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皇帝の剣と姫君  第二部  作者: 夏川まさむ
一、  夜宴の客人
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 ユットー・オプテルモーは、ヴェネルセン伯爵の紹介攻めから、何とか一拍の間をとって会場から離れることが出来た。

 ヴェネルセン伯爵が、自分の画家としての実力を褒め、熱心に知人の紹介するのには、心当たりがある。つまり、お払い箱なのだ。せめて、次の後援者を探してやろうという慈悲、埋め合わせ、あるいは感じる罪悪に見合っただけの贖罪を果たそうというのか。

 ともかく、前に仕えた貴族の家でもそうだった。その前はただただ突き出された紹介状ともに追い出された。

 溜息を洩らす。

 いったい、なにが悪いんだろう?

 とぼとぼと、俯き加減に歩く。と、廊下の角で出会い頭に誰かとぶつかった。

「し、失礼」

 慌てて顔を上げると、ぎろりと鈍い眼光が彼を睨んだ。

 その男は足早に去っていったが、眼光とともにユットーの網膜にはその顔が焼き付けられていた。

 喉元までせり上がろうとした心臓が元の位置に落ち着くと、映像となって残ったその男の顔には見覚えがあった。

 そう、つい先日どこかで。それは、確か、ええと、いつだったか。

 たゆたう色彩に溢れた画家的な記憶を彼は写実的に掴もうと、脳裏に描くのだった。



「ラーナッタ夫人、長らく中央から離れておられたようだが、こうして社交の場に戻られて嬉しい限りだ」

 ゆっくりと、人々の挨拶を受けながら歩くアルター公の行く手に、微笑みをたたえてラーナッタは立ち塞がっていた。

 ヒルデムは、夫人に柔らかな態度でみずから挨拶を述べた。

「こちらこそ、こうして暖かく皆さまが迎えてくださり、感激しております」

 二人の会話が交わされるや、周囲の人々が一歩ずつひいていき、自然と空間が出来る。二つの公爵家の対決といっていい。おいそれと立ち入れるものではなかった。当事者である両家の縁者とて。

「先ほど、アデルワント伯から伯家の知人縁者を紹介されたのだが、よろしければユルフレーンに連なる方々も紹介していただけますかな」

「もちろんですとも」

 ヒルデムを連れ立って夫人は一族の前を歩く。

 ユルフレーン家の所縁の者たちが、公に目礼をし、あるいは杯を掲げた。どの顔も皺がより、髪の白い者達が多い。

 言葉にも顔にも出さぬヒルデムであったが、それをつぶさに見て取ったはずだ。

 頃合いを計ったようにラーナッタは言った。

「隠居された皆様ですわ。なにしろわたくしも、言いたくはありませんが歳をとりましたし、付き合いも古うございます。亡き主人も存命ならとっくに隠居しているような歳ですから」

 カナン・フォスバールの招きに、アデルワント家もユルフレーン家も、縁者をそろえて応じるという体裁が必要だった。

 権力の強いアルター公を前に、いまをときめくユルフレーン家に与するものとしてこの場に出席すれば、敵対勢力であると目を付けられる。ユルフレーン家の当主然として、ラーナッタが周囲に声を掛けても、反感とアルター公に対する恐れで、誰も応じないだろう。

 そこで彼女は、頼もしき友人たちに手紙をしたためた。

 隠居した年寄りたちならば、いま現在それぞれの家の家督にある者達とは無関係であり、当代はユルフレーン家には与しないという言い分がたつ。この場にいるのは、あくまで昔付き合いのあった父祖が勝手に出席したのだと言い張れるのだ。

 実際、もし事が起こったとき、言い分どおりに協力を断られるかもしれない。それはそういうものだから、恨みはしない。むしろ今を乗り切るために、わずかでも危険性を承知で応じてくれた友人たちに、ラーナッタは深く感謝した。

「あらジュリオ、よく来てくれたわね」

「ははは、麗しき公爵夫人のお誘いを誰が断ろうかね」

 ラーナッタは懐かしい顔に声を掛けた。禿げ上がった赤ら顔の痩身には、もはや面影もないが、昔は地方きっての美男子で名を馳せた、というのが本人の言。衣装は手が入れてあるが少しくたびれている。

