優秀だけど生意気過ぎる営業マン
「ヤベェ、マジでヤベェよ!! こんなの間に合うわけねぇよ!!」
都内某所。定時を少し過ぎ、上司が帰ってしまった後のとある中堅食品メーカーの営業所にて、大騒ぎしている営業マンが一人。
例えるなら、志望校の入試当日、間違えて反対方向の電車に乗ってしまった高校生くらい焦りまくっていた。
そんな彼の声に周りの者も一斉に反応。黙々と自分の仕事をしていた者達も、コーヒーを飲んで一息ついていた者も、一服して喫煙室から戻ってきたばかりの者も……、営業所メンバーのほとんどが一人慌てふためく彼の方へと振り向いた。
「どうしたんだ、三田?」
「先輩……。いえ、実はちょっと大きなミスをしてしまいまして……」
声を掛けられるのを待っていたかのように、彼は恐る恐る先輩社員に事情を説明し始めた。
「この前大きな発注を貰ったスーパー岡本なんですけど、納品日を聞き間違えていたみたいでして……、来週末納品予定だった商品500個の納期が実は明後日だったらしく、社内に確認したところスーパー岡本の分は3日後にしか生産ができないみたいでして……」
規模が大きく深刻なトラブル。現状、本人の言うように『ヤバい』ことこの上ない状況に陥っていることは誰の目にも明らかで、状況報告する彼の顔は真っ青になっていた。だが、
「ったく……。まぁやっちまったもんはしょうがない。まずはやれることをやるぞ! ほら、俺も手伝ってやるから!」
「ふ、藤原さん……」
「三田、俺も手伝ってやるよ」
「まったく。これ、僕も手伝わなきゃいけない空気じゃないですか……」
「佐藤さん、木下……皆、ありがとうございます!」
同僚のピンチに相談を受けていた先輩社員だけでなく、周りで話を聞いていた者達も立ち上がった。頼りになる同僚たちの優しさに目を潤ませ感謝する三田。
「まず三田はもう一度スーパー岡本に納期延期の交渉をしてみてくれ。俺は生産日早められないか、もう一回工場と交渉してみる」
「は、はい!」
「じゃあ俺は直近で同じ商品を納品する予定の客先に納期遅らせられないか交渉しといてやるよ」
「じゃあ僕は三田さん含め、他の皆さんのフォローを」
テキパキとそれぞれの分担を決め、イキイキとしながら早速作業に取り掛かっていく面々。困った者がいれば手を差し伸べ、皆で助け合う――そんな助け合いの美しい光景が広がっていた。
だがしかし……、
(おいおい、ウチの会社見なし残業制だから残業代出ねぇんだぞ? ましてや自分の仕事でもないのに、皆よくあんなイキイキしながらサービス残業できるわ)
そんなまぶしい光景を横目で見ながら見て見ぬフリを決め込む青年が一人。
(まぁ、俺には関係ないけどな。ただでさえ仕事なんてしたくねぇのに、サービス残業で他人の仕事なんてやってらんねぇっつーの)
ここは帰宅一択と言わんばかりにさっさと自分の仕事を終えると、一人静かに席を立った。
「すんません、お先です」
「「「え?」」」
すると案の定、彼を除く全員は、『え!? お前この空気の中一人だけ帰るの!?』という表情で振り返った。
「え、ちょ、え!?」
「お、おい……」
「く、黒崎!?」
この営業所の中では一番年下にあたる男の行動にメンバー一同唖然としていた。
が、そんな空気の中でも黒崎の決意が揺らぐことはなく、まっすぐ事務所の出入り口へと向かっていき、一切の躊躇なく出口の扉に手をかけた。と、その時、
「悪い、ちょっと待ってくれ、黒崎」
「……はい?」
助け合いの空気を作った人物・藤原が声を上げた。だがしかし、
(うわぁ……。マジかよ。呼び止めやがったよ、この人……)
「黒崎、もしかして今日何か外せない用事でもあるのか? もし特に何もないならお前も三田を手伝ってやって――」
「いやぁ、すんません。俺、今日は金曜ロードショー観なきゃいけないんで」
