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短編集

幽霊は誰?(加筆版)

作者: かげる

 幽霊屋敷に入りこんだのは、興味本意だった。名無零太は廃墟を散策するのが趣味で、昔からよく、無人のさびれた和風建築があれば、ふらっと侵入したりしている。

「……」

 幽霊が出ると学生の間で話題になっていたが、その情報を全く信用していなかった。自分の目で見えないものは信じないところが、彼にはあったからだ。屋内に入ると、障子が、ところどころ破けているのを発見した。家具などがひっくり返っていたりするのを見て、噂通りここが誰も住んでいない無法の敷地内だと確信することができた。

 外から蝉の鳴き声がする。夏の到来を、聴覚で感じながら、敷居を挟んだ向こう側に足を踏み入れた。穴の明いた木床。ほこりがかぶった、書物。時を刻んでいない時計。どこもかしこも、さびれている。そこで、あるものを手にとる。

「おっと、これは……」

 家族写真のようだった。左から父、娘、息子、母の順で並んでいる。みんな楽しそうな表情を浮かべていた。きっと幸せな家庭だったんだろう、と思った彼の心境は誰にもわからない。名無零太は、本当の家族というものがわからない。物心つく頃から里親に預けられ、血縁のあるないで文字どおり、差別をうけた。

「泣けてくるっつーの。はは」

 泣いても、笑ってもいなかった。いままで本心で笑ったことは、記憶にない。笑ったとしても、それは異形なものになっていたはずだ、と彼は思う。

 裏口の引き戸があった。ノブを引っ張ると、耳に優しくない木の擦れる音がした。パタンと全開して、少し埃が舞った。目の前には、小屋があった。中を覗いてみると、石でできた、五右衛門風呂のようなものがある。昔は風呂が別個だったんだなと彼は興味深く思った。そもそも廃墟全般が、興味の対象ではあった。この疎外された場所にいるだけで、不思議と心地よい感覚になる。

「はは。幽霊なんかいないじゃん。夜じゃないから出てこないとか? 笑えるわ」

 彼が言い終えた刹那、

「ぅわ!」

 背後を、黒猫が走り抜けていった。驚きを隠せずに、声をあげてしまった。

「あ、はは」

 照れを隠すように、笑う。その様子を誰も見ていなかった。ただ、影を潜めて聞いている人間は、いた。彼女の名前は山田零亡。この屋敷の住人だ。侵入者にゆっくりと近づいた。それから虚空を見つめるような、定まらない視線で質問する。

「あのう。あなた、幽霊ですか?」


 客間のソファーに向かい合う形で座っている。

「どうしたらあなたが幽霊だってことを証明できるのですか?」

「幽霊の証明? そんなの決まってんだろ。ようは、物体に触れられなかったら幽霊だろ?」

「……本当にそうでしょうか?」

「なにが言いたいんだよ」

「いえ。私は幽霊の存在証明の仕方を考えているのです。だから質問しているのです。たとえば『目に見えないけれど、音が聞こえる幽霊』ってのはいるのでしょうか?」

「はは。お前、なに言ってんだよ。そんなことを言ってしまったら、幽霊なんてなんでもありじゃないか。たとえば『地に足のついている幽霊』とかさ」

「そう。まるであなたのように」

「笑えねーな」

 笑った。

「私は、あなたの姿が見えない。だけど、あなたの声や足音は聞こえるのです。これってどういうことかわかりますか?」

「わかんねーよ」

「成仏してください。いますぐに」

「……酷いことをいうな、お前。じゃあさ、お前はどうなんだよ。お前は、幽霊じゃないのか?」

「私は、幽霊ではありません」

「どうして?」

「私には、家族がいるからです。もう少しで、帰ってきますよ。そしたら、あなたが幽霊だってことを証言してもらうつもりです」

「多数決かよ」

「そうやって正しさや真実を決めるのです」

「事実はだれが判断するんだよ」

「……知的で客観的な神様みたいな存在でしょうか」

「……」

「名前を、教えてください」

「零太」

「うそ!? 亡霊になったの?」

 彼は幽霊かもしれなかった。この家には、父、母、娘、そして息子が二人いた。彼は亡霊として、廃墟をさまよっているうちに、物心つく前の幼き頃の、我が家に行き着いていた、のかもしれない。