「やあラーナッタ、私も来ているぞ。出掛ける間際に、腰抜けの息子のケツを蹴り上げてやったわ」

 すっかり恰幅のよくなった同い年の馴染み顔は、子供の頃は弟コルトスの兄貴分だった男爵だ。

「まあ、お尻をお大事に」

 楽しげに夫人は応じる。隣に恐るべき巨人を従えているとは思えない気負いの無さで。

 恐れを知らぬ老人たちは、最年少でようやく四十半ば。彼らは我先にとアルター公への挨拶の言葉を口にした。

「公よ、お初に御目に掛かる。中央を取り仕切る当代の大人物にお会いできて光栄だわい」

「まこと、かつてのユルフレーン公に並ぶとも劣らんぞ」

 一触即発にも思える二つの血族であったが、まるで街で人気の演者を取り囲むように、彼らは握手を求めた。

 アルター公は動じることも無く、彼らに応じつつその顔をつぶさに見て取る。彼らは真実、著名な人物を目の当たりにして好意的に接してきている。ただこの場においては、という区切りがつくが。それを分からぬヒルデムでもなかった。

 まったく食えぬ老人たちだ。アルター公はさらに観察を続けて、ラーナッタ夫人に言葉を返した。

「それにしては、幾人か姿が見えぬようだが」

「あら、我が家の親類縁者に随分お詳しいですわね」

 皮肉たっぷりの言の葉を慎むように、ラーナッタは扇で口を隠す。が、言葉遊びもほどほどに、夫人はぴしゃりと扇を畳んだ。

 ここから先は遊びではすまない。己の発する言葉がこの場に居合わせる者達の立ち位置を決める。筋の通らない話をすれば、そこを攻撃されるだろう。

「じつは、我がユルフレーン公国のラプラレア湖の女神にまつわる三年に一度の祭事が一週間後に控えておりまして、本来は孫娘を連れて領地に帰るつもりでしたの」

 これは事実ラーナッタ夫人が算段していたことであった。領地に引っ込めば、ちょっかいもなくなるだろうし安全でもある。ただ、領地に帰るまでの長旅は警護の面でも不安があるので、踏み切れないでいた。

「ですが、カナン・フォスバール様のお取り成しであるこの宴に、当主の座を預かる私が欠席するわけには参りません。ラプラレアの大祭ではありますが、縁の薄いとはいえ我が家門の血に連なる地元貴族の方々にお任せして参上した次第でございますわ」

 ラプラレアの大祭は、儀式ばった面倒くささもあるが、庶民の楽しみでもあり、ユルフレーン公国中が賑わうものだ。切盛りする役回りには、役得もある。

 危険な薫りの漂うこの宴に出席するか、地元の面倒を引き受けるか、どちら?

 言外にそのような天秤を示せば、彼らは故郷のために労を惜しまないことを約束してくれた。

「そうでしたか」

 アルター公は、些末事のようにわずか一言でそれを聞き流す。

 そうすることで、筋道だてたラーナッタ夫人の言葉が、まるで苦しい言い訳のようにも取れる。

 周囲の人々の印象を、巧みに制御しなければならない。

「ところで、その肝心の主賓がいらっしゃらぬようだが」

 そしてヒルデムは、ふとたった今思い出したかのように、そう口にした。

「主賓?」

「さきほど、あなたの口から出た御令嬢のことです」

 ラーナッタは、眉根を寄せるのを長年の経験で踏みとどまった。

(皺は増やしたくないものだわね)

 マリーシアは、まだ宴の場に姿を見せていなかった。貴婦人の仕度には時間が掛かるものだ。付け加えるなら、マリーシアには心の準備も。

 ヒルデムは弁を続ける。

「まったく、名のあるユルフレーン家の忘れ形見が見つかったというのは、社交界においても明るい報せであった」

 取り巻く人々に、杯と視線を向けてヒルデムは語った。

「しかし、いったいいずこにおわしたのか」

 視線を投げかけられた人々は、その疑問に同調するように頷いた。

 ラーナッタは、ここが奮起のし所とばかり、おなかに力が入った。とはいえ、端から見れば力みもない。

「それは、いささか複雑な事情で口外できませんの」

 夫人は、きっぱりと言い切った。それが譲れぬ一線だと。

 マリーシア・レ・ユルフレーンが見つかったのは、帝都の街中であったと事実を語ってしまえば、その近在にヴィスタークという少年がいたこともいずれ知れる。そして、先々帝がいまなおその周囲で民に紛れて生活しているだろう事に、人々は気づくはずだ。

