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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 広間の緊張の空気は、やや緩んでいた。一時は、ラーナッタ夫人とアルター公の対決に、レプシーヌ男爵夫人の、いわばユルフレーン側につくという大胆な発言があり、アルター公がどのような対応を示すか周囲は息を呑んで見守ったのだったが、彼はその友好を(うらや)み、交わりに加わりたいものだと、ごく当たり障りのない社交の句で返したのだった。それから少しずつ、ユルフレーンとアデルワントの家に関わる人々同士で、交流の空気が漂い始めていた。

「やあ、レイトリさん、見違えましたね」

 今日は珍しく絵の具が付着していない服でめかし込んだ若き画家が、自分のことは棚に上げて声を掛けた。

「ユットー、君も来ていたのか」

 貴族ばかりの宴の場で、背中から掛かった声にレイトリが気安く返事を出来る相手は、おそらく彼だけであろう。だから上司も、その人物には自然と興味が向いた。

「誰だ?」

「はい、あの男の似顔絵を書いてくれた画家です」

 ユットーは誰だかもわからないクラウブに、愛想の良い顔で挨拶した。

「いやあ、せっかく住み込みで雇いあげていただいたのですが、お払い箱のようで、今宵は次に召抱えていただける家を探せるようにと、お情けでこの場に連れて来ていただいた……ようなのです」

「なんだ?」

 ユットーの不明瞭な語尾に、レイトリとクラウブは顔を見合わせた。

「いえ、たぶんお払い箱で、ヴェネルセン伯爵ははっきりおっしゃらないだけです……どうにも私は、なぜか一つの場所に長居出来ませんで。その前もそうでしたし、思い起こすとどのお邸も、どのお邸も」

 本当に思い起こした挙句、長続きした記憶がないことにようやく気づいたユットーは愕然として、頭が真っ白になった。事情が掴めないものの、レイトリが少し気の毒そうな顔をしていると、画家は脳裏に描かれている違う記憶の絵柄を思い出して口を開いた。

「ああ、そうだ、思い出した」

 実に写実的な彼の記憶は、ある人物の顔を思い描いていた。

「なにをだ?」

「レイトリさんの顔を見て思い出したんですよ。ほら、例の似顔絵の男です。先ほどすれ違いましてね」

 その瞬間、レイトリとクラウブは鋭い表情で周囲に目を走らせる。念願の獲物を、ついに狩場に追い詰めたかのような気分だ。と、これはクラウブの感覚。レイトリは貴族の嗜みたる狩猟会など参加したこともない。

「どこで見たんだ、ユットー」

「ああ、すれ違ったと言っても、小一時間ほど前のことで」

 二人のあまりの真剣味に、怒られるのではないかとユットーは恐縮した。

「油断はするな、この場にいるのは間違いない」

「は、閣下」

 その言葉で、緩みかけた緊張をレイトリは保った。指揮する部下の見るべきところを見ているクラウブは、さすがに上司、いや上官であった。

「しかし、名門貴族の縁者となると、両家を合わせて軽く百人は超えていますが」

 左右を見渡したところで、人の波の端までを見渡すのは無理であった。

 クラウブは視線を左右に流しながら思案する。その視線が、見知ったばかりの画家に当たったところで口を開いた。

「似顔絵は、その場に相手がいなくても描けるのだったな」

 その問いにユットーが答える。

「ええそうです…………ああ、なるほど」

 彼の思考は、まっすぐに走ればとても速かった。

「モチーフはもうしっかりと焼きついていますから、絵の具を使ってちゃんとした絵として仕上げられますよ」

「いや急ぐ。似顔絵の程度でけっこう。ただし、絵画一枚の値段をつけさせてもらおう」

「承りました」

 ユットーは綺麗にお辞儀する。そこは貴族相手に慣れた仕草であった。

「な、なんです?」

 取り残されたレイトリばかりが、二人の顔を交互に見やった。



 わずかばかりの後、歓談の声がざわめく広間に、明瞭な声が人々の関心をひきつけた。

「皆さん、よろしければ目とお耳を拝借。私は、ユットー・オプテルモーなる画家でございます。縁あって今宵は皆さんとひと時を共有させていただきました。せめて恩返しに、楽しい時間となるよう画家の手先を活かして余興を一つ――――」

