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クラシック名曲インスピレーションシリーズ

Nun komm, der Heiden Heiland BWV 659 / J.S. Bach

作者: anonymous

クラシック名曲インスピレーションシリーズ。


今回、曲と史実には全く関係ありません。

ストーリーにサウンドトラックをつける逆で、好きな曲にストーリーをつけてみようという試みで、第2弾。


鬱々とした鬱の話です。


 「明けない夜はない」と人は言うが、絶望と希望は暗闇と夜明けよりも天気に似ていると智は思う。

 雨の日があれば晴れの日もあることは知っているが、いつ雨が降るかは知らない。その雨がいつまで続くかもわからない。


 厳しいスケジュールではあったが、必要な資料にはすべて目を通した。そのなかに自分の理解が十分でない箇所もいくつかあって、詳しく見ておきたいとは思ったが、差し迫った仕事をこなしているうち、意識の外に追いやられていた。余裕があったはずの日も、すべての仕事を終える頃には疲れ果てていた。だが役割を果たすことに支障が生じたことはなく、まずまずの評価を得られているはずだった。


 そんなある日にふと、こころに翳りのさすことを感じた。それはちょうど、なま温かい風が吹いた時、雨が降るなと感じる時の、あの感覚と似ていた。若い頃は振り回されたものだが、30数年も生きていれば、自分の気分の変化くらい、だいたい察しがつくものだ。


 「すみません、ちょっと体調が悪いので帰らせてください、残りは明日やりますので・・・」

 終業時間を少し過ぎた頃を見計らって、智は遠慮がちに、隣のブースで書類を見比べている上司に切り出した。ひとまわり年上の上司は、やや大げさに心配した表情をつくり、二つ返事で快諾してくれた。まあ当然許してくれるだろう、とりあえず必要な仕事は片付けて、今日解決できなかったいくつかの事柄も、明日取り戻せる範囲ではある。明日は少し頑張らなければならないだろうが・・・

 そこまで考えて、智は心の中で苦笑いした。明日やることを増やしてしまったら、よけいに気が重くなるだろう。今日すべて片付けて帰った方が、少しは気が晴れるのかもしれないな。

 身体がすごく疲れているわけではなかったのだが、しかし、いったん萎えた気持ちを奮い立たせるには遅過ぎた。上司にもああ言ってしまった以上、やはりもう少し・・・などと言ったら止められるだろうし、白々しくも見えるだろう。

 上司に体調が悪いと伝えたのは、最悪の場合に病休を取るときの布石の意味もあった。なんとなく本当に持ち直せない気がする。ああ、こんなことを考えているからよけい悪いのかもしれない。寝よう。疲れが取れたら考えも変わるかもしれない。

 忙しそうに画面を睨んでキーボードを叩き続けている同僚の隣で、若干ばつの悪さを感じながら、智は机の上を手早くまとめ、現在とりかかっている書類のうち、使う可能性のありそうなものをすべて鞄に突っ込んで退社した。

 

 まだ薄暗くもなっていない時間帯に外を歩くのは新鮮だった。このまま電車を降りないで、気晴らしに知らない街まで行ってみようか? そんな考えが一瞬よぎったが、体調不良の名目で退社したことを思うと、実行に移す気にはなれなかった。それに、いまの状態でどこかに行っても、きっと疲れて帰ってくるだけだろう、一刻も早く帰って寝てしまおう。


・・・・・・


 暇さえあれば寝たいと思うほど睡眠に飢えていたから、夕食を摂るにも早いくらいの時間だったが、布団に入るなりすぐ寝付くことができた。

 その日、普段見ないような夢をたくさん見た気がする。

 目覚める直前に見た夢だけを覚えている。小学生の頃の教室だった。先生が何か質問をしたので、勢いよく手を挙げて答えた。次の問題もすぐに答えが分かったので、他の誰も手を挙げないうちにもう一度挙手したが、教室の隅で、幼馴染が控えめに手を挙げているのがみえた。先生はそれが見えなかったのか私を指名したが、続けて答えることがよくない気がして、昂ぶる気持ちを無理矢理おさえ、「ごめんなさい、やっぱり、わからなかった」と友人に答えを譲った・・・

 小学校低学年の頃、毎日が新鮮で楽しくて、得意になって元気よく手を挙げていた頃・・・あの頃は疲れなんて知らなかった。怒ったり泣いたりしながらも、心が曇ることなんてなかった気がする。いつからか、自分ばかり目立つのはよくない、調和を保たなければならない、でも結果は出さねばならない・・・などと、しがらみがどんどん増えるようになってから、大きな波風立てずに生きていけるようにはなったけれど、ひどく疲れ果ててしまうようになった。

 快晴の日なんてあったのかどうかさえ忘れてしまった。薄曇りでも陽がさす日がありさえすれば、そんなものだと思うようになっていた。


 混沌とした眠りから覚め、時計をみると朝の4時だった。まだ薄明かりさえ差していない。気分が良いとは言えなかったが、出勤までに数時間は猶予のあることが救いだった。こういうときは、すぐに時間が過ぎてしまうことを知っていたから、この数時間が一瞬で終わってしまわないように、まどろみながら夜明けを待った。

 気だるいまどろみを過ごしながら、時々時計を気にした。そのうちに普段の起床時間を過ぎたことには気づいたが、暖かい布団から抜け出す気分にはなれなかった。急げば間に合う時間までここに居よう、そう思いつつ、その時間が迫り来るのを分刻みで確認しながら、その時間になっても体は動かなかった。猶予は過ぎた。・・・しかたない。


「すみません・・・やっぱり体調不良で。ええ。大したことはないんですが、ちょっと熱も上がり始めているみたいで、今日はちょっと・・・はい、申し訳ありません」


 緊張しながら電話を終えると、罪悪感と安堵の入り混じった複雑な気持ちになった。こうなるだろうとは薄々思っていたのだが、何と伝えるのがもっとも無難にやりすごせるのか、いくら考えてもよい口上が思いつかなかった。これくらいなら出社しろと思われているだろうか。気分の問題だと見透かされているだろうか。そうかもしれない。しかし、たとえそうであっても証拠はないし、たとえ疑われたとしても、追及されたり非難されたりする謂れはない。今日のことを咎められない程度には、普段から真面目に勤めているはずだった。明日から普段通りやれば、自分も他人も忘れてしまうことだろう。


 何も問題ない、今日一日で気持ちを切り替えて復帰できれば。


 昼を過ぎて夕刻までまどろみながら過ごした。それでも気持ちは晴れなかった。日が落ちる頃になると、翌日が近づいていることに焦りを感じた。昨日帰宅した時間になってしまった。このままでは、また同じことになってしまう。


 智は少し退屈していた。パソコンを立ち上げて、くだらないサイトを気の向くままに見て回った。仕事の愚痴、珍しい出来事、動物の動画、グロテクスな事件・・・そこから、智はいつかも同じことを調べたなと思いながら、自殺の方法を検索していた。特に目新しい情報はなかった。首吊り、失血、練炭、大量服薬、比較的実現可能だと思えるような方法は、しかしあからさまに「自殺」だった。智は自分の死後のことを思い浮かべた。両親が、無残な死体となった自分を見ることになるだろう。年老いた両親にはとても酷だ。職場の皆にも迷惑をかけることだろう。自分がいなくてもなんとかなるには違いないが、気に病むだろうか。少なくとも気分を害しはするだろう。

 誰かを、何かを恨んでいる訳ではなかった。だからできれば事故がいい。だれも傷つかないほうがいい。本当に死にたいなら、なにも実行は今日でなくていいのだ。毒キノコを食べるとか、遭難するとか、転落するとか、衝突するとか、事故にしても、いくらでもやりようがあるのだ。だが、今日を逃して本当に事故自殺を実行できる気はしない。

 そもそも、自殺する動機だって不明瞭だ。わかっている。自分でも情けないが、会社に行きたくないなんていう、くだらない理由なのだ。本当に嫌なら辞めればいいのに、辞めたいわけでもない。ただ明日から逃げたいだけなのだ、たぶん、本当は。なぜそんなに明日が嫌なのかさえわからない。無理矢理にでも乗り切ってしまえば、またいいこともあるだろう。違う境地も開けるだろう。


 そこまで分かっていて、なのに、智は、絶望的な気分から逃れることができなかった。


 刃物を頸部にあてがってみたが、自分に切りつける勇気がなかった。死を望んでいるのに、痛みと苦しみを避けようと思っているなんて可笑しいと思いつつ、苦痛を乗り越えて死に辿り着ける気がしなかった。

 苦しまずに逝けるという首吊りを試してみようと思い立ち、ハンガーラックにロープを準備してみたが、惨めな死体になる自分を想像すると、気が進まなかった。それでも一度はロープに身を委せて見たが、苦しい、とわずかに感じたとき、自分はおそらくここで死ぬつもりはないんだろうと気づいてしまった気がして、やめた。


 ベッドに仰向けになって天井を眺めていた。

 いまここで、何かを考える暇もないまま、突然心臓が止まってしまえばいいのにと思いながら、自分の鼓動を聞いていた。それは、恨めしいほど健康的に、指の先まで規則正しく脈打っていた。それを聴きながら、智はいつのまにか眠ってしまっていた。


 中途半端に眠り過ぎたからだろう、智は何年ぶりかの金縛りにあった。呼吸が苦しい、顔に何かが覆いかぶさっている気がする。なのに体を動かせない。何か来る。何か恐ろしいことが起こる気がする。ここにいて、この感覚に飲まれてしまったら終わってしまう。

 しかしこの感覚は初めてではなかった。だから、ちゃんと生きて帰れることも本当は知っていた。智は本能的な恐怖を感じながらも、どこか冷静に自分を俯瞰していた。さっきまで死を願っていたのに、こうやって生命の危機を直感したとき感じる感覚は「恐怖」だ。だけど、いちど死を考えたいま、あの恐ろしい感覚に飲まれて帰ってこれなかった場合、どこに行くのか見てみたい気も少しする。だけど、いまは、そちらに行くことを選びはしないだろう。すぐに目が覚めて、帰ってきてしまうのだろう・・・


 不意に目が覚めた。気分が良くはなかったが、いちばん底からは脱することができたような気がした。


 今まで何度も死を考えたことはあった。自殺の方法を調べたこともあった。だが、いま、初めて自分の首に手をかけてみようと思った。そこで、それ以上先に進む気がないことを知ったのだった。

 いまの自分と、本当に自死の手段を遂行できる状態との間には、深い隔たりがあることを実感した。だが、いつか、その先に身を置いてしまうことが、もしかしたらあるかもしれない。いまだって、大した理由なしにここまで来てしまったのだから。




 絶望と希望は、やはり天候のようなものだと思う。ほとんど雨が降らない場所も、雨季と乾季がはっきりある場所もある。雨が降ることで肥沃になる土地もあれば、再起不可能な災害となる場合もあろう。突然の異常気象もあれば、理由のある気候変動もあるはずだ・・・



 智はその数年後に、子供の頃以来の快晴をみた。特にさしたる理由もなく、その日はやって来た。

 いつも晴れているような人を羨ましく思うこともあるが、それがいいとも限らない。うっすら霞みがかった夕暮れを眺めながら、明日は少しくらい曇った方が、暑くなくてむしろいいよな、とひとりごちた。



鬱じゃない時に鬱の話を書いたので、また鬱になったら加筆修正するかもしれない。


この曲、「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」という和題がついています。

ブゾーニ編曲のピアノ版を聴きながら書いています。


私はキリスト教徒ではありませんが、バッハの曲はキリスト教的な感覚を呼び覚ます魔力があるような気がする。

「音楽的な官能と本来の宗教的教義を混同してはならない」と注意喚起した人もいるくらいです。

もっと「神聖さ」「荘厳さ」「救い」的なインスピレーションを感じる曲はたくさんあるのですが、今回のこの鬱々とした鬱でしかない話の表題にするにはこの曲が一番いいと思いました。

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