4
「そこの哀れな奏日君、待ちたまえよ」
放課後、部活に向かうものや、帰宅する生徒が行きかう廊下、悪意以外なにものでもない中傷でヒメキは呼び止められた。
ヒメキは多くの他人から嫌われている。
だが、面と向かって解りやすい言葉で詰られること、あからさまな害を与えることは滅多にない。ヒメキを嫌う大半の人間は彼から距離をおき、できるだけ関わらないようにする。
そもそも、ヒメキに好意を持ち、率先して自ら関わってくるのはこの学園内ならば星明黎しかいないだろう。
しかし、好意以外の思惑で自からヒメキに関わる者が存在している。
そして、ヒメキを呼び止めた人物もそれに当てはまるのだ。
なかなか酷い言葉に気付いた何人かの他の生徒が驚き混じりでその声の主を確認し、納得して元の行動に戻る。
声の主は、伸ばしたい放題の長髪を後ろに纏め、妙に綺麗な白衣を羽織る中年男性。
名前は天乃眩月久。
この光園学園で保険医をしている。見ての通り、淡麗な名前と役職に不釣り合いな姿でいる。素材はいいので、もう少し身だしなみをしっかり整えれば、それなりに見栄えるのだろうが、そのような姿を見たという話も聞かず、少なくともヒメキは見たことがない。
だらしないことでも有名であるが、それ以上に有名で眉を寄せられているのは中身だ。
「星明黎以外友達もいず、部活動も委員活動もせず、僅かな学園を惰性に過ごそうとする君だ。当然、暇だろ? もっとも暇だろうが急がしいだろうが、私の要求を無下に断らない生徒だと私は理解しているぞ? なぜなら私は教師。君は生徒だ。つまり、上下関係に位置する。それぐらいのこと理解していないほど君は落ちぶれていないはずだ。もしそうなら、脳髄を?っ捌いて、海馬に直接光情報を叩きつけようという実験、もとい治療を試みようではないか。拒否権なんて君に存在するわけがない。教師生徒の関係を抜きにしても、この私が行うことだ。私こと天之眩月久。そして、君は奏日ヒメキ。どの道、馬鹿、愚かなどの罵言が最初につくほどのお人よし。ならば至る結論は生まれる前の赤子ですら理解するものだと確信しているのだが、いやはやこの世の節理と残酷であり、それで何千何万何億通り、まさに一定以上の情報処理能力を有する脳を有する生物の数だけ、節理、真理、真実とは存在しよう。ならば、私が間違いではないと思う事象も、コインの裏、あるいは側面から見れば必ず違う見解が存在するとこれまた確信しているのだが、その確信も他者からならば不確定だと愚かな見解だとしてしまう恐れもあり、その不確定ですら不確定であり、結局この世で不確定でないものとは己自身のみで確定したものだと思うのだが君はどう思う?」
長々とした台詞を黙って最後まで聞いていたヒメキは嫌な顔をせずに応対する。
「天之眩先生、こんにちは。ええと、俺に何か手伝ってほしいことがあるんですか? あと、最後の質問は俺にはわかりません」
「うむ」
月久の反応は頷くだけだった。これはヒメキの問いと答えの両方に返事しているかのように捉えることもできるが、真意は本人しかわからないだろう。
この天之眩月久はわけもわからない長々とした台詞を言う時もあれば、要件を短く呟くだけ、平気で誰に対しても暴言をはくこともある。
言動のみならず、なにやら学校の地下室に謎の研究をしているなど怪しい噂などもある。
つまるところ、一言でいうなら変人なのだ。
もっとも、暴言を吐くにも関わらず、可笑しな言動が生徒にうけたり、学内で起きた医療が必要なトラブルも迅速かつ確実に対処し、たまに真意をついたかのような言葉も言うので、生徒たちからはそれなりに親しまれていた。
ヒメキは月久とたまに雑談したり、保健室関係の雑用をやらされたりすることがたびたびある。
この保険医に苦手意識を持ったり、それなりに親しみを持っている生徒でもそこまで話したりはせず、雑用を頼まれてもいい顔はあまりしない。
だが、ヒメキという人間は頼まれたこと(常識の範囲内)は無下にできない性格だ。
それを知っていて利用しているのか、月久がヒメキに雑用を頼む回数は他の生徒たち多めである。そのことにまったく不満を覚えないのもヒメキなのだ。
「業者へ頼んでいた資材が届いて、今は職員室に幾つかあるのだ。保健室まで持っていきたいのだが、保健室と職員室は少し距離があるだろ? まったく、なんでこんな設計にしたのだろうか皆目見当がつかない訳でもないのだが、私は日本の四字熟語でいう自在不羈が一万以上ある信条の一つであり、このような蛮行建築に携わった者にはお灸をすえなければならない。そもそも、人間というものは早ければ三十歳を過ぎた頃から肩こり 、腰痛、めまい、更年期障害、月経異変などといった症状が出てくる頃と言われており、年配の教師なら心筋梗塞の危惧すら存在する。若生のほうが健康なものだ。ならば、そのような多彩な害を持つ危険性が多い大人たちが多く存在する職員室の近辺に学校唯一無二の医療施設、我が城の保健室があっても可笑しくないといえば、実は摩訶不思議なこともない訳だ。そもそも、学校というものが一番大事にすべきなのは生徒であり、保健室が一番怪我の多いグランドや体育館近くにあるのはとても的を射ている。つまるとこ、私の不満はただの二回も分けて持っていくのは正直に心の内を余すことなく一言でいってしまうと『面倒』という、とても如意自在から出た戯言に過ぎないのだが、時間を浪費する身としては千言万語の不満を言う自由ぐらいあるだろう」
「つまり、保健室に荷物を持っていくのを手伝えばいいんですね? あと、時間の浪費が気になるくらいなら長い台詞はそろそろ止めましょう」
うっとうしいぐらいの長い言葉の後に、つっこみを入れるぐらいヒメキも手慣れたものである。
「うむ」
短い返事をした後、天之眩はそのまま歩いて行った。
ヒメキはなにも言わずに、その後を追う。
普通の人間ならここで了承の確認をするかもしれないが、月久自身、ヒメキは自分の頼みを余程ではない限り断らないのは知っている。こちらも手慣れたものであった。
二人は職員室に向かい、資材が入った段ボールを手にして保健室に向かった。
確かに天之眩の言葉通り、職員室と保健室にはそれなにの距離があった。
「しかし、君という人間は本当にお人よしだな」
道中、廊下で月久がボソッとそんなことを口にした。
「こんな変人に関わって嫌な顔しないのは、いやむしろ無神経かもしれない」
「自分で変人って認めてるんですね。それに、相手に向かって無神経だという教諭も無神経だと思いますよ」
「はっはっはっ、似た者同士というわけか」
苦笑いするヒメキに対し、月久はケラケラと笑った後で、なにかを思いなおしたかのように首を横に振った。
「いや、似るはずがないな。むしろ間逆だ」
「まぁ、先生は俺のような、嫌われものとは違いますよね」
「確かに私は君のように自虐などしないがね」
「そうですか? 自分で変人って言っているのは自虐だと思うのですが?」
「それは君からの客観的な意見にしすぎない。私は自らを変人と呼ぶのは、ジョークの意味合いもあるのだが、誉れ(ほま)として自画自賛している。自らは他者とは違う。まったく同じ存在などこの世に存在するわけでもないのだが、それでもこの社会という枠組みから見て、自分は変わっていると理解している。それは悪いことではない。ある種、特別な存在だといえよう。オンリーワンだ。天才や英雄というものはときとして奇人や悪党と呼ばれる時もある。逆に奇人や悪党が天才や英雄と時もある。ならば、自らを変人と称することは天才と称しているのと同義という観点もあるというわけだ。だから私は変人と呼ばれても自らそう思っているので一切の負の感情は抱かず、むしろ感嘆するね。しかし、君は違うだろ? 奏日ヒメキは嫌われものであることを望んではいない」
天之眩の言葉にヒメキは何も言えなかった。
勿論、望んでいるはずがない。ヒメキも好きで自虐しているわけでもない。
しかし、言葉にして冗談のように吐き出さなければ、心が沈んでしまう。だから道化のように自らの状態を苦笑いで隠し、泣きごとの変わりに自虐するのだ。それを我慢するほどヒメキは出来た人間ではない。
「まぁ、君が自虐しようが泣きごとを吐こうが、他者がそれを責める道理が私にはない」
押し黙ったヒメキを見ず、月久はひとり言のように言った。もっとも、月久の言動のほとんどが相手に聞かせるために言ったものとは考えにくいが、ヒメキはなにか少しだけ軽くなったような気がした。
「さてと、我が理想郷、保健室の到着だ」
天之眩の言葉通り、気づけば保健室の扉がヒメキの目の前にあった。
「適当に置いてくれ。そして、君の唯一無二の友人と過言ではない星明黎ところに向かうがいいさ。君には他の人間よりも青春出来る機会など少ないのだから、せいぜい楽しみたまえよ」
扉を開けて天乃眩は我先にと中に入る。中は曲がりなりにも保健室なのでそれなりに清潔感はあるのだが、ベッドや体重計とかそういった保健室にあるような以外にも、何故かボーリングの玉など保健室には不要と思うものがポツポツとあったりする。
「あっ、はい。て、あれ? 俺はれ―星明さんと何処かに行くかって話しましたっけ?」
ヒメキが荷物を降ろしながら尋ねると、天乃眩は大げさに首を横に振った。
「いや。君は一言もそんなことは言っていない。それは私に心読みという特殊能力があるという根の葉もありそうでない噂が存在するのだがそれとはまったく関係ないぞ。たまたま星明を見かけたときに、やたら機嫌が良くてね。まさに麻薬中毒者のようにブツブツと独り言をにこやかな顔で喋っていたから、これは十中八九、否、百発百中か? とにかくあのような症状が出る場合は奏日ヒメキに関することが大半だからなそう思ったのだよ。猫を被っているせいで、あまり表に出さなかったのが逆に不気味さを滲みだし、それに気づいていた私にとってはとっても滑稽で有意義なものだったよ」
猫を被っているという言葉で、月久も黎の本性を知っている人物だというのが解る。それはヒメキも前から知っており、驚くことでもないが、それよりもヒメキはブツブツ言う黎を、何事かと思い、少し心配していた。
そして、真意もわからないヒメキは呆れたものだろう。
「もっとも、彼女は淡い晴れやかな気持ちから一点として暗闇に突き落とされるだろう。あるものの手によって・・・・・・」
「え?」
「その原因は―――――――私だっ!」
「アンタかよ!?」
思わずヒメキは礼を尽くすのを忘れた。まぁ、こういう相手には尽くす分だけ徒労かもしれない。
「彼女には悪いがちょっと私の暇つぶしにつきあいたまえ」
「な、なんで扉の鍵を閉めてんだっ!?」
「ふふ、それは君を帰さないためにさ」
「いや、内側に鍵があるし、普通に出れると思うんだが・・・・・・」
「そんなケチなことは言わず、職員会議に出るのつまらんから一緒にいよう」
「仕事しろ」
「やだ~」
「可愛く言ってるつもりでだろうが、すごく気持ち悪いぞ」
「で、何して遊ぶ?」
「わかっていたが、人の話を聞かないな、アンタ」
「いまあるのは、P○3に箱にW○iだな・・・・・・ソフトは大抵なモノはあるぞ?」
「なんで保健室にそんなものがあるんだな・・・・・・」
「それは、生徒からの没収品―――という大義名分で持ち込んだ私物だ」
「好き放題だな。よく他の教諭に怒られらないな」
「なにを隠そう、この学園の上の人間が私の親族でね。大抵のことは許されたりする」
「傍若無人という言葉は貴方のためにあると思う」
「付け加えるなら、全知全能、該唾成珠、迦陵頻伽、謹厳実直、鶏群一鶴、才色兼備、質実剛健、純情可憐、純真無垢、聖人君子、泥中之蓮、天衣無縫、八面玲瓏、眉目秀麗、文武両道、、明眸皓歯、勇猛果敢、容姿端麗、容貌魁偉、大胆不敵という言葉も私のような存在とためにあるのだよ」
「保険医のくせに、そこまで褒める四字熟語を知っているのはすごい」
ヒメキは嫌味を言いつつも、最後の大胆不敵だけは的を射ていると思っていた。
「馬鹿にしないでくれたまえよ? これでも保険医の免許の他にも、普通の一般教育の高校教員の資格は幾つもあるし、その他にも弁護士、介護士、外科医、内科医、社会福祉士、会計士の資格、その他エトセトラなんでもござれさ! 乗り物に至っては車は勿論のこと、古今東西ありとあらゆる免許を所持している。戦車だって動かせるのだからな!」
「最後のは物騒だな・・・・・・」
ヒメキ自身、あまり本気で受け止めてないのだが、天之眩が外科医の資格があるのは本当であることは知っていた。何度か、他の病院に応援要請で学校を離れるときが実際にある。
そう思うと先ほど天之眩が言った、天才や英雄というものは時として奇人や悪党と呼ばれる時もある、という言葉は正論かもしれない。
もっとも、世にいる天才たちが彼のような奇人ばかりだったら世界は可笑しなことになるのも十分に理解していた。
「しかし、君も私ほどではないがなかなか優秀ではないか? 迦陵頻伽なんて四字熟語、普通の授業には早々出ないと思うがね? その勉学に励んでる姿に誠意を表わして、先攻は
君に特別やろう」
「いや、別にいい」
「決闘! 私のターン、ドロー!」
「無視か? 最初は俺の番じゃなかったのか? ていうか、いつの間にカードゲームをやってるんだ?」
「おや? ふふふ、これはワンターンキルだな・・・・・・」
「勝手にしてください」
「では、私は手札から――」
「いい加減にしろ」
そう言ったのはヒメキではなく、いきなり保健室のドアを開けた皐月鐘教諭だった。
「おや、渚ではないですか? 鍵がかかっていたのにどうして?」
「そんなもの、単純に予備の鍵で開けたに決まっているだろ。あと、学園で名前で言うな天之眩教諭」
「おやぁ~、つれないですね。そんなことだから――」
「長台詞を聞くつもりはない。私は職員会議をサボろうとしたお前を連れてきたんだ。さっさと来い」
「ええ、わかりました」
意外と天之眩教諭は素直に反応すると、ヒメキに向かって不敵に笑う。
ヒメキは内心、その様子を見て、驚いてはいたが声には出さない。こんな光景は前にも一、二度見たことあるっからだ。
なんでも、この二人は学生時代からの知り合いらしい。そして、天之眩が問題を起こすと皐月鐘が収拾をつけるのがいつもの流れのようだ。皐月鐘教諭は御苦労さまである。
「では、奏日ヒメキ君。我々はこれから巡りゆく大人の甘美な世界にいくので――」
「冗談は一人のときに言え」
「それはそれで哀しい光景が目に浮かぶよ」
「しかし、ここに奏日がいたのは幸いだったな。実はお前も丁度探していたところなんだ」
「え? そうなんですか?」
皐月鐘の登場でようやくヒメキも目上に対して丁寧な言葉に戻る。
「疲れる男の相手の後にすまないが、また、あの子――夕代のとこにプリントをまた届けてほしいのだが頼めるか?」
「ああ、はい。わかりました」
その頼まれごとは毎度のことなので、ヒメキはすぐに返事をした。
夕代というのは、ヒメキの知り合いだ。
「おや? 君はこれから星明と約束があるのではないのですか?」
「ん、そうなのか? だったら別の人間に頼むが・・・・・・」
天之眩からそう聞いた皐月鐘教諭はほんの少しだけ困った顔になる。
「いや、れ――星明さんにはメールでもして、夕代さんのところに届けた後に、約束したことをするので大丈夫ですよ」
「そうか、すまないな。ありがとう。では、頼んだぞ」
謝罪と感謝の言葉の後で、ヒメキは皐月鐘教諭からプリントを受け取った。
そして、さっそく保健室から出ようとしたヒメキを天乃眩がなぜか呼び止めた。
「待て待て。行く前に二つ忠告。一つは最近失踪事件が多発しているから気をつけろという教師らしき言葉だ。もう一つは個人的な心配だ。敵は内側にもあり。もっとも両人同意ならなにも心配はしないがね」
「?」
ヒメキは後のことかがよく解らなかったが、天乃眩が変な言動なのはいつものことだと思い特に気にも止めず、二人に一礼をした後で、今度こそ保健室から出ていった。
「さっきの言葉、どんなつもりで言ったんだ?」
「なんのことだい?」
皐月鐘から感情が灯ってないような瞳で見られるが、天乃眩はあからさまに惚けたように肩を竦めだけだった。
「・・・・・・まぁいい。お前の言動を追究したら少ない時間がもったいない。さっさと職員室に向かうぞ」
「面倒至極で、どうして私があの無能な家畜共と肩を並べて考えればすぐに解るとるに足らない議論を交わさないといけないのか疑問であり、そんな強制は却下却下却下のど却下と吐き捨て、颯爽と盗んだバイクで駆けだして、若き青春の頃のように熱烈な夜を過ごしてしまいたい欲望に準ずるのが僕の尋常ではあるのだが、古き盟約に交わされた友誼の者とそこまで高尚ではないにしろ学生時代からの貴重な友人にご足労かけたのだ。了解したとハッキリと返事して特別に参加してやろう。
ところで渚――」
「・・・・・・なに?」
「矛盾ていつ気づくと思う?」
「いきなり、二人のときに名前を呼ぶから何だと思ったが、また訳のわからないことを・・・・・・」
「ときめいたりしたのかい?」
「……貴様は奏日よりも性が悪い。さっきの答えは単純に矛盾になる理由に気づいたときだろう。戯言はいいから行くぞ」
「はいはい、いま行くさ」