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帝都外苑ロンテスキン領は、広大なシルヴェンライン帝国の方々に領地を持つ貴族が、リスターテルクに長期滞在するための、いわば保養地であった。
もちろん、貴族たちは帝都の内外に利便と快適さを求めていくつか邸を構えることが少なくなかったが、多くの貴族たちが一つの場所に固まって邸を構え、街の様相を呈するのはロンテスキンのみである。茶会や狩猟会、夜宴など社交の場の持ちやすさを理由に長居する人々が多い。
アルター公ヒルデムが、帝都とその近隣に持つ八つほどの邸のうち、一つは当然のごとく、このロンテスキンにあった。
その権威にしては、控えめな邸であった。
代々のアルター公が愛用したロンテスキン領の邸を、ヒルデムが取り壊して、新たに建てさせたのが今の邸だ。
ロンテスキンは区画を整理して街の外観を作っているため、広大な敷地は取れないように定められているのだが、かつてのアルター公たちはその権力でロンテスキンから自分用の土地を半ば奪い取っていた。
ヒルデムは邸を建て替えて残った土地に公園を造成したり、新たに一流の職人たちによる御用達の店を入れさせるなどしてロンテスキンに貢献し、他の貴族の賞賛を集めた。
先祖の横暴を、彼は奉仕の精神に富む人物という評価にすり替えたというわけだ。そこには彼の計算高さもあったが、本心から無駄に贅沢すぎる別邸を好ましく思っていないところもあったので、それを見抜いた人々の好感も引き出していた。
高貴な身分であり、謙虚と気高さを持つ。
彼は、貴族という人種のなかでの人望を、確かに持っていた。
その日のヒルデムは来客を持っていた。
アデルワント伯爵夫妻との、ささやかな昼食会である。ささやかといっても、給仕に人を使い、卓には手間を掛けた料理が並ぶほどのものだ。
アルター公であるヒルデムと伯爵とは、領地も近しく親しい交流がある。長年の個人的な付き合いから、昼食の席はとても和やかなものだった。
昼食を終えると伯爵のもてなしを妻に任せて、ヒルデムは伯爵夫人を庭の散策へ誘った。
アデルワント伯爵夫人とは、伯爵家との交流とは別に旧知の間柄である。夫人は、アルター公国の名家の出身で、ヒルデムとは社交の場で若い頃から面識があった。もともとは公子ヒルデムの花嫁にと夫人の父親は考えていたが、幾多の花嫁候補から突出できるほどに、彼女の父親には力がなかった。それも今となっては古い話である。
「それで、お忙しいヒルデム様が、なんの御用ですの」
四十を越えてなお艶然とした美しさをもつアデルワント伯爵夫人は、本題への足がかりをあっさりと提示する。
足を止めたヒルデムは、微苦笑を隠さず応じる。
「たしかに、貴女のお力を借りたいと思っている。が、貴女はそんなにせっかちだっただろうか」
「うわべの言葉あそびで喜ぶ歳でもありませんのよ。そのように扱ってくださるのは嬉しいことですけれど」
口元を扇で隠して微笑み、微笑の残り香を漂わせて扇をたたむ。
「なるほど。いくつになっても女が上手をいくものだ」
アルター公となって齢を重ねた男は、動じることなく立ち止まった歩を進めた。
人の手の行き届いた庭園には、帝国の初夏にむけて花をつける植物のつぼみが色づき、早いものは花開いて瑞々しさを誇っていた。シルヴェンラインでもっとも暑い頃には枯れ落ちてしまうから、そうなる前に水切りをして花瓶に飾り、残り短くなった花の命を暑い時季に涼風とともに愛でるのがこの国の、初夏の趣きのひとつだ。
無遠慮をお許しいただけるなら、と伯爵夫人が前置きしたのをヒルデムは柔らかい目線で促がす。
「ヒルデム様は、最近でしゃばってきた古い家門を気になさっているご様子」
「でしゃばるなどという物言いは心外な。古くから帝国を支えてきた良き貴族が、陛下の御許に集うのは良いことだと考えている」
ただ、と付け加えたヒルデムは先を歩くことで表情を窺わせない。
「長らく国事から離れていた家門に、勇み足はつきものだ。それとなく導いて差し上げるのが貴族同士の友情ではないかね」
かつては嫁ぎ先にと一族から嘱望されたその背中を見つめて、伯爵夫人は過去の自分の哀れむように嘆息した。
「閣下のお立場では、発言にも体裁を必要とされるのは理解しておりますけれど、そんな上っ面の嘘、どんなお顔でおっしゃっているのかしら」
背中は応えず、先を行く。
夫人の足音が途絶えると、ヒルデムは取り繕った貴族の顔で振り返り、手を差し伸べる。
「それでわたくしに、ユルフレーンの娘についてさぐりを入れろと」
その手を、威風を漂わせて伯爵夫人は取ってみせる。かつて少女であった自分ではなく、対等の人格を持つ女性として。
「さぐりというほどではないのだよ。他愛のない会話で結構。様子を窺うていどのこと。貴女の誘いなら篭もりがちな深窓の令嬢も姿を見せるであろう」
「いいですわ。ユルフレーンのご令嬢をお誘いいたしましょう。私も興味がありますの。ですが、あなたにお味方するとは限りませんことよ」
庭の端まで歩くと、伯爵夫人はその手を離れて庭を、一度だけ振り返る。
彼女を、夫が迎えてくれた。
アデルワント伯爵夫妻はその後、アルター公の邸をあとにした。
伯爵夫妻の馬車が走り去るのを窓から見下ろしながら、アルター公は冷たい思考に沈む。
(ユルフレーン……落ちぶれた家門は、おとなしく消え去っておれば良いものを)
かつては大貴族。皇妃を輩出などしようものなら、広く根を張った血脈が力を盛り返して権勢を振るってもおかしくはない。
(状況次第では、消し去るも良かろう)