黒崎ミズキは面倒臭そうに振り返ると、決して頭ごなしでなく、爽やかな笑顔で協力を仰ぐ藤原の言葉を最後まで聞くことすらせずシャットアウト。死んだ魚のような濁った目で『ゆとり世代か!』と言いたくなるような理由を返してみせた。
「え、いや、金曜ロードショー……? いや、別にダメじゃないんだが、え!?」
相手は普段からこういう場合に協力的でない男。藤原とてミズキが何かしら理由をつけて断ってくるであろうことは予想していたが、さすがにこの返答は予想外だったらしく、軽く取り乱す。が、
「いや、そうじゃなくてだな……。黒崎、お前も一緒の事務所で働く仲間だろ?」
すぐに真剣な顔でふざけた返答をする後輩に説教を説く。
「ほら、仲間が困ってる時は皆で助け合ってかないとだろ? 俺達は家族みたいなもんなんだから」
しかし……、
「勿論、この先お前が大変な時だって皆で助けるし――」
「いえ、大丈夫です。もし俺がミスしても上司以外に手伝ってもらうことはないと思うんで。今みたいに皆さんに協力してもらう必要はないです。本来自分の仕事は自分で片づけるものですし」
(はいはい。綺麗ごとお疲れっす。つーか、この前俺が一人で残業してた時何も言わずに定時で帰った癖によく言うよ。ったく、懐いてる後輩の前でだけカッコつけてんじゃねェよ!)
言われた本人はというと、その何一つ説得力を感じない説教を適当に受け流すだけ。
「だ、だが、皆で協力した方がこの仕事も早く片付くはずだし――」
「いや、自分で言うのもなんですけど、やる気のない人間を無理やり協力させたところで逆効果だと思いますよ? ていうか、早く仕事終わらしたいなら、今俺を説得してる場合じゃないと思うんですけど」
「っ!」
そして、続く小馬鹿にしたような口調で息つく間もなく返される嫌味な正論を受け、藤原は遂に返答に詰まってしまった。
「おい、黒崎! お前さっきから聞いてりゃあ何なんだ、その態度は!?」
しかし、そんな様子を見かねた別の先輩社員も加勢。
「お前、前から思ってたけど生意気なんだよ! この営業所の中で一番年下のくせによ!?」
先程の藤原とは違い、加勢してきた先輩社員・木下はザ・昔ながらの先輩という感じの威圧的な怒声で応戦。
(なんだよ、今度は怒鳴るだけの煩いおっさんかよ……)
「なんですか? 今度は怒鳴りつけて無理やり従わせる感じですか? 安直ですね」
「テメェ! だからそういう態度がムカつくんだよ!! 大体お前はこの営業所の中で一番年下だろうが! それが年長者に対する態度か!? あぁ!?」
普通の若手社員ならすぐにビビって萎縮してしまうところだろう。
(あぁ、うるせ。よし、コイツのことはこれから“ミスター近所迷惑”と呼ぶことにしよう)
「木下さん、知ってます? すぐに怒鳴る人って自分に自信が無い人がほとんどらしいですよ? 自分に自信が無いから少しでも自分を強く見せようとして怒鳴って相手を威嚇するんですって。――この話結構有名なんですぐに怒鳴るの辞めた方がいいと思いますよ? 周りに『自分は自信が無いです』って言ってるようなもんなんで」
だが、目の前の男にはまるで効果はなかった。
「なっ!?」
自分でも多少自覚はあったのだろうか。木下の勢いは完全に削がれ、場は再びミズキのターン。
「あ、あと、年下扱いするなら担当先の数とかノルマとかも年相応にしてくれません? 俺、この営業所の中で結構な割合の売上とノルマやらされてると思うんですよね」
「い、いや、それは課長が決めることで……」
そして、あっという間に木下もあえなく撃沈。
「ま、まぁまぁ。皆さん、一旦落ち着きましょ? ね?」
そんな中、次にこの場を治めようと立ち上がったのは三田。この問題を起こした当事者だ。
(おいおい、この騒動の元凶の分際で何偉そうに仕切ってんの? 見た感じ全然申し訳なさが感じられないんですけど。いいの、先輩方? 多分コイツ、そのうちまたデカいミスして迷惑かけますよ?)
「なぁ黒崎。お前にもいろいろ事情があるのは分かったし、そもそも今回は俺のミスなわけでお前を無理やり手伝わせるってのもちょっと気が引けるんだけどさ――」
この雰囲気の元凶を作り出した張本人は下手な姿勢で打って出た。
「少しだけでいいからお前の凄い力、貸してくんねぇか? ほら、手伝ってくれたら飯でも奢るからさ」
手伝ってくれたお礼も用意し、謙虚な姿勢でお願いする三田。
「すみません。俺、飯おごってもらうより早く帰れる方がいいんで。むしろ三田さんと一緒に飯食いに行くのとか面倒なんで全力で遠慮しておきます」
「そ、そこまで言わなくても……」
(ごめんなさい。俺、正直あからさまな太鼓持ちって嫌いなんですよね。そう、丁度アンタみたいな。――あなたと一緒に飯とか本気で無理です。お願いだから勘弁してください。ほら、300円あげるから!)
だが、最早予想通りと言っていいだろう。結果は惨敗。お礼はお礼として機能せず。逆に三田は心に無駄なダメージを負った。
「なぁ、黒崎。ちょっと俺の話聞いてくれるか?」
そして、最後に満を持して登場したのはこのメンバーの中では最年長の皆に慕われている佐藤。
(佐藤さんか……。今日もダンディーな低い声と白髪のオールバックが渋いですね。まぁ、この営業所メンバーの中では性格は一番まともな人だな。だが……)
「これは今後のお前のために言っておく。――黒崎。お前は確かに優秀なセールスだが、お前ひとりじゃこの会社は成り立たない。大事なのは個人の力量よりもチームワークだ。チームワークがあるからこそ、個人でも結果が残せるってもんだ。分かるか?」
真摯にミズキに欠けているチームワークの大切さを説く佐藤。それはこの場のことだけでなく、人生の先輩として優秀な後輩に贈るアドバイスでもあった。
だがそれでも……、
「いや、佐藤さん。言ってることは素晴らしいんですけど……ある程度結果出してからじゃないと説得力ないです……」
「……」
(性格は良いけど仕事の出来なさは折り紙つき。この営業所だけでなく、ウチの会社全体で長年営業成績ワーストワンの座を死守しているアンタだけには偉そうなことは言われたくない!)
「お、おい! お前、佐藤さんに対して――」
「あと、知ってます? アンタら3人の合計と俺一人の営業成績って同じくらいなんですよ? コスパ悪過ぎでしょ。個人よりチームワークが大事だって言うならせめて“チーム”とやらで俺の倍くらいの成績出してから言ってくださいよ」
「「「……」」」
残念ながら誰よりも実績の乏しい男の言葉が彼の心に響くことはなく。最後の砦、佐藤も轟沈した。
最早ミズキに対して何かを言う人物は誰もいない。が、その代わりに室内は最悪と言っていいほどの雰囲気に支配されていた。
(うわぁ……、めっちゃ睨んでんじゃん)
当然ながら生意気な言動で煽り論破しまくった男には敵意と怒りが向けられた。
「チッ、何なんだよ、テメェ……」
「もういいよ、帰りたきゃ帰れよ」
だが、この男にはそんなことなどまるで関係なかった。
「もういいっすか? 早く帰んないと●トロ始まっちゃうんで。――お疲れっす」
「お、おい! 黒崎!! 話はまだ――」
「もういいっすよ、佐藤さん。これ以上アイツに何言っても無駄っすよ」
「……まぁ、そうだな」
「黒崎に協調性が無いのなんていつものことですよ」
「チッ、営業成績が良いからって調子に乗りやがって。明日課長に報告してやる」
「賛成賛成。早くアイツ異動とかになんねぇかな」
(はいはい。負け犬の遠吠えお疲れ様でーす。ていうか、本当に営業成績ダントツトップの俺が異動になったら困るのお前らだぞ? いいの?)
背後から聞こえてくる陰口や舌打ち等気にも留めることなく、足早に営業所を後にした。
だが、この後彼は実感することになる。ここ空気を読むことが重視される日本社会において、こういった振る舞いは命取りとなるということを……。
※※※※
「黒崎、お前はクビだ」
「え?」
彼がクビを宣告されたのは、それから1か月くらい経った頃だった。