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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 帰りの馬車に乗り込んでからも、そのちょっとした興奮は冷めやらなかった。レイトリを引き連れて馬車へ向かうクラウブの足取りからも、興奮しているのが伝わってきた。

 彼は馬車に乗り込んで御者に合図をするや、口を開いた。

「今日は良くやった。あとはシプレン子爵キルクが、お前が目撃した人物であるかどうかを確認すればいい」

 この任務は少しもなれることが出来ないでいたが、褒められるのは悪くない。いつもの借り物の豪華な衣装も、冷や汗を掻いた分だけ馴染んだ気がした。衛士の制服の、新品でおろしたての時くらいには。レイトリは首元を緩めながら疑問を返す。

「しかし、シプレン子爵キルクという人物が、私の目撃した男であったとして、彼は別に悪事を働いたわけではありませんが……」

 クラウブには確固たる読みがあるようで、その答えはすぐに返ってきた。

「事件には、振り返ってみれば前兆がある。マリーシア嬢を男がつけていたのなら、いまや時の人たる彼女だ。それが何かの前兆と疑ってかかるのはやり過ぎだとか、徒労であるなどとは思わない。事前に察知できたと喜ぶべきだ」

 レイトリは神妙に上司の考えを聞いていた。

 最初はそれこそただの勘だ。間違いであれば誇大妄想と自ら恥じ入っていたかもしれない。

「そしてこれは、大きな騒動になるかもしれん」

 藪を突いて蛇が出る、十中八九出てしまうとわかって藪を突くようなものだ。そんな思いまではクラウブは口にしなかった。

「シプレン子爵キルクは、誰の招待であの夜宴に来たか」

「それは、アデルワント伯爵……その背後にいるのは、アルター公?」

 シプレン子爵家は、ユルフレーンに連なる血ではない。

「そしてラーナッタ夫人の言葉をそのまま信じるなら、マリーシア嬢を訪問中の陛下に賊が襲い掛かった。近衛府に問い合わせればわかる事だが、おそらく暗殺未遂事件だ」

「まさかアルター公が!?」

「まだそこまで断定は出来ない」

 クラウブは声を押さえるしぐさをした。車外で馬車を操る御者の耳に届いてはまずい。何人にも噂の種ひとつ与えてはならない。

「どうあれ、帝都を震撼させる事件です。噂くらいはとっくに流れていても良さそうですが」

「そのとおりだが、市井で暮らしていたマリーシア嬢が見つかったのが、陛下が過ごされた街だと言うのなら、いまなおその付近では先々帝陛下がお暮らしのはずだからな。あまり大きな発表はできないのだろう」

「ということは、不逞の輩どもは先々帝陛下の所在も把握しているのでは?」

「そう考えて間違いなかろうが、それは近衛府に任せるしかないな」

 とは言うものの、クラウブは先々帝の安全については心配していなかった。これは帝国宰相コルトスやヴィスタークの読みとも一致する。賢帝としての偉業に対する畏怖は神に等しく、いま現在権力を手放した彼を弑する利点がないのだ。

「これと同時期に、マリーシア嬢に人を付けておくなど、事は起こさぬにしても、執拗に情報を集めている人間がやることだろう?」

 レイトリは確かに、と首を縦に振る。

「容疑者は疑えばいくらでも増やせるが、さしあたりアルター公をその中に含められることになる」

 なにしろ、皇妃を我が家から出したいと望む貴族はいくらでもいるのだ。そんな中で、もっとも手強い権力者を含めるのは、できれば避けて通りたい筋書きだった。難敵に過ぎる。

「さて、そこでだ」

「はい」

「どうしたものか」

 クラウブは両手を挙げた。

「は?」

 間の抜けた単音が、咽喉の奥から本人の自制をかいくぐって飛び出した。きっと隠そうとした腹の底から、まっすぐ出て来たに違いない声だった。

「外苑ロンテスキンに滞在中の令嬢に危害が及ぶなら、それを警護するのは我々の仕事だ。そうなったときに、調査に協力するのももちろん。だが、我々の職分はこの外苑に限られる。それ以外で起きた事柄に首を突っ込むのは、貴族同士の派閥争いや足の引っ張り合いと同じだ」

「それでも、なにか手をお考えなのでしょう?」

「いいや、まだなにも」

 クラウブは打つ手を放棄したかのように腕を組んだ。

「しかしそれでは!」

「惚れたか?」

「そ、そんな浅はかではありません! たしかに、お美しい方、とは思いますが……」

 宴のほんのひと時だが、遠目に見た噂の貴婦人は、想像以上に美しかった。そして、シリス・カナン・フォスバールと並び立つ気高さを感じた。

「彼女は一六歳だそうだ。世が世ならそんなに畏まるほどの年齢じゃないぞ」

「一六なら妹と同い年です。か弱い少女なら尚の事どうにかしてあげるのが大人でしょう!」

 共有していた仕事の熱などすっかり冷めたような目で、上司はレイトリに返す。

「私にも、ロンテスキン準男爵家という家門を守る義務がある。けして正義感だけで動いているわけではない」

「そんなことは知りません!」

 折りよく到着して馬車が停まる。レイトリは飛び降りるように馬車を出た。

「……正義感の占める割合が多い、とは自負しているのだが」

 誰に告げるでもない弁明は、草葉の陰の妖精にしか聞こえないような小さな声だった。

 乗り込むときとは逆に、レイトリの背を追って邸へ向かうクラウブは、その途中、遠い西の空で雲間が光るのを見た。

「雷か……今宵は雷帝がのんびり散策のようだ。あの分だと、明日の昼ごろには雨かな」

 その稲光はレイトリも見た。まさか上司の呟きが当たるなどとは一分も想像していなかった。

 その夜、まだ雷鳴は遠い。


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