 何気なく、人々の中心に立ったユットーは、手馴れた雰囲気でどうどうと声を上げた。

「いま、庶民の間では、このような似顔絵と申すものが流行っておりまして、画家たる私にすれば基礎も基礎。ですが、余興としては手間も掛からず面白かろうと一筆」

 掴みが肝心とばかりに、用意しておいた似顔絵を高々と掲げる。絵を掲げるのは、助手役のレイトリだ。

「おお、アルター公とラーナッタ公爵夫人ではないか」

 アルター公の存在感のある風貌、ラーナッタ夫人の柔らかな表情がわかり易く描かれていた。

 さらに、ユットーはレイトリを椅子に座らせて描き始めた。お得意のお喋りをする間に、目の前にした青年が描き上がると、場内から笑いを大いに含んだ声と拍手が起こった。

 レイトリの特徴を捉えた顔が、童話の小人族のような小さな体にくっついており、椅子に座っているはずが、椅子に片足を乗せた立ち姿で格好をつけている。

「では、お次はこの場にいらっしゃるどなたかのお顔をそらで描きあげます。あなた様のお顔か、お隣の方、はたまたお知り合いのお顔かも知れません。絵を見てどなたのお顔か当てください」

 画板に新たな紙を乗せて手を動かす。実は時間を短縮するために、半分描きあがっている。どうせなら全部描いておいたらどうかとレイトリが準備のときに口にしたが、ユットーは首を振った。その場で記憶だけを頼りに描くという作業自体は、先に描いておこうがユットー本人には変わりのない事実だが、観衆を引きつけるには実際にその場で描いている臨場感が必要である。そして、この策略は観衆に見てもらわなければ始まらないのだ。

 さらさらと、いとも簡単に描いている様で、容易くは獲得できない描き手の技巧が、紙の上に費やされていく。

 描きあがった紙をレイトリに手渡す。助手が、これまでの作品と同じように高く掲げるのを、人々はわくわくして見守った。そんななか、レイトリはまったく違った種類の緊張で似顔絵を掲げた。

 端のほうで息を呑むクラウブ。同時にレイトリも唾を飲み込んだ。あの顔の持ち主が、この場にいるのだ、どこだ、どこにいる?

 レイトリが似顔絵を掲げた瞬間、一部で明らかな反応があった。

「おお、なんと言ったかな、彼は」

「シプレン子爵だ」

 思案顔の貴族が、指を差して回答を披露する。

「そうだ、間違いない」

「ふむ、言われてみれば確かにシプレン子爵キルク殿だな」

 レイトリは端に控えるクラウブに視線を送った。上司は頷き返す。

 ユットーは進行を続ける。

「シプレン子爵、ぜひ似顔絵を進呈したいので、前においでくださいますか」

 これで、実際にレイトリが顔を見てあの男と同一人物であれば、後で事情を聞くことも容易い。

 再び緊張が高まった。しかし。

 人々は左右を見て互いの顔を確認したが、似顔絵の人物は居合わせていない様子だった。

「残念ですが、席を外されているようですね。こちらの絵は私からお渡ししておきましょう」

 ユットーが余興を締める声を聞きながら、レイトリは今度こそ緊張が緩むのを感じた。もしかしたら捕り物もあるかもしれない、などと気を張っていたからだ。よく考えれば、そんなことはあり得ないのだが。

「よくやった。あとはお前が、シプレン子爵を確認すればいい」

 クラウブはレイトリに囁いて肩を叩いた。その肩に手を置きながら、クラウブが何気なく視線を向けた先で、ヒルデムの視線とぶつかった。アルター公ヒルデムである。

 公は意に介した様子もなく視線を外した。クラウブには、その胸中を推し量るのは不可能であった。


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