「そういうことか。さっきの家族写真の撮影者は……」

「たぶん、あなたですよ」

「……なんで俺だけハブられてんだよ。俺も写せよ」

「かわいそうに」

「もしくは、俺が生まれる前の写真だったのかもな」

「そうですね。では、さっそく、生まれる前に戻りましょうか」

 零亡はにっこりとほほ笑みながら、数珠と、お札を持ってきた。

「なんで、そうなるの」

 零亡は念仏を、唱え始めた。さすがの彼も恐ろしくなってきた。もしかしたら、自分が本当に幽霊なのではないかと、心配になった。

 結果、それは杞憂に終わった。

 結局、彼は成仏しなかった。

「うそ。もしかして、一定の条件を満たさないと、成仏しないとか……」

「そんなわけあるか!」

「いえ。そんなわけがあるかどうかは、やってみないとわかりませんよ。たとえば、そうですね……。地縛霊みたいに、あなたはこの家に対してなにかやり残したことがあるのではないでしょうか?」

「いやいやいやいや。俺は、別に、この家に対して、思い入れとかないし。そもそも俺、幽霊とかじゃねーから。それこそ、お前の方が幽霊の確率高いだろ。こんな人の生活できないボロ屋敷に住んでさ」

「そんなことありません! あなたの方が、幽霊みたいな貧相な顔していますし! 幽霊みたいに透明ですし! 幽霊みたいにブサイクですし!」

 そこで、零太は、不思議そうに、笑った。

「おい。なんで、俺がブサイクだってわかった? 俺は透明のはずだろ?」

「失言でした!」

 そう言って、彼女は、ソファーから立ち上がり、気まずそうに、いつでも逃げられる態勢をとった。

「逃すかよ」

 彼は、とっさに手首を掴んだ。

 くいっと引き寄せ、両腕の輪っかで抱きしめた。

「離してください。私は、人間として、生きていたいんです。幽霊としてなんて、認知されたくない!」

「ああ。わかってる。だから、逃げんなよ。俺は、別に、幽霊だとか、人間だとかどっちでもいいんだ。ただ、逃げるのは駄目だ。逃げる奴は嫌いなんだよ」

 頑なに手を離さなかった。触ることのできる幽霊がいるかどうかは定かではないが、彼にとっては、そんなことはどうでもよかった。自分を見捨てた肉親のことや、差別をして人格を貶める、正義から『逃げた』人間が許せなかったのだ。幽霊の正しさから、逃げるのは許せない。

「もう少ししたら、お父さんが帰ってきます。そしたら、あなたは、ただでは済まないですよ」

 たしかに、娘が暴力的な行為をされている光景を見て、ただで済ます父親も、なかなかいないだろう。しかも、彼は不法侵入で訴えられる弱い立場にある。

「はは。問題ない。俺は、普通じゃねーからな。父親? 知らねーよ。正しさから逃げた奴らだろ」

「正しさってなんですか。あなたが言っているそれって、おのおのの都合のことじゃないですか。都合がいいことを正しさに勝手に解釈しないでください!」

 二人の会話は続いた。それから、しばらく経って、父親が帰ってきた。

「ふう。ただいまー。ん、なにしてるんだ? 腕でも悪いのか?」

 肘を曲げて不恰好に捕まえられている場面だ。しかし、父親は、そのことに気づけなかった。

「もしかして、お父さん、見えないの?」

 こうして、幽霊は事実として、証明されたかもしれなかった。もしかしたら、真実かもしれないが。誰かが、嘘をついているかもしれないが。


 家族会議が始まる。

 客室には、母、父、娘、息子、息子が集まった。いまから、多数決をとるため、山田零亡は手首を掴まれたまま、指揮をする。

「ただいまから、幽霊は誰かを決めたいと思います。なぜか、私は、手首を幽霊に掴まれているのですが、彼が言うには、幽霊の正しさを証明しなければ手を離さないと頑固なんで、頑ななんで、ブサイクなんで、さっさとこの悪霊を成敗しちゃいたいと思います」

