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どらんくんモンチーズ!  作者: 猫渕珠子
第一幕. とぅえるゔモンチーズ!
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Chapter06: 洪水警戒アラート

 僕は両(ひざ)をつき、荒れ狂った呼吸を整える。華奢きゃしゃな女性の体躯たいくとはいえ、中高一貫(いっかん)して帰宅部のやわな腕には加重積載だった。


 公園からせいぜい数十メートル離れた地点でギブアップ。それでも運良く人目につくことは回避できたようである。サイレンの音も、僕らのいる路地へ近づいてくる気配はなかった。まんがいち見つかりでもしていたら、アパートを目前に帰宅困難者と化してしまっていただろう。


「せっかく、お姫様を抱っこする王子様の気分を味わわせてあげているんだから、もうすこし頑張りなって。アパートはすぐそこなんでしょう?」


 敷島しきしまさんが軽口をたたく。となりに膝を抱えてしゃがみ、さるみたいに赤く紅潮こうちょうした顔で、だらしがないなぁ、というふうな薄い笑みをつくっている。相手の気持がわからない人を絵に描いたような、まれにみる人格者だ。


 疲労困憊ひろうこんぱいの僕は、しばし彼女を無視した。空気を吸ったり吐いたりくりかえしながら、身の振り方を思案する。その結果、今夜中に帰宅させる方法を模索するのはキッパリとあきらめ、僕のアパートに泊めるしかないだろうと結論づけた。


 警察のお世話になるような奇行きこうに走られるよりは、一刻も早く連れ帰って、寝かせてしまおう……。


 アパートは間近。

 そうするのが吉。

 敷島さんには現在、彼氏がいらっしゃらないようである。

 勘違いのすえの修羅場は避けられるだろう。

 そう願いたい。


「移動しますよ、敷島さん。立ってください」


「はいっ!」


 と、威勢いせいよく応えたはいいが、彼女は立たず、なぜか両手を僕に差し出す。


「……なんですか、その手は?」


っこ」


 ブチ切れそうになる精神を僕はなんとかたもつ。


「抱っこは無しです。筋力が限界点突破してるんですって。歩いてくださいよ」


「イヤだぁ~。もう歩けない、さっき走ったから」


「走ったのは僕ですからね!」


 例えるなら、生意気なクソガキの様相ようそうである。

 いくら説得しても「イヤだぁ~」の一点張いってんばり。

 お尻をぺたんと地面につけてしまい、駄々(だだ)をこねて立ち上がろうともしない。

 小石を放っていじけて見せる。

 延々(えんえん)こんなことしていれば、日が昇ってしまう。


 僕は息を深く吐き出し、彼女に背中を向けてかがんだ。


「乗ってください。おんぶなら、なんとかなりそうですんで」


「はは~ん。私のおっぱいを背中でさわろうという目論見もくろみかなぁ?」


 ……うわぁ、ここにきてそういうこと言っちゃうか。


「ち、違いますよ! 嫌ならべつに歩いてもらっても――」


 バフッ!


 と、突然、背中に重みがのしかかった。


 前置きなしでいきなり飛びついてきたのだ。


 僕は前方につんのめりそうになった体勢を、足を踏ん張って起き上がらせた。しかし背筋がのびると、今度はしがみついている彼女の重みで、後方へ引き倒されそうになる。とっさに腕をうしろにまわして、彼女のお尻を持ち上げ、どうにか不安定な位置を正す。


「ああ~、お尻さわられたぁ~。エッチぃ」


「今のは仕方ないじゃないですか! 危なく大転倒で病院送りですよ!?」


弁解べんかいはいいって、べつに気にしないから」


「弁解じゃなくて、おこってるんです!」


 心臓はバクバクだ。


 パトカーの難が去ってまもなく救急車の危機である。


 ほんと頼むから問題行動はやめてくれ、安静にしていてくれ、いっそ永眠ってしまえ。


 思いが通じたのか、おんぶで歩きはじめると、敷島さんは静かになった。ようやく眠気が到来したらしい。僕の右肩に乗せられた頭は、下を向いたまま、歩くリズムに合わせて短めの金髪を揺らしている。呼吸もだんだんゆっくり規則的になってきた。


 このまま寝落ちするかと思われたが、耳元で「ねえ」とつぶやく声が聞こえる。


「ご感想は?」


「感想?」


「私におっぱいを押しつけられている感想。ふふっ」


 ……いいからもう寝ろよ。


 幼児ようじ退行たいこうの次は卑猥化ひわいかの泥酔症状か?


 僕はかまわず進みつづける。が、背中に受ける感覚を意識してしまう。前傾姿勢なので、彼女の体正面は自然と密着していた。いやおうでも、やわらかな感触が伝わってくる。そのうえ薄着のため、ブラジャーの形がくっきりなのだ。ここからここまでが胸ですよ、と強調されているのと変わらない。くそっ。おっぱい、おっぱい、言うからだ!


 うずき出す煩悩ぼんのうはらうように歩調を速める。


 と、また耳元で「あのさぁ」というつぶやき。


「あと何分で着く?」


「三分もあれば着きますよ」


「もっと急いで」


「じゅうぶん急いでますから」


「間に合わなくなってもいいの?」


「間に合わないって何がです?」


「おしっこ」


 僕は身動きを止めた。


 冷たい汗がほほを流れ落ちる。


「……嘘ですよね?」


「ずっと我慢してたんですぅ」


「どうして公園のトイレで済ませなかったんですか!?」


「だってすぐ着くって」


 彼女がモゾモゾしはじめる。それで僕は、気がついた。胸の感触に捕らわれて失念したけれど、背骨の下のほうにゴツゴツと硬いものが当たっているのだ。なにかと思えば、スマホである。


 そうなのだ。敷島さんの股間には、僕のスマホがあるのだ。


 彼女が〝決壊けっかい〟しでもしでかしたら、命の次に大切なスマホが、未曾有みぞうの水害に見舞われてしまう。


 この場からは、まだ公園に戻ったほうが近いが、チカン騒動でどういう状況になっているの判然としない。目指すならアパートだ。でも、苦肉の策ならもうひとつ。


「ここで済ませる……っていうのはどうです? 誰も見てないし、僕も向こうむいてるので、そこの電柱のかげあたりで――」


「ぜったいにイヤ」


「……ですよねぇ」


 ピコンッ。


「あふっ」


 唐突とうとつな電子音と、もだえる彼女の声。


 そして、僕の背骨には「ブブー」という振動。


 最悪なタイミングでの通知着信だった。またも連投である。


 ピコンッ、ピコンッ、ピコンッ。


「ふはっ、ぬふふっ……あ~んダメ、急いで。イっちゃいそう」


「なにがなんでも辛抱してください!」


 僕のスマホがってしまう!

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