔を見合わせて、夫人がローナに譲る形となった。

「実は、先々帝陛下は、先々々陛下なのですよ」

 マリーシアがきょとんとするので、二人は笑みをこぼした。

「ヴィスターク陛下のお父上は、譲位した帝位に再びお戻りになったのです。普通、皇帝陛下のお父君というのは亡くなっていらっしゃるのが普通ですから、継承権の順位について、帝国法にもこれに関する文言がまったくありません。ただひとえに、崇拝されるほどの先々帝陛下の実力を以って認められたことなのです」

「そう、そして、改めて皇帝となられた先々帝が、次期皇帝としてヴィスターク陛下をご指名されて、譲位なさったの。だから、正確にはヴィスターク陛下のお父上は、先帝であり、先々々帝でもあるのだけれど、あくまで手続き上のことだから、ヴィスターク陛下の異腹の兄君を先帝、現皇帝陛下と先帝陛下のお父上を先々帝と御呼びしているのよ」

 そこまで言って、ラーナッタははっと大事なことに気づいたような顔をした。

「あら、少し話がずれてしまったかしら」

「奥様が、面白いことばかりを優先なさるから」

「だって、食事は楽しい会話のほうがいいわ」

「まあそんなわけで、法に照らしても恥じることなきよう、配慮して先々帝陛下はヴィスターク陛下を皇帝陛下とされたのですわ、お嬢さま」

 マリーシアは話を飲み込む為に、二人の言葉を脳裏でなぞる。

「じゃあ、シリス様の現在の帝位継承権は?」

 その問題に気づいたことに、ラーナッタとローナは内心で感嘆していた。

「そうね、一番大事な話だわ。茶化すのはやめましょう」

 ラーナッタ夫人はナイフとフォークを置いて居住まいを正した。

「カナン・フォスバールや、それと同様に一代限りの称号を持つ方の継承権は、時の皇帝の子孫より継承権が下になるわ。たとえ、皇帝の子孫に男児がいなくても、ね。だから実質、その時の皇帝に子供が生まれた時点で、傍流であるカナン・フォスバールという人物の帝位継承権は消滅する仕組み」

 これらはすべて、先に述べたように帝位継承権を簡略化し、後継者争いの激化を抑える法であった。

「シリス・カナン・フォスバール様は、先々帝陛下の孫にあたりますでしょう?」

 マリーシアは頷く。

「先帝陛下に、お子様が出来た時点で、実はシリス様の帝位継承権はとっくに消滅していたのですが……」

 当代の皇帝に、直系の子供が生まれると、傍流の継承権が事実上消滅する、という仕組みに当てはまる部分である。実際には、シリスが一歳のときに先帝に娘が誕生したので、彼自身に自覚はないことであるが。

 先帝が崩御したとき、帝国宰相コルトスをはじめ、能臣たる人々は苦慮した。先帝の娘たる皇女を、安易に女帝として立てれば国が乱れる。帝国法は直系がいる場合はこれを第一とする定めだが、幸いにして先帝の父が存命であることにコルトスは目をつけた。

 今でいう所の先々帝が、再び現皇帝となれば、孫に当たる男子は直系と見ることができる。つまり、先帝の甥、すなわち傍流にあたるシリスやそのほか同様の男児の幾人かを、皇帝の直系に引き戻せるわけだ。手続き上、先々帝に再び即位願い、その男児の中から次期皇帝を選べばよい。

 そうして、市井で身分を隠して暮らす先々帝を訪れた結果、彼は孫ではなく新しい息子を皇帝に選んでしまった。

 シリスというヴィスタークと同世代の青年は、知らぬところで傍流から皇帝の直系へと時を遡り、そして再び傍流となったのであった。

 ただし、今度は傍流でも、帝位継承権を残している。

 現皇帝ヴィスターク五世が、まだ直系の子孫を持たないからだ。



 すっかり食事の進まなくなった三人は、話の続きを食後にすることにした。

 片付けを終えて、お茶を運んだローナも交えて話は再開された。

「つまり、シリス・カナン・フォスバール様は、ヴィスターク陛下にお子様が生まれるまでは、帝位継承権をお持ちなわけです」

「ヴィスターク陛下のお妃となりうる女性は、彼にとってとても重要といえるのよ」

 話の主導を任せて、ラーナッタは時折口を挟みながら、お茶の香りを楽しんでいる。マリーシアに、こんな話のさなかにもそれくらいの余裕を見せることは、彼女なりの気遣いだった。

「ですから、野望があれば、現皇帝に近づく女を毒牙に掛けんとする、最たるの人物なのです」

 最後のローナの言葉は、脅かしではなく真剣に心配していた。

 つまり、マリーシア・レ・ユルフレーンなのである。

 マリーシアは、自分が帝位継承権に関わる立ち位置にいることを、強く認識した。シリスだけではなく、彼を取り巻く人々もまた、利害を絡めた目で自分を見ているのだ。

「彼は、自身が生まれたローズロント公家の血を引きながら、帝室傍流としての家名にも、まだ帝位継承権という力がある。だから、彼はある意味でとても恐ろしいわ。社交界で、より人々に近しく、しかも帝室の権威を内に秘めている彼の言動は強い影響力がある。彼の持つ帝室の血を深く捉える人からすれば、彼の意向に逆らう人間を不敬呼ばわりだってするでしょう。それは影響力の一端に過ぎないし、人の意識はもっと難しいのだけれど」

 シリス・カナン・フォスバールがユルフレーン家とアデルワント家の仲をとりもとうとする申し出に対して、マリーシアが口を挟もうとするのをレプシーヌ男爵夫人は引き止めてくれた。

 丁重に断ったところで、言葉尻を利用されるかもしれない。シリスの申し出を断ったことが広まるだけでも、人々はユルフレーン家について憶測するだろう。すっかり力の衰えた公爵家が、ついに皇帝と親密になり意を強くしたのか、と。

 皇帝とシリス・カナン・フォスバールを取り巻く派閥に色を分けて人々は考えたがるはずだ。今そんなところに明暗をつければ、ほとんどがユルフレーン家にとって、敵か、敵か味方かよく分からない人々、この二種類にしか分けることが出来ないだろう。曖昧な区別が多く、しかも味方と言い切れる人々は少ない。

 しかし敵は、ユルフレーン家が皇帝の権力を欲しているとみて、はっきりと敵とみなす。

 はっきりとした味方を周囲に持たないまま、ユルフレーン家は敵に囲まれることになる。そして皇帝との親密さとは裏腹に、ユルフレーン家は弱体だ。

 では、敵ってなに?

 マリーシアはふと思った。

 ヴィスターク兄さんの敵? マリーシアはそう考えて首を振った。現皇帝の側につきながらも、その妃を輩出しようと欲する貴族にとってユルフレーン家はやはり敵となる。そんな貴族も、ヴィスタークにとっては味方になる場合だってあるのだ。

 必ずしも、ユルフレーン家の敵はヴィスタークの敵ではない。

 今ここで、人々になにかしらの色を明確に認識されたら、味方がいないまま敵を作ることになる。そして、それをきっかけに、坂を転がりだすように派閥争いが動き出すだろう。

 きっかけは自分。

 のらりくらりと、やり過ごすしかない。

 寒い季節は終わったというのに、マリーシアは首筋に冷たいものを感じて身を竦めた。

 そこへ、すっとお茶が差し出される。

「だいじょうぶよ。わたくし達が付いているわ。頼りなく思うかもしれないけれど」

 ラーナッタ夫人は微笑み、ローナは頷いていた。

 マリーシアは申し訳ない気がした。むしろ、自分がユルフレーンの人間になったことで、この家を危機に晒しているというのに。

「ほら、気に病まないの。こう見えて、わたくし達は、公爵家を切り盛りしてきたのですからね」

 祖母とばあやは、小娘の気持ちなどお見通しだった。


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