「ですが、皆様に事情をいくらかご説明しなければとは思っております」

 好奇心を満たす程度に『事実』を話題として提供しておけば、興味本位で知りたがる人々の詮索は大人しくなるものだ。それでもなお隠された真実を追究しようとするものがあれば、その者の意図には悪意が含まれていると考えてしかるべきだ。敵対者の選別になる。

 ラーナッタは、ヴィスタークや弟のコルトスらと打ち合わせた筋書きを披露した。

「実は、孫娘が育ったのは奇しくも陛下がご幼少を過ごされた町だったのです。たまたまユルフレーンの血筋であることを発見された陛下によって、このたびの幸福はもたらされたのでございます」

 おお、とどよめきが上がる。

「さすがは陛下」

「まこと、天の祝福を頭上に冠したるお方だ」

 皇帝の血筋を讃える言葉がそこかしこで聞こえた。

 これには、両方の家門も関係なかった。

 ヒルデムは反新帝の立場ではあるが、公にしているわけではない。まして、彼に連なるもの全てが新皇帝ヴィスタークを憎々しく思っているわけではなかった。もちろん、好意的な人々が全てでもなかったが。

「が、先ごろ、お忍びでヴィスターク陛下が我が孫娘をご訪問くださったとき、恐れ多くも賊が襲い掛かったのです」

 おもに女性たちの間で、悲鳴のような声が上がる。それを安心させるように、ラーナッタは素早く言葉を継いだ。

「幸いにしてその時は事なきを得ました」

 だが、その暗殺の首謀者は、様々な情報を持ち得たはずだ。

 マリーシアという少女が育った場所が帝都であること。

 そこが、皇帝の剣カーテーギュウとマリーシアという兄妹の住む家であったこと。

 兄妹の周辺の縁を辿れば、ヴィスタークが少年時代をその周辺で過ごしたであろうこと、そこには先々帝がいまだ隠居生活をしているであろうことも。

「この場にいらっしゃるのは信頼の置ける方ばかり。しかし、噂が広まってしまうとどこから不埒な考えをおこす人間の耳に入るか私には想像もつきません。ですから、民に混じってお暮らしになる先々帝の御為にも、これ以上は詮索なさらないでくださいませ」

 これは牽制である。

 この時点で、マリーシアの住んでいた場所や、彼女が皇帝の剣の妹であるなどという事実を口にする者がいたとするば、それはあまりにも情報を得るのが速すぎる。

 マリーシアの家に訪問した皇帝に、暗殺者を放った人間でなければ、こうも早くは知り得まい。

 どんなに調べを尽くしたのだと釈明しても、人々は暗殺の首謀者ではないかと疑念を持ち、それを拭い去ることは不可能だろう。

 また、マリーシアの素性を無闇に詮索しようとするなら、あらぬ大逆の疑いを掛けられるぞ、という単純な脅しによる予防線の意味合いもある。

 マリーシアの出生について話題にしづらくする心理を、人々の意識の裏に滑り込ませることにラーナッタは成功したのだった。

 アルター公は澄ました顔で杯に口をつけた。舌の上で転がる液体が、ぴりぴりと脳髄を刺激して、いやがらせめいた策謀を言の葉に変換していた。

「いたいけな少女一人に、アルター公はずいぶん熱心ですこと」

 思わぬ声が彼の思考を妨げた。

「私にも人並みの好奇心があるのでね、レプシーヌ男爵夫人。まさか君もユルフレーン家に血縁があるとは思わなかった」

 些かの驚きを彼は隠さず振り返り、当代一と謳われる貴婦人を迎えた。

 人々の列が、舞台の(リート)のように開き、彼女は進み出でる。

「いいえ、私とユルフレーン家には血縁はございません。ですが、先日からマリーシアとは仲良くさせてもらっていますので、ラーナッタ夫人に無理を言って呼んでいただいたのです」

 レプシーヌは、夫人に目礼してアルター公ヒルデムに対峙した。

「そしてこれからも、ユルフレーン家とは深い(よし)みでお付き合いしていく予感がいたしますわ」

 ざわ、と場の空気に波が立った。ユルフレーン家の呼んだ多くの家が、アデルワント家の背後にいるアルター公への敵対心を曖昧にする中、レプシーヌ男爵夫人ただ一人が、その旗の拠り所をはっきりと表明したのだ。


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