表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あやかし有馬温泉 信長の湯

作者: 相野仁

 神戸電鉄の有馬温泉駅を降りて、太閤橋を渡って有馬街道を行く。

 全国的に人気な場所の一つだからか、人通りはけっこう多かった。

 神戸電鉄の乗客自体はそこまではなかったので、バスや車で来ている人が多いのかもしれない。

「うへー」

 人混みが苦手な俺はうんざりとする。

 吐き出した息は白く、空気は冷たくほほを刺すようだ。

 神戸市は瀬戸内式気候に属しているため、めったに雪は降らない地域のはずだが、寒さは馬鹿にならない。

 寒さも苦手な俺は正直アテが外れた気分になる。

 嘆いてばかりいても仕方ない。

 幸い温泉は好きだし、有馬温泉なら来てみたかったと自分の気持ちを思い出す。

 有馬街道をおそらく東の方角へとゆったり歩いていくと、ほどなくして目的地が見えてきた。

 親せきがやっているこじんまりとした日帰り温泉「日月たちもり」である。

 日月と書いてたちもりと読む。

 かなり珍しい苗字で、親せきじゃなかったらきっと俺は読めなかっただろう。

 ……有馬温泉は人気スポットと聞いていたのに、人の気配とは無縁なもの寂しい空気がある。

 他の足湯は人が足を湯につけている姿が見えるのに、ここだけ誰もいなかった。

「こんにちはー」

 足湯の奥の建物に声をかけると、ケヤキの引き戸が音を立てて開いて若い紺色の和服姿の女性が現れる。

「晶くん、いらっしゃい」

 若い女性はホッとした顔で微笑む。

 この女性こそ俺の親せきで、この足湯休憩どころの主である日月楓たちもりかえでさんだ。

 そして俺をここまで呼んだ本人でもある。

「本当にはやっていないね」

 顔なじみだからこそ遠慮はなく、それでも周囲に聞こえないように声量を落として告げた。

「ええ」

 楓さんは眉を寄せてそっと嘆息すると、手招きをする。

「遠いところ疲れたでしょう。お茶でも出すわ。中へどうぞ」

 ちょうどのどが渇いていたし、あったまりたい気分でもあったので言葉に甘えておこう。

 中の休憩どころは四人がけテーブルが三つ、二人かけテーブルが二つしかない小さななスペースで、窓から客が来ればすぐ分かるようになっているようだった。

 俺が呼びかけるまでは反応なかったのは、本当にお客さんが来ないからなんだな。

「どうぞ」

 梅の花がかわいらしく描かれた白い湯のみから湯気がたっている。

「遠かったでしょう?」

「まあね」

 隠しても仕方がない。

 神戸三宮から谷上に出て、そこから乗り換えて有馬温泉駅行きに乗った。

 急行に乗って有馬口で乗り換えたほうが早くついたみたいだけど、乗り換えが少ないほうを選んだのだ。

「意外と神戸って寒いんだね」

「神戸は神戸でもこの辺は北区で、六甲山や西宮市の近くなのよ」

「そうなんだ?」

 その辺の地理はさっぱり分からない。

 三宮から北東に来たらしいという点だけはかろうじて理解できる。

「その分空気は三宮よりおいしいという人はいるわね」

「へえー」

 言われてみればちょっと違っていたかも?

 鈍感な人間で申し訳がない。

 そこで話は途切れる。

 楓さんはなかなか本題に入ろうとしなかったので、こっちから切り出した。

「俺が呼ばれたってことは、お客がいない理由には心当たりがあるの?」

 ずばり本題に切り込む。

 だって俺はとある特異体質をのぞけば、ただの学生にすぎない。

 お客が来ない足湯の経営について相談に乗れるだけの知識も経験もないのだ。 

 だから相談内容が特異体質によるものだと見当をつけるのは難しくない。

「ええ。半年前くらいだったかしら。足をつけていると、刀を持った鎧武者が見えるって人が出て」

 楓さんは苦しげに話し始める。

 うわあ、やっぱりか。

「他にも苦しそうなさむらいの声が聞こえるとか言われて。初めは冗談やいたずらかと思っていたのだけど」

 訴える人が増えたし、足湯だけではなく休憩どころにもそういう話を言い出す人が増え、「呪いどころ」として有名になって一気に客が遠のいてしまったという。

「お清めの塩をまいたり、おはらいをしてもらっても効果がなかったのよ」

 困り果ててしまい、俺のことを思い出してわらにもすがる思いで依頼したらしい。

 もうお分かりだと思うが、特異体質とは霊やあやかしといった存在を俺は見ることができる。

 会話もできるので、相手が意思疎通できるのであればたいていは解決できた。

 あやかし、幽霊と言っても大半は人に悪意を持って困らせようとしているわけではないからだ。

 ……何事にも例外はあるのだが、今は割愛する。

「なるほどね」

 幽霊か何かのしわざだろうとは、もの寂しい空気から察することはできた。

「ただ、怨霊のたぐいじゃないと思うよ」

「どうして?」

 楓さんは不思議そうに聞き返す。

 何かのせいで客足が遠のいてしまったのに、タチが悪いやつじゃないと断言できる理由に気づいていないのだろう。

「楓さんが何ともないからだよ。本当にヤバい奴だったら、楓さんはとっくに呪い殺されてる。ピンピンしているわけないよ」

 指摘すると、楓さんは真っ青になってしまった。

 相手次第では自分の身が危険だったと、遅まきながら気づいたようである。

「……そこまで気が回らなかったわ」

 楓さんはしぼるように声を出す。

 まだ顔色はよくなかった。

「大丈夫。そんなに悪いものじゃないと思うよ」

 安心させようと笑顔を浮かべる。

「そうだといいんだけど」

 楓さんはようやく笑ってくれたが、かなりぎこちない。

「どうすればいい? さっそくチェックしてもらってもいい?」

「うん。まずは足湯に入ってみようかな」

「じゃあ準備するわね」

 楓さんはそう言った。

 足湯は一人一回百円、入る時間は自由だそうである。

 正直足湯だけだと利益が出るとは思えないが、休憩どころで食事やスイーツ、飲み物を提供することで利潤を確保しているのだろう。

 客がまったく来ないとなれば、どうしようもないというわけだが。

 足を拭くためのタオルを受け取って足湯へと赴く。 

 さて、どんなものが出るのやら。

 道に足をつけながら腰をかけ、靴と靴下を脱ぐ。

 それから体を回転させて湯につける。

 寒い日に足湯というのはいいかもしれない。

 冷え切っていた足がぽっかぽっかしてくるのを感じてそう感じる。

 そう言えば有馬温泉のかき入れ時っていつなのだろう。

 有名すぎて年がら年中シーズンみたいなイメージだが。

 と考えていると、急に空気が重く生あたたかくなってきた。

 俺に言わせればあやかしが現れる兆し、つまりいつものやつである。

 顔は動かさず、ゆっくり視線だけ左右に走らせる。

 いつの間にか右斜め前に一人の男性が座っていた。

 年はおそらく五十歳前後だろう。

 服装はやけに古く、大昔の人が着ていた服装、直垂あたりだと思われる。

 ちょんまげしてるし、武士とみていいだろう。

 どうやらまだこちらには気づいていない。

 正確に言えば俺が見えていると想像すらしていないのだろう。

 これまでに遭遇してきたあやかしたちはみんなそうだ。

 見える人間がいると知らない存在は非常に多い。

 そのあやかしはのんびりくつろいだ様子で、ゆっくりと歌い始めた。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」

 あれ? これ、どこかで聞いた覚えがあるぞ?

 何だったか。

 すぐには思い出せない。

 歌じゃない。

 どこで見たかと言うと、テレビドラマか何かだった気がする。

 必死に思い出そうと頭を動かした結果、ようやく思いついた。

「敦盛?」

 たしか信長が好んだとされる。

 歌じゃなくて能楽なんだっけ?

 俺の声が聞こえたらしく、さむらいは口を閉ざしてこちらを見る。

「貴様、ワシの声が聞こえているというのか?」

「聞こえているし、見えてもいますよ」

 視線を合わせながら答えた。

 はた目から見れば、何もない空間に話しかけている人になってしまうが、これは仕方ない。

「……何と。このような輩がいるとはな。気づけばここにいて幾星霜。初めて見たぞ」

「珍しいみたいですからね。俺のような人間は」

 さむらいは自分と会話が成立することに満足したらしく、何度もうなずく。

「ふっ、何とも無礼なわっぱよ。だが、誰かと言葉をかわすのはずいぶん久しい。それに今のワシはもう何者でもない。貴様の無礼はとがめまい」

 さむらいはそう言って天をあおぐ。

 どことなく切なさを感じさせる動作だった。

「あなたはもしかして信長公ですか?」

「ワシの名をいともたやすく言い当てるとは」

 さむらい、信長は驚いたようにこちらに視線を戻す。

 まあ考えたら、普通に会話が成立しているのも変なんだけどね。

 安土桃山時代とは言葉が変わりすぎて、もはや別物になっているんだろうに。

 これもまたあやかしを相手にした時の特徴のようなものだ。

「ワシの名はこの時代の者にも伝わっているということか? 頼朝公のように」

 頼朝公ってもしかして鎌倉幕府をひらいた源頼朝だろうか。

「ええ。ある意味あなたのほうが有名かもしれません」

「何とも妙なものよ」

 信長は本気で驚いているらしい。

 自分の死後、自分のことがどう伝わるのか、考えたことがなかったのかな。

 戦国時代にはそんな感覚がなかったのか、それとも乱世がひどすぎて伝わることが期待できなかったのか、どっちだろう。

 聞いてみたい気がするが、何がブチギレ案件か分からないから聞けない。

 俺だとブチキレて怨霊化した相手をどうにかする手段は持っていないので、危険が大きいのだ。

「信長公はここがどこかご存知ですか?」

「摂津国の有馬の湯であろう」

 知っていたのか。

 摂津って神戸の旧国名でいいんだっけ?

「枕草子くらいはたしなんでおるわ」

 そうなんだ。

 安土桃山時代にも勉強する文化があったのか。

 いや、あったからこそ現代になっても枕草子が伝わっていると考えるべきだったか。

 ていうか、枕草子に有馬温泉って出てくるの?

 それは知らなかった。

「湯に入りに来たのですか?」

「そんなわけがあるか」

 信長はおだやかにあきれた。

 何だろう、イメージにある信長とだいぶ違うような。

 これが本来の性格なんだろうか?

 いずれにせよ、この様子なら何とかなりそうだな。

「気づけばここにいた。何かやり残したことがあった気はする」

 やり残したことか……。

「分かりました。僕でよければお手伝いいたしますよ」

「ほう? まあよい。たしかに今の世に生きる人間の手を借りることがあるやもしれん。今のワシは不自由な身だからな」

 信長はにやりと笑い、俺の提案を受け入れた。

 こうして信長が出没する足湯での日々がはじまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