京の戯作者谷から落ちて仙人の国に往くこと
今は昔、京に一人の戯作者あり。その戯作者常に何か面白きことなきかなと思いてありなむ。ある夜、人の家にて酒を多く飲みて帰るに過ちて谷より落ちたり。戯作者気を醒まして「あや何たることにかあらむ。げに怪我なきこそ有難し。」とて歩き往きける。ふと気づくに何やら妖しげな音聞こえけり。その音耳もとにて羽虫の飛びたる音が大きなりたる如し音なり。さらに歩き往くに何やら光るもの見えたるがまこと不気味な光なるべし。戯作者「これは夢なるかな。」と思いて頬を抓りてみるも醒めることなく。だんだん恐れ心地しにけるや。「これ何やら物語の種ならむや。」と思いてさらに歩き往きたる。すると、俄に足元固くなりし。触りて確かむると何やら石のやふなるが平らかに途切れることなく続き侍る。見るとやにわに辺り広くなりてける。恐れ乍ら見るに何やら大きなる箱に車の付きたるが彼の妖しき音鳴らしつつ目にも止まらぬ早さにて動き往きたるに会わむ。よくよく見るに天には縄のやふなるもの往き交いてける。遠くには見慣れたる月の照らすが見ゆるも何やら朧気にて星は暗く見えたり。傍には石のやふなる足元より鉄金のやふなる細き棒の付き出でてその先には不気味なる光あり。その光瞬くこともなく揺れることもなくただ星の近くにあるが如く輝きたり。近くには変わらず箱のやふなるもの走りたるがやふやふ見るに箱の中に人のやふなるものありし。その形定かならずこちらを見る者もあり。戯作者大いに恐れ生きた心地なくして、元来た道を急ぎ引っ返すなり。恐るる余りやがて再び谷より過ちて落ちにけり。気を醒ますと此度は見慣れたる里の景色にして天には月も星も鮮やかに輝きけり。辺りには彼の妖しき音も聞こえずただ聞こゆるは風の音のみにして不気味なる光も恐ろしき箱もなし。戯作者大いに安堵しけるに後ろを振り返ることもなく一目散に家に帰るなり。日が明けてなむ戯作者昨日の夜に我が身に起こりしものを人に語りしなり。戯作者曰く。「あれらは仙人にして吾は谷より落ちしにより仙人の国に迷い往きたるものなり。」と。人これを聞きてある者は信じある者は戯作者の作り事なるらむと申し侍るとなむ。