「前言撤回すんな! お前、さっき、自分のこと、幽霊って認めただろうが!」

「さっきっていつのことですかね。そんな昔のこと、よく覚えていません」

「正気か」

「冗談かもです」

 二人の間では、会話が成立していた。しかし、他の家族は、聞こえてなかった。聞こえるのは、零亡の声だけだった。つまり、零太は、幽霊かもしれなかった。

 多数決は、もちろん、零太に四票集まった。その甲斐あってか、零亡は彼の拘束から解放された。正しさから逃げなければ、手を離すつもりだったのかもしれない。

 それから、彼は、この屋敷から出ていった。特に、ここに用事があったわけではないのだ。

 ただ、興味があっただけなのだ。捨てられたモノに対して、興味があって、たまたま幽霊に出くわしただけなのだ。それだけだったので、平然と、いつものように帰宅するだけだった。

 いつもの帰り道。車に轢かれないように気をつけないといけない。だって、彼は、誰にも見えないのだから。透明な人間なのだから。だとしたら。

 それは幽霊ではない、かもしれなかった。

 それなら、なぜ、彼の声が、零亡にだけ聞こえたのかについては、こう答えておこう。

 零亡の幻聴。

 そうなると、幽霊は、誰だったのか。そんなこと、誰にも決められないのである。


 幽霊屋敷には、幽霊がいた。それは、母だった、かもしれなかった。年齢とともに、変化するはずの容姿は、まったく変わらない。それを、家族の人間は、気にしていなかった。それがまるで『普通』なことのように振る舞っていた。歳をとらないことが、普通だと認識すれば、誰もが、幽霊ではなくなる。 自分が幽霊であると、自覚できなくなる。

「前から思っていたんだけど、どうして僕は歳をとるのに、お母さんは、まったく歳をとらないの?」

 息子の零時は問いかけた。いままで普通なことだと受け入れていたものに対して、疑念を持った。

「……」

「お母さんは、もしかして、幽霊なの?」

「なんて答えたものかしら」

 母は口ごもった。幽霊というものを、どう説明したらいいのか、わからない。たとえ、幽霊は歳をとらないものなのだとしても、それは、不老なだけであって、幽霊と断定できる条件にはならない。

「お母さんは幽霊じゃないですよ。みんな、生きてるんですよ! ほら、ほっぺたをつねってみて。痛いでしょ?」

 零亡はほっぺたをつねってみせた。それを見て、家族みんな、同じようにした。

「「「痛い」」」

「ほらね。私達、生きてるんですよ! 幽霊なんかじゃない。むしろ幽霊は目に見えない零太くんの方だったんですよ!」

 家族は同感や、同意をした。


 それにしても、どうして、幽霊は死んでいないといけないのだろう。生きている幽霊がいたってよいではないか。生きていない、幽霊がいるように、生きている幽霊がいたっていいはずだ。痛みを感じる幽霊もいれば、痛みを感じない幽霊がいたっていい。

 では、誰が幽霊でないといけないのか。そんな、至極どうでもいいことを考えるのは、父親だった。

 彼は嘘をついた。零太は、目に見える人間だった。特に、なにも考えないで、嘘をついてしまった。真面目なフリをして零亡を騙したのだ。遊び半分『冗談のつもり』だった。

 零太は幽霊ではない。そのことを父親だけが知っている。そして、この家族で彼だけが、幽霊が誰なのかを知っていた。

 零亡だった。彼女は、すでに亡くなっていた。五年前の大地震で、父親は、一緒にいた彼女が生き埋めになった場面に出くわしている。なのに、娘は、こうして今も、生きて、成長し続けている。

 それが、不思議でたまらないのだ。

 いつになったら、この気持ちを吐き出せるのだろう。父親は、悩んでいた。娘が、幽霊だなんて、そんな、わけのわからない状況に、陥っていて、それで、どうすることもできない自分が、情けなかった。


 しかし、父親は知らない。家族全員が、大地震の被害に遭い、幽霊になってしまったことを。

 ——といっても、これだって嘘かもしれないが。


 もしかすると、彼だけが人間なのかもしれないが。

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