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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 7

 その日の、まだ太陽が高いところにあった頃、職務中のレイトリ・フェナーは、つつがなく交代、休憩の時刻を迎えようとしていた。

 担当する区画を巡回し、街の安全を見守る為に立つ。何事もなければそれで終わる仕事のはずが、最近はその後も何かと用が多い。今宵も宴に借り出される予定である。

 さしあたって日中の当番は平和に終わりそうだった。

「あのう」

 と、呼びかけられる声にレイトリは振り向いた。

 この外苑ロンテスキンに居る人間の種類は少ない。なぜなら、ここは貴族が安全に平穏を楽しむ為に作られた街だからだ。従って、滅多に出会うことはないが、出歩く人の多くは貴族であり、そのほかは使用人や御用達の店々の商人や職人だけだ。こちらは用がなければ街をぶらつくこともない。

 そこでレイトリが出会ったのは、あまり見かけない人種であった。

「なんでしょうか」

 まず、その人種を見定めるまで丁寧な口調は崩さない。

「あの、ヴェネルセン伯爵のお邸をお尋ねしたいのですが」

「失礼ですが、どのようなご用件ですか」

 職務上の質問が口を突くのは厳しい教育のおかげだ。

「ああ、僕は画家のユットー・オプテルモーといいます。ヴェネルセン伯爵には先日結婚されたご子息夫婦の肖像画を描くために呼ばれてまして」

 なるほど。この青年の両手にある革鞄や、背負っている布の袋は画材なのだろう。特に背中の鞄からは、大きな道具が収まり切らずにはみ出しているし、油絵の具らしいにおいが鼻についた。

 それにしても、画家とはこうしたものだっただろうか。レイトリは自分の持っている印象との落差を、職務上の疑念と結び付けるべきか悩んだ。つまり、彼の衣服はところどころ絵の具がこびりつき、生地はすり切れ、あるいは埃っぽく、ありていに言うと裕福ではなさそうだった。

「いやあ、まだまだ駆け出しでして。この仕事もたまたま紹介があったから舞い込んだわけですよ。この仕事で、伯爵家のお抱え画家になれれば、ご想像するような画家姿になってみせますがね」

「いや、そんなことは……」

「顔を描くのが仕事ですから」

 レイトリは思わず口元を隠した。顔に出ていたようだ。

「いえいえ、普通の人なら分からない程度ですよ。それに、想像つきやすいですから。僕の印象って」

 画家の言を否定しがたくはあったが、ひとつの礼節として顔に出さぬよう心がけつつ、レイトリは彼をヴェネルセン伯邸の方向へと促がした。わかり易い通りまで送るつもりだ。

「こうしてまともな肖像画を依頼されるのは久しぶりなのです。仕事がないと、依頼の選り好みをしてはいられないのですが、何でも受けていると、変り種の依頼が何故か寄り集まるようにくるようになってしまいまして」

 彼は朗らかに自分の仕事事情を世間話として提供した。他人と友好関係を育むのに苦労しない性格のようだ。そういう人格は、おおよその場合好ましい。

「まあ仕事があるだけありがたいのですが、ときどき、亡き夫の、あるいは亡き妻の肖像画を描いて欲しいと泣きつかれるんです。参考にする肖像画が一枚もないのにですよ? まあ、だからこそ故人の絵を欲しがるのでしょうが。そうです、そのとおり。もうまったく僕は描くべき相手の顔が分からないんです。依頼者の説明や、親族の似ている方を呼んでモチーフにしたり。そんな仕事を請けていると、ついには自分の理想の相手を絵にして欲しい、それをみて実際に花嫁を探すんだというお方まで……いや、名前は言えませんが。まあ理想とする方の特徴を人に分かってもらえば、誰かに探してもらうなり紹介してもらうことも容易でしょうからね。理想の相手といえば、見合い相手に贈る肖像画を、見目良く描いてくれというのはよくある話で……」

 澱みなく経験を語る画家の足と口が止まった。先を行くレイトリの足が止まったからだ。

 ああ、よくあることなのだ、と彼は心中で省みた。世間話のつもりが、ぺらぺらと気づかないうちに人の気分を害していることがよくあるらしいとは、彼が最近気づいたことだ。実は、内容よりいつまでも止まらない世間話それ自体に辟易されることが多いことを、彼はまだ気づいていないのだが。

「画家さん」

「ユットーです」

「ユットーさん」

「いえ、気軽にぜひユットーとお呼び下さい。私も平民の出ですので」

 衛士の青年が、画家という職業からでは推し量れない身分を気にして、丁寧な姿勢を崩さないのは理解していた。

「じゃあ、ユットー」

 途端に態度が砕けたのは口調で分かった。

「なんでしょう」

 なにを怒られるのだろうと、ユットーは怖じ気づいた顔で聞き返した。身分差の配慮を取り除いたのは自分自身だが、それを利用することを思いつかないのが彼の人のよさである。

「俺が特徴を言えば、この場にいない人間の顔も描けるってことか?」

 ユットーの心配は杞憂だった。

「はぁ、まあ嘘は言ってませんから」

「描いてくれ!」

 あの男の絵があれば、面通しに自分が引っ張りまわされることもなくなるはずだ。レイトリの願望はそこである。

「あのう、ですが画材というのもなかなか高価でして……」

 ひとのよい人間が、他人に気を遣いながらも我を通す為に、せめて遠隔的に頼みを断る手法は、魔法の言葉で打ち消された。

 すなわち。

「そこをなんとか!」

 がっしりと肩を掴まれ、断りきれないのがユットーという青年だ。



 小一時間。レイトリと、そしてユットー自身の予想に反してさらさらとその人物の顔は描き上がった。

 画材については、ユットーが恐れていたほどの損失ではなかった。レイトリが要求するのは、絵画としての完成度ではなく、小さな紙片に顔かたちが分かれば良い程度のものだったからである。

 レイトリは絵というものが技巧を凝らした職人の所業であると思っていたから、まさかその場でユットーが描き始めるとは思っていなかった。

 しかしなるほど、絵の具を使った巧妙な技でなく、簡単な線画で充分だと、ユットーの木炭が輪郭を描いていくうちにレイトリは理解した。ユットーが手に持つ細密画用の細い木炭を芯にした筆が、レイトリの語るつたない言葉を形にしていった。

「ユットー、この礼は必ず!」

 ヴェネルセン伯の邸の前まで案内してくれたレイトリの表情を見て、気も晴れやかにユットーは彼を見送った。

 完成した紙片を手にしてレイトリはロンテスキン公館に走った。この紙片はまさに免罪符。これで緊張極まりない上司のお供を辞退できるに違いなかった。


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