二天プラ流
古式捕虫術「二天プラ流」のムシシと、対決することになったウメコ。だが、全然調子が振るわないウメコ。なかばあきらめて、ムシシの捕虫術を見に近寄っていった。
ムシシはいままさに、頭上に渦巻くクラック値90vの虫を引き寄せ、捕虫する寸前だった。
――フン、たわいのない勝負じゃ。あんな小娘にムキになることもなかったわい。しかしあの捕虫労の小娘の顔を見ると、やたらとワシの癇の虫が騒ぎ出すのだ。小癪なやつ。
さっきレーダー上に映った小娘は、ただあてもなくさ迷っているようだった。あんな動きで虫がとれるというのなら、相当な虫運に恵まれたのだろうが、なんのことはない、ただ闇雲にほっつき歩いているだけ。まるで虫運とは無縁のようだ。やはりまだまだワシの相手ではないか。虫の連鎖大破裂。あんな痛快な騒動を引き起こした張本人だというから、少し期待していた。
あの事件は辺境の世捨て人、ムシシの耳にも入っていた。――所詮、捕虫圏の飼いならされた虫相手の虫捕りか――ムシシは、若い捕虫労の娘に柄にもない期待をかけた己を自嘲して、ムシシと笑った。
奴め、こちらに向かって来るらしい。この虫を目がけてか。ワシはまだ網を抜かぬ。頭上の虫は飛ぶにまかせている。なぜ抜かぬ。こうして笛を回したまま、まるで奴を待っているかのようじゃ。やつの網さばきでも見るつもりか。虫を上に、いまさら網ふりでの対決を望むか。或いはこのムシシの、二天プラ流を拝ませてやるか。それもまた一興。
ムシシは二つの虫笛を両手でそれぞれ操っている。テンプラ笛と名付けた、笛の中にさらに小さな笛を仕込んだ、二重構造の虫笛である。
『片手を横に伸ばし、中段、地に立ての向き、すなわち車回しにて、後転、テンポはアレグロ。一方の手は上段、水平、すなわち傘回しにて、時計まわり、テンポはモデラート。――二天プラ流、虫呼びの構え「かき揚げの奏」』
ムシシの術はもともと、二網流であった。二網流とは文字通り、網を二本使う捕虫法である。これはまだ捕虫術が、虫呼びより、おもに網振りの技を誇っていた、クラック値100vの純正なクラック虫が、探せば難なく居たころの話である。このころはまだ「テンプラ流」と称していた。
虫がいなくなると、網振りの技の熟達や追及など、たいして意味をなさなくなった。虫探しの能力、虫呼びの能力が問われる時代の到来である。このとき多くの腕におぼえのある捕虫者たちが、虫の変化に対応できず消えていった。ムシシはその変化を乗りきる。そうして網振りが中心だった時代よりも、むしろその存在感は異彩を放ち始めた。
バージョンアップしたテンプラ笛による虫呼びが、当時の捕虫圏内で大ヒットする。週間高クラックチャートはナンバー1、それが10週連続を記録し、年間最大捕虫量を叩き出した。質、量ともに他の追随を許さないミリオンキャッチャーとなった。捕虫圏内での評価も急上昇した。
しかしムシシは面白くない。こんなものはくだらぬ、虫捕りは虫の数ではないと言ってはばからなかった。そうしてムシシの成果に便乗しあやかろうと、ウジャウジャと群がってくる連中にも嫌気がさして、おまえらに比べたら雑甲虫の破裂臭の方がまだマシだ!と言いのけた。すると上がった評価は一気に下げられた。
ムシシは何も変わらない。偏屈も癇癪も悪辣ぶりも昔からである。変わったのは周りだ。向こうが好きで寄ってきて、こっちの癇癪にふれたら火傷したといって、こっちを詰る。そっちで勝手に評価を上げておいて、偏屈だからといって、今度は評価を元より下げる。バカらしい、知ったことか。こっちを無礼というなら、そっちはどうなのだ。おべんちゃらや追従が礼儀なものか。おまえらの要求は礼ではなく見返りだろう。くだらぬ。すぐに周囲には誰もいなくなった。ありがたい。邪魔な虫を追い払う手間が省けたようなもの。連合からは孤立したが、かえってよかった。せいせいした。これで心置きなく、術の追及に心血を注げるだろう。ムシシの大事は、連合よりも虫捕りである。
虫を追い、術を追えば、自然と足は圏外に向かった。求める虫は見つかる。しかし求める虫はこれなのかという迷いが生じる。いまだ虫の一面しか見えていないと悟る。自分の求める術の理想とはなにか。
網の中の虫は一匹、網の目に映るは、様々異なる虫。
虫そのものではなく、絶え間ない虫の変化、その事象を捉えること、それこそが流派の、ムシシの目指すところとなる。
捕虫を考えた虫呼びから脱却すること。デジタルでない、クラック値の間を読むこと。虫呼びは虫にヒットさせるのではない。虫の勘所を狙うのでなく、間を縫うように鳴らすこと。そのために笛を二つ用いて、変幻自在の音色を発した。両手それぞれで笛をあやつることで、網を握る意識を捨てた。捕虫術の流派である以上、網は持っているが、虫呼びの術としては、もはや網などいらぬ。無網の精神でよい。捕虫圏外の我が身こそ生々流転の虫。ムシシは開眼した。
――網振らずして、虫を得ること、これ二天プラ流の神髄なり。流派の網は振るとは言わず、降るという。網降りとは、無心の手により、天の意思が降すなり。
ついに虫の刻一刻の変化を捉えることができた。ここをもって、己の術の型の完成とした。ムシシは流派をそれまで称していた「テンプラ流」から「二天プラ流」と改めた。
いまウメコはムシシのいる地点の近距離まで来ていた。虫群レーダーによるムシシを示す点滅の上では、低クラックの雑甲虫を表す黄色の中に、重ねて縁どられた、高クラック値を示す、赤い蠢きが叢雲のように沸き起こっているところだった。――ムシシの頭上に虫が結集している!
トラメットバイザーの荒い合成景色の中、ウメコはムシシを見た。ムシシはいまだ網を取らず、両腕を使って虫笛を鳴らしている。その真上に群がる虫、トラメット内臓の簡易的なクラック値メーターを見るまでもなく、虫勘でわかる。その高いクラック値が。平均90v。
ムシシはまだ網を抜かない。捕る気配を感じない。
ウメコは反射的に網を抜いた。横取りするという了見などは、微塵もなかったけれど、この虫群の渦があまりに大きく広がって、こっちにまで打ち寄せてくる勢いだから。誰が呼ぼうが、虫は虫だ。そしてこのなかに、90vを超える虫が数百匹はいるだろう。とくれば先手必勝、虫捕りならば是非に及ばず網を抜く!
――さっき私を虫捕りじゃなくて、ただの網振りといったな。上等だよ。下手な網振りでも、振ったもん勝ち!
そのとき、ウメコはトラメットの視界のバイザーに映された展開に、アンダーネット下に生まれ、連合労民捕虫労となるべく育ち、前線捕虫要員となってから今日現在にいたるまでで、もっとも驚愕的な光景を目の当たりにする。
目前の虫群のクラック値が急激に上昇しはじめた。
――そんなバカな!――虫の成長とは別に、個体のクラック値が変動する事例は、知っている。けど、こんな急な、数秒の間に目に映るほどの変動なんて、ありえるのだろうか!?トラメットのレーダーの故障を疑う。さっき<牛若丸>で結構な衝撃を受けたからではないか。そうでなければ、ムシシは正真正銘のペテン師じゃないのか。
ムシシは宙で回していた虫笛の紐を絡めとった腕で、背中の網の柄を握り、抜くと同時に飛び上がり、一閃、振り降ろして着地した。
上昇する虫のクラック値、そしていまムシシの抜き身の網振りと、その捕虫術を目の当たりにしたウメコは不覚にも立ち竦んでしまった。さらにウメコを驚愕させたのは、ムシシが捕らえた虫である。95v。数値ではない。この虫群と虫霧の中、振り下ろした網の中にいるのは、たったの1匹だった。
耐虫メットの視界の中でウメコのおぼろげな描像が姿をあらわした。すぐ間近で見ていた対戦相手に、古式の試合に則り「捕ったり!」と勝ち名乗りあげ、嫌味たらしく、その虫のデータを送信するのも一興だったが、年老いたムシシにさすがにそこまでの性悪さはなくなった。「フン、残念じゃったのう」
「クラック値が急激に上がった。なんで!?」
「そうか?気のせいだろう」
「そんなことない!はっきりメーターに出た!」
「だったらなんだ。勝ちを疑っておるのか」
「あんなのありえないでしょ!トリックだよ!」
「ちょいと怒らせてやったからかな、圏内と違ってここいらの虫は短気だからのう」
「怒らせるって、だったら破裂するでしょうよ!」
「おぬしにみたいにか。ムシシシシ」
いまだ呆然とするウメコは、からかいにも気づかない。すべて煙に巻かれているとしか思えない。――信じられない。ありえない。こんなの聞いたことない。
「構わんよ。受け入れろというのが、無理じゃろ。しかしこれが我が捕虫術」網をウメコの鼻さき、バイザーの前に突き付けた。「ワシの耐虫メットより、よっぽど正確な測定機能がついてるんじゃろ。どうじゃ」
ウメコのトラメットのバイザーは、虫のクラック値を、さっき見たまま<95v>と表示している。
「確かに。負けました。完敗です。先生の相手じゃないみたいです」クラック値だけではない。あの網振りひとつとっても、とても太刀打ちできる相手ではなかった。古式捕虫術に関してはまるで素人同然のこんな小娘の挑戦を受けて立ってくれただけでも、本当なら礼を言わねばならぬところだ。ウメコは全く打ちのめされた。
「フム」ムシシはウメコの打って変わった殊勝な態度に、少し拍子抜けした。「あんたのような若い虫捕りに我が流派の神髄を多少なりと見せられたのはよかった」
「先生!」ウメコは自分自身でも抑えられないなにか、きっと生まれながらの虫捕りの本性!に突如、突き動かされ一歩前に出ると、ムシシの前で頭を下げた。「私を弟子にしてください!先生の術を教えてください!」
「ことわる!」




