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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 2

 半月前。

 廊下の窓から差し込む明るい日差しは、夏の訪れが間近に感じられる。帝国の豊穣の源、穀物を育む夏という観念は、シルヴェンラインの人々にこの季節を心待ちにさせた。

 もっとも彼には、心待ちにする夏より、例年にない職務上のあれこれをどうしようかと思い悩むことで手一杯だった。

 彼は廊下を進む。

 小脇には、やや縦長の制帽を抱えている。一見すると布製の帽子だが、鉢金が裏打ちされ、額には衛士隊の金鍍金(めっき)の徽章が掲げられているから、初めて手にしたときには予想外の重みを感じたものだ。

 熟練の者は、衛士隊の栄光の重みだからいつなんどきも被っておけ、と訓を垂れる。

 まさかその訓に命を助けられる日がこようとは、レイトリもこの時はまだ予想だにしていなかった。

 レイトリは、訓練された規則正しい歩調で、クラウブ・ロンテスキン長官の執務室前にやってきた。またしても、呼び出されてしまったのである。いったいなにを気に入られたのか。

「レイトリ・フェナー、入ります」

 クラウブは机を前に腰掛けて、千名を越える衛士のうちの一人を迎えた。

 用向きを尋ねる部下に、彼は言った。

「友になれ」

「は、どちらにお出でですか」

 思考回路の融通の利かなさに、クラウブは眉間を揉む。

「供ではない、友だ」

「は?」

 理解せねばならない。彼にとっては、準男爵という身ですら、雲の上の存在なのだ。

「任務だ。君には、我が友人として、これからしばらく貴族たちが催す宴という宴に出席してもらう」

 その宣言を合図にしたかのように、隣室の扉が開いた。中年の侍女と侍従が行儀よく現れて、レイトリの腕を左右から持ち上げる。

「レイトリどの、どうぞこちらへ」

 彼らは、くるりとレイトリの向きを変えて歩き出した。それはお連れする、というより連行という類のものに見えた。



 その夜は、ヴェネルセン伯爵の名前で宴が催される日であった。子息の婚約発表という名目で、ゆかりの浅いところにまで招待状は届いており、それはクラウブのもとへ届けられた。もっとも、ロンテスキン家は外苑の管理を皇帝に任された小領主という形式の地位であり、貴族たちが外苑に持つ邸で大々的に催す宴には、儀礼的にたいてい招かれる。いつもであれば、挨拶状を返して済ますことが多いが、しばらくは有効に立場を利用できそうだ。

 集まった多くの客人を、伯は満足げに見回しつつ挨拶をした。そのあとでこの宴の主役が紹介されたが、伯の長い独演に、来客者たちの祝福の笑顔もやや疲れ気味だ。

 着飾った伯爵令息とその花嫁は、初々しく、幸せそうであった。家柄でいえば、名家同士の婚姻であるから、政略的な部分は大いに含まれるだろう。それでも、貴族の婚姻は親の命令で結ばれることが多いのだから、当人同士が幸せであれば、そう悪い結果を招くものでもない。

「伯爵の人となりはよく知らないが、権勢欲の表明か、あるいは強い者への恭順の証というところかな」

 一見幸せそうな主役の男女を見ていてそんな言葉が出るとは、自分も相当あの友人に毒されたものだと、クラウブは笑顔の裏に思った。新郎新婦、両家の背後関係を想像すると、さまざまな繋がりから力関係と派閥が見え隠れすることを、彼は脳裏にめぐらせているのだ。たとえば、伯爵はそこそこに力のある立場にあり、子息の花嫁の家は、より権勢を振るうアルター公に近しい家門だ。それだけで想像は膨らむというものだ。

 そこへ、情けないほど緊張した声が彼に直訴した。

「か、閣下、私は閣下の警護役としてお供すればよかったのではないでしょうか」

「閣下はよせ」

 クラウブは、横に立つ新たな友人の肩をたたく。彼自身が貸した衣装の上着から、上質な手触りが返ってくる。衛士として鍛えられたレイトリの引き締まった体躯は、衣装の仕立ての良さを存分に見栄えさせたが、場の空気にすっかり縮こまった彼を引き立てるには、この衣装は逆効果であった。

「警護役では、宴の広間まで連れて来ることができないだろう。だからいいか、ここではお前は俺の友人だ」

 もう一度、二度、肩をたたく。それでほぐれる緊張ではなかったが。

「よく探せ」

 クラウブがレイトリを呼び出した理由はこうだ。

 レイトリは、マリーシア・レ・ユルフレーン嬢のあとをつけていた、貴族風の身なりをした男を目撃している。外苑ロンテスキンにいる貴族であれば、交友関係から社交の場に姿を見せるはずだ。それ以上に当てはなかったが、どこかの宴で出くわす可能性は十分にあった。そのとき、面を通せるのは唯一顔を知っているレイトリだけなのだ。

「は……しかし、必ずしもこの宴に招待されているとは限らないのでは?」

 緊張しきりで周りが見えていなかったレイトリだが、さしあたり仕事に集中することで場違いであることを忘れようとした。いうなれば、観察者に徹してこの宴の当事者であることから一歩身を引こうと自己欺瞞することにしたわけだ。

 そんなレイトリに上司は答える。

「一度で見つかる幸運など、あてにしてはいないよ」

 とすると、よもや自分は宴のあるたびに、こうして引っ張り出されるのだろうか。とんでもない失敗をしでかす前に、早いところ幸運を掴まなければ。

 部下の心情も知らず、クラウブは手馴れたように給仕の盆から硝子の杯を取って口をつけた。

 レイトリがきょろきょろと視線をめぐらすのは仕方ないとして、せめて麗しいご婦人を物色する若者を装うことにする。

 そういえば、そもそもの発端であるマリーシア・レ・ユルフレーン、彼女は来ていないのだろうか。ヴェネルセン伯爵の、招待状のあて先の選別方法に、自己顕示欲が加味されているのなら、話題の人物であり名家ユルフレーンの令嬢である彼女が外れることはないはずだ。

 そんなクラウブの期待は外れ、マリーシア嬢の姿はなかった。

(…………期待?……そうだな、彼女がいれば問題の男も見つけやすいかもしれない)

 自己分析によって導かれる感情を、彼もまた自己欺瞞で思考のすみに追いやる。それこそ安直な発想だったからだ